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3月11日2時45分 そのとき仙台市青葉区一番町では 震度6はこんな感じでした [震災等]

3月11日は、一日中
弁護士会館で法律相談を担当していました。

2時45分、そのとき、
まさに相談に答えていました。
地震が始まり、いつものとおり
やがておさまるだろうと思い、待っていたのですが、
いつまでも収束される様子は無いのです。

電気が消えたりついたりしていたのですが、
やがて消えてしまいました。

立ち上がることが困難なゆれだったので、
震度6かなと冷静に考えていました。
だからどうだということを
考える余裕はありませんでした。
弁護士会の職員が、
危険だから外に出てくださいと
声をかけにきてくれたので、
ようやく危ないんだと自覚して
会館の外に出ました。

外に出ても、
しばらく地震は続いていました。
バスが飛び跳ね、
ビルがたわんでいます。
マンションの多いところなのですが、
新しいマンションほど、
古いマンションに比べてしなっていて、
今にもポキッと折れそうになっていました。
最上階は、遠心力で、窓が開いた状態です。

ああ、これは、
大変なことが起きているんだと
それを見て、わかり始めました。

そのときから、
私の頭の中は、
早く子供のところに行きたいという
思いが支配していました。

ところが4時にお客さんを呼んでたなあ
という気持ちも残っていて、
しばらくして、
事務所のマンションも危険で出入りできないし、
交通機関もめちゃくちゃなことに気がついて、
いらっしゃったら申し訳ないけれど、
帰ろうという気持ちになりました。

事務所のほうに歩き出したら、
裁判所の前の公園にたくさん人が出ていました。
建物から集まりだしたようでした。

概ね、みんな冷静で、
知り合いの顔を見ては、ニコニコしています。
ただ、中には、
異常な焦燥感を見せていた人もいましたが、
例外的という感じでした。

さて、人だかりの中にうちの事務員を見つけ、
今日は終わりと宣言して
帰ろうと思ったのですが、
事務員がいないのです。
携帯電話もつながらないし、
帰ったのかなと思いつつ、
取り残されていると困るので、
修習生にも手伝ってもらって探したのですが
いません。
また、大きな余震が断続的に続いていました。
マンションに入っていこうとしたのですが、
とめられていました。
それでも、何かの下敷きになっていると困るので、
覚悟を決めて、階段を上り始めたら、
ようやく降りてきました。

目撃者の話を総合すると、
私に連絡を取ろうとして必死だったようです。

地震から20分くらいたったでしょうか。
裁判所や裁判所の前の公園や駐車場にいる群集は
減りません。
なぜ、そこにとどまっているのかわかりません。
わが事務所は、全員の無事が確認できたので、
その場で、即時解散しました。

子供の学校へ向かう道、
信号がついているところと
停電しているところと
それぞれでした。
古い建物、蔵のような建物が
屋根や壁が崩落していて、
まわりをビニールのようなテープで
囲まれていて、
通れなくしてありました。
すばやい。

途中、裁判所の隣の小学校から
お子さんを回収した弁護士と一緒になりました。
とにかく、歩くしかないのです。
知り合いとは、みんな声を掛け合っていました。

学校に行ったら、先生方は、
みんな残っていらっしゃいました。
ご自分のお子さんも心配でしょうに、
頭が下がる思いでした。
クラスの子の3分の2くらいは
すでに帰宅していました。
学校は、比較的暖かいし、
落ちてくるものも無く、
安全な印象がありました。

外は雪が降り始めています。
自宅はマンションなので、
中には入れるのか不安でした。
このまま学校にいようかと思ったのですが、
とりあえず、
自宅に向かうことにしました。

この間妻にメールを送っているのですが、
返事はまったくありませんでした。
後で、合流してから、
このときから3時間後に、
まとめてメールは届きました。

とにかく余震が続き、
エレベーターも使えず、
上階の部屋に行くことは勇気が必要です。
子供を残していくこともできず、
一緒に階段を上って行きました。
食べ物と水を取り出し、
下に戻りました。

管理人さんが親切な方で、
管理人質のストーブに当たらせてもらいました。
結局、集会室で妻を待つことにしました。
なん家族かが合流して、
集会室で時間を費やしました。

これまで、挨拶をするかどうかという
隣人たちとしばらく話をしてました。
みんなそれぞれを必要とし、
協力し合っていました。

被災の深刻な地域の警察官を子供に持つ方は
悲壮な決意のメールが届いたことを
お話されていました。

停電ということもあり、
妻は、われわれが集会室にいたことを気づかず、
自宅に上り声をかけても誰も出てこないので、
叫んでいたそうです。
同じ階の奥さんに下の集会室にいることを教えられ、
大丈夫と抱きしめられ、
懐中電灯まで貸していただきました。

ようやく、
家族が再開しました。

余震が収まり始め
といっても、震度3くらいの地震は
続いていたのですが、
集会室のパイプいすで夜を明かすわけにも行かず、
開き直って、
自宅に戻り、
なんとか散乱した荷物をよけて
避難通路と布団を敷く場所を確保して、
その日は寝ることにしました。

ライフラインはすべてとまっています。
車の中で一夜を過ごした人も
たくさんいました。

余震は続きました。
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