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震災後のいいところだけをあぶり出し、財産とする仕組みを考え始める。コミュニティの心地よさ [災害等]

少なくとも3月中は、
仙台市の中心部には実質的なコミュニティーが成立していた。
物を売り買いするだけで、
心の触れ合う会話が成立していた。

弁当も良く売られていたが、
500円で、かなり豪華な弁当が売られていた。

あの時、
震度6を経験したものどおし、
ライフラインが断絶したものどおし、
という、一体感があった。

物は無くても、
気持ちは妙に豊かだった。充実していた。
生きて動いているだけで、
群れの一員であるという実感が快かった。

ただ、冷静に考えると、
当時から、格差はかなりのものがあった。

津波被害のあったところと無かったところの格差は言うに及ばず、
家族のいない一人暮らしのお年寄り
早くも原発事故を恐れて外に出ないようにしていた人たちもいた。

同じ地域空間でも
仙台市と仙台市以外の復旧の格差もあったようだ。

しかし、仙台市中心部で活動する人たちの間では
一体感があったし、
郊外でも買いだしで並ぶ人たちの一体感を感じていた。
知らないものどおし、気安く声をかけ
老いも若きも、丁寧な言葉遣いだった。
とても礼儀正しかった。

震災からある程度時間がたったが、
強いコミュニティもある程度残存している。
二度の地震を経験したという共通項による一体感は
震災前とは比べ物にはならない。

しかし、各種の違いを背景とする不協和も出始めているし、
震災前の日常を取り戻しての希薄さも復活しつつあるように感じる。

家のあるものと無いもの
職場のあるものと無いもの

マンションの中層階と高層階の温度差
(これは記事を改めます。)

放射能の心配をして行動をする者と
あえて心配をしないという行動を選択する者

一般的な違いに基づくもののほか、
震災の時
結果的にその人の判断が間違っていたことにより犠牲になった家族と
誰かを犠牲にしようとはもちろん思わず
他の選択肢を思いつかなかっただけのその人
というパターンは、これから弁護士が多く直面しなければならない
やりきれない紛争類型となるでしょう。

屋根を瓦にしたために、
瓦が落ちて、怪我をしたり物が傷ついた
なんてことも、大きく考えるとこの類型かもしれません。

なんかもったいない。
これから、あの自殺者3万人の殺伐とした世の中に
ただ回帰するというのでは、
あまりにも情けない。

元の木阿弥

しかし、希望もある。
震災の経験が、記憶から無くならないと同様に、
あの時の一体感の経験、実質的コミュニティを経験した者の
充実感の記憶も無くならないだろうと思う。
目指すべき目標の感覚を
多くの人間が体験している。

形を変えながらも
理性によって、
あの時のいいとこどりをしようではないかと
そんなことを具体的に、真剣に考え始めている。



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