SSブログ

検事の逮捕を好機に、組織としての実践的な反省の範を示してほしい。今こそがんばれ検察。 [刑事事件]


現在の時点では、怒りとか糾弾の気持ちは強くない。
悲鳴を上げたいというのが、リアルな気持ちです。

おそらく、検察官がプライベートで殺人を犯しても、
ここまで衝撃を受けることはないでしょう。
地面にひびが割れて、腰が砕けたような気持ちです。

なるほど、悲愴感を抱いているのでしょうね。
本気で裁判に出そうとしてフロッピーをいじったわけではない
せめてそう思いたい。

あまり、報道が詳しくないのですが、
フロッピーをいじったのが逮捕された検事ということなのでしょうが、
証拠として整理されていたということは、
他の検事も、このフロッピーの存在を知っていたことになります。
証拠提出しなかったということは、
このフロッピーが証拠として使えないことも知っていた
ということになってしまいます。

そもそも、今になって報道されているところによると
凛の会の郵便法違反事件は、
頭からしっぽまで、かなり支離滅裂な構図になっています。
この構図を検察庁が描いて、これに向かって
複数の検事が無理を通したというのは、
理解ができないのです。

第1に、今になっては公にできない真相が、
罠がどこかにあったものと想像してしまいます。
かなり政治的な思惑が匂います。

捜査の端緒に当たる情報収集の検証が必要となるでしょう。
今後、この種の情報に乗っかって強制捜査を始めて良いか
経験を蓄積して欲しいと思います。

第2に、集団的検討が機能していたのか、
おそらく、逮捕された検察官の独裁的捜査構造
だったのではないかと危惧しています。
体育会系のコーチのように、パワハラ上司のように、
他人の意見を聞かないで、言わせないで、
ずんずん進めて言ったのではないでしょうか。

他の検察官がものを言えない状態だったのではないかということです。
弁護士の弁護団でもよく経験することです。
弁護士や検察官は、自分に自信があるものだから、
ともすれば、独善的な思考に陥ることがあります。
同じチームの者の自分と違う意見を力で封じることが
みられないわけではないのです。

そして、それによって、黙ってしまう者も結構います。
また、理不尽な発言を止める者がいないという状態も
結構見られます。
まさにパワハラの図式です。

私も独善的なところがあるので、
そういうパワハラリーダーと嫌いで仕方なく同じチームになれば、
どんどん介入して、はっきり物申しております。
そういう時、パワハラリーダーは感情的になっているので、
少し冷静なこちらは、むしろ言いたい放題という^^

ともかく、そのようなパワハラリーダであったなら、
一人の人間の過ちや不十分さを
補ったり、是正する組織のうまみは無くなるのでしょう。

おそらく、周囲も、
何か公にできない情報があり、
その人の構図は真実なのだろう、
いざとなれば、隠し玉が出てくるのだろうと
思い込み続けていたのだと思います。

逮捕された検事の思い込みの端緒と、
周囲の無批判な追随の心理と
両方を分析して欲しいものです。

なによりも、逮捕された検事の責任問題だけで
集結させてはならないということです。

仮にふざけて証拠をいじったとしても、
それは、大問題なわけです。
現実に無罪判決も出ています。

十分な分析と検討をすることは、
検察だけの問題ではなく、
法曹全体の共通する問題だったり、
国家機関等組織に共通する問題だったりすると思います。

検察は、新刑事訴訟が施行されてほどなく、
「起訴後真犯人表れた事例の検討」を著し、
誤った起訴をしてしまった原因等について、
丹念に、集団的に分析、検討しました。
理想に燃えた、若々しい、真摯な検討で、
大学の図書館の地下で感動を持って読み進めました。
検察は、再生能力にたけた機関であるはずです。

過ちは起こるもので、実際に起きたわけです。
もっとも大切なのは、二度と繰り返さないことです。
むしろ今回の事件を好機ととらえて、
組織的反省とはこうするものだという
範を示してほしいと期待しています。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0