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震度6を経験せずして、パニック行動を嗤うなかれ、結果論ではその先の真実にたどり着かない [災害等]

某週刊誌に、
津波被害にあった園児の通っていた幼稚園を
糾弾するような記事が掲載されていました。

出張の時、本屋でちらりと表紙の見出しを見て
ちょっと立ち読みしただけです。

宮城県民なら大抵の人が知っている話です。

要するに、高台にあった幼稚園なのに、
マニュアルには、高台に避難するよう記載してあったのに、
わざわざ海の方へ、
園バスで園児を返しに行ったことを、
マニュアルの存在さえ知らなかったのではないかと
糾弾している記事でした。

これが、亡くなった園児のご遺族の方のご主張
ということなら、理解も共感もいたします。
私だって、同じ立場なら、
そういうことを言っていたと思います。

しかし、
ある程度公的な週刊誌の主張となると、
おそらく、宮城県民の少なくない割合の人々は
違和感を感じると思います。

誰が、あの時、冷静で合理的な判断ができ、
冷静で合理的な行動をとったでしょう。

津波が無い地域でも、
お帰りの時間という幼稚園は多くありました。
自宅近くに園バスの停留所があればよいのですが、
働いているお母さんとか、
停留所から遠い所に住み、地下鉄などで迎えに来るお母さんも
結構いらっしゃいます。

園バスが「いつものように」子どもたちを停留所でおろして、
交通機関が止まったために迎えに来れなかった親を
いつまでも待ち続けた園児も結構いたようです。
おそらくマニュアルはあったはずです。

自分の直接体験しただけでも、
というか自分についても、
ずいぶんとんちんかんな行動をしています。

地震がすぐにおさまるだろうと
揺れが続く中、法律相談を続け、
弁護士会の職員に促されて、ようやく弁護士会館から外に出ました。
ちなみに、歩道でも法律相談は続いていました。

その後、事務所に戻り、
気にしていたのは、
4時に打ち合わせがあったので、
どうやってキャンセルしたらいいかということでした。

電車を利用して仙台にくるお客さんだったので、
そもそも、仙台までもこれなかったということは、
今になれば笑い話ですが、
その時は、思いもよりませんでした。

最終的には、謝ろうということで、
事務所を解散して、自分も子どもを迎えに移動したのでした。

それでも私は、まだ好判断をした方です。
(と言っても、冷静な判断ではなく、ほとんど勘)

国や国に準ずる公的な機関は、
いつまでも、何をするともなく、
裁判所や公園に職員を待機をさせていました。

前に書いたとおり、私は事務員を探し回ったため、
解散までに時間が大分経過したのですが、
相当時間経過後に解散を決めた後も、
多くの人たちが、不安そうな表情をして
解散もできず、ただ、立ち尽くしていました。

公的な機関も、冷静な対処はできませんでした。

上司の判断が遅れて、
帰宅が遅れた人が大量にいたわけです。
無駄に足止めを食っていた人が多数おり、
そのために、
冷静に子どもたちをキープしていた学校等の
先生方は、帰宅できませんでした。
私が何時ころ学校に着いたか今となっては覚えていませんが、
4時前ではあろうと思います。
まだ、半分くらいの子供たちが教室に残っていました。

私は、早く返したことを自画自賛していましたが、
よく考えてみれば微妙です。
職員の帰宅方法を確認しませんでした。
その日に限って、オートバイなどできていたら、
それこそ、津波に巻き込まれたかもしれません。

何を言いたいかといえば、
それほど3分続いた震度6の地震は、
人々から冷静な判断力と、迅速適切な行動力を
奪うに十分な衝撃でした。
ということです。

それでも、
幼稚園児という判断力を期待できない人たちを
預かる仕事は、冷静な行動を、マニュアル通りの行動を
しなければならないのかもしれません。
それはそうかもしれません。

ただ、私は、第三者だからなのですが、
居丈高に、糾弾することには、
どうしても違和感があるのです。

園児のご遺族ならわかります。
そりゃあそうでしょう。
それなら、あえてこんな批判がましいことは言わないのです。

しかし、震度6を経験していない人から、
マニュアルがあったのにそれを実行しなかったのは、
マニュアルの存在も知らなかったからではないかと
そう書かれてしまうと、
どうしても、感情的には、おさまりがつかないのです。

このタイプの事件は、
我々宮城県民はいくつも知っています。
結果論で言えば、中には判断ミスということもあるでしょう。

裁判にもなるかもしれません。
しかし、
某週刊誌みたいに
あの震度6を経験していない人に、
結果論で裁かれると思うと、
怖い気もします。

今回の責任を裁くことはともかく、
今後同様の結果を回避するためには、

マニュアルを実践しなかったという批判は、
結果論に過ぎず、何ら実践的ではありません。

その時、幼稚園側が無意識下に何を気にしていたのか、
なぜマニュアルを実践しなかったのか、
その言い分に、冷静に耳を傾ける必要があると思われます。

その津波の犠牲にあわれた幼稚園だけでなく、
交通機関がマヒした園バスの停留所に
園児を置き去りにした幼稚園の話も含めて、
総合的に情報を集めて、
結果論の奥の問題の所在をあぶり出す必要があると
思います。

応用のきく形で、記録としてとどめ、
後世、他地域に伝える義務はあるのだろうと思います。

マニュアルを実践できなかったのは、
この幼稚園だけではないのです。
何か共通の理由があるはずです。

マニュアルを実践しなかったのは悪い
で終わってしまったら、
形を変えて、悲劇は繰り返されてしまうでしょう。

第三者は、冷静に、その先こそ、将来に向けて
探求するべきだと思います。
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