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梅原猛日本復興会議顧問の提言を受け、日本の誤りの根本は何かをGWの宿題で取り組む [災害等]

河北新報4月24日付の
梅原猛先生の「復興への提言」の中で、

「明治維新の廃仏毀釈が仏を殺し、神々も殺した。
天皇、国家を神とする一神教に八百万の神を従わせた。
修身教育は、神々や仏を敬う日本人の心を
喪失させたと思う。」

この記事を読んでから、
頭を離れなくなってしまっています。

梅原先生がご指摘されているのは、
仏教に対する弾圧と
神社を序列化したことの二つを
廃仏毀釈という表現に込めているものだと解釈しています。

東北には、あれ、仏教のはずなのに、神社?鳥居?
というものがありましたが、
これは、廃仏毀釈を免れるため、
神社の体裁を作ったためと聞かされたことがあります。
それで弾圧をかわすこともあったようです。

神社の序列化は、
要するに明治政府が、
全国の各神社に格付けをして、
偉い神社と庶民的な神社に数段階に区分けをし、
最高位を天皇(天照皇太神宮)にし、
信仰的価値観を
天皇を頂点として序列化して、
その中に各神社を組み込んでしまったというものです。

廃仏毀釈、神道の国教化と時同じくして、
キリスト教の大弾圧もなされています。

極めて無茶な話です。

聖武天皇や聖徳太子を例にとるまでもなく、
天皇が仏教を広めたり、信仰したりしていたことは
歴史の事実です。

考えてみれば、
自分の信仰が、大きく分けて仏教であろうと
神社であろうと、そんなことを国からどうのこうのと
とがめられる筋合いではありません。

さらに深刻なのが、
神というのは、八百万の神という場合
全く独立しているのであって、
格付けをするものではない。

古事記だって、土地の神を尊重しなければならない
というエピソードが随所にみられるわけです。
体制側が、反体制側を滅亡させ、
その祟りが怖くて神と祭った神社も枚挙にいとまがありません。

日本は、狭い国土の中で、
多様な価値観を共存させてきて
(集落単位なのか、個人単位なのかはさておき)
それぞれが尊重されてきたわけです。

他人の価値観に謙虚だったといっても良いかもしれません。

ところが近代国家を進めるにあたって、
この国家的価値観は覆滅してしまったわけです。

宗教施設の財産(土地)の解放という経済的意味合いも
あったようですが、
精神的意味合いが大きいということは、
おそらく異論は無いでしょう。


天皇に最高権威を与えて、
迷ったら上司決裁を、その上の上司決裁を
ということで、
真実の検証よりも、
行動を優先して行ったわけです。
効率を優先するようになったわけです。

それは、時の政府の富国強兵政策を推し進めるための
最大の保障となりました。

(歴史学の立場では、
欧米列強の中の日本が、
欧米の植民地にならないためには、
効率を重視することが鉄則だったと
評価する立場も多いでしょう。

しかし、植民地にならなかった理由は、
私は、江戸時代までの日本の文化的成熟が
最大の理由であり、
中国という巨大市場における列強の日本の利用方法、
山がちな日本という地理的条件、
列強どうしのけん制という、時の利等という
偶然の要素がサポートしていると妄想しているのですが、
なかなかまとまらない。
それはさておき、)

話が巨大すぎて、なかなかまとまらなくなりました。

今日のところのまとめは、
梅原先生のおっしゃった、廃仏毀釈で神々が死んだというのは、
端的には、神道の国教化によって、
八百万の神が、神たることをやめさせられたということ、
それは、欧米列強の中で
後発資本主義国である日本の
富国強兵政策を推進していくために、
明治政府が政策的に行った
というところでしょうか。

これを日本復興会議の顧問の
梅原猛先生が、
復興の提言の中で述べているところが、
注目をするべきところだと思うのです。

今、原発問題とか、避難所の問題、
災害の復旧活動など、
直ちに、具体的に行わなければならない機関があります。

しかし、津波がひいたように、

当初の生存の確保が最大のテーマから
今後の生活の再建がテーマにうつり、
不安を抱いている時から
具体的に事を進め無ければいけない時うつり、

震災前の状況、苦境、不況が
そのためにも
避けては通れない問題であったことが
改めて気付かされ、
それらを含めて、それらを一挙に
解決することを迫られている
という側面もあることを感じはじめています。

日本復興会議では、
冒頭、原発の問題は取り上げないと宣言されたそうです。
それに対して、
「原発を話し合わなきゃ意味無いだろう」
とかみつかれたのが顧問の梅原先生だそうです。

その先生が廃仏毀釈ということを、
復興の提言の中で取り上げたわけです。

菅首相は、週刊誌ネタでは
あまり日本復興会議に
具体的に期待しているわけではなさそうです。

しかし、私は、
今具体的に行動する人だけではなく、
根本を総括して、
誤りの根本は何なのか、
そのことを考える人たちも必要なのではないかと
考えています。

今解決するべき問題の中に、
その根本を動かすことによってしか、
解決できない問題も多いと感じ始めています。

ドラスティックな解決法は、
そのような急がば回れの思考の中に
隠されて、用意されているように思うのです。

そのヒントが廃仏毀釈、
おそらく真意は神道の国教化の中に
あるという直感があったものだから、
書き始めたのですが、
まとまりませんでした。

ちょうど、ゴールデンウィークなので、
少し格闘してみようと思います。
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