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特殊公務災害 地方公務員災害補償基金審査会で、逆転認定の解説 [労災事件]

既に、報道されているところですが、
東日本大震災で亡くなった仙台市若林区の職員の方について
地方公務員災害補償基金審査会は、
地方公務員災害補償基金仙台市支部長の非該当の処分
地方公務員災害補償基金仙台支部審査会の審査請求棄却の決定を
いずれも取り消しました(平成26年5月28日付)
代理人弁護士として、説明をさせてください。

東日本大震災の際に、仙台市職員大友純平さんがなくなった経緯は以下のとおりです。
14時46分 大地震発生
14時49分 津波警報第1報を発表し、宮城県の津波の高さは6mと予想した。
15時1分  地震波が国内の広帯域地震計の測定範囲を超えた。モーメントマグニチュードの計算ができない       ことが判明
15時14分 気象庁は、宮城県の津波の高さは10m以上と発表
15時17分 若林区役所から荒浜地区に向かって、自動車で出発
        この時、同僚たちは、「行かなくていい。危ない行くな」と連呼する異様な中で出発。

実に、地震から30分後に海辺の荒川地区に出発させられたことになります。
15時30分、消防署員が、若林区役所の広報車らしき自動車を目撃
15時50分、消防署員が、荒浜地区から避難を呼びかける広報車からの声を聞く
その直後大津波が襲う。
平成23年4月28日 ご遺体が発見される。

大友さんの死亡は、平成23年11月8日に、公務災害であることが認定されました。
同年12月6日、特殊公務災害であるため、両親は遺族保障年金を申請しました。

このあたりまでは、概ね役所の方で、手続きを実質的に進める扱いになっています。
当事者に聞いても、通常はよくわかりません。
特殊公務災害は、警察官や消防官といった命懸けの職種や
「暴風、豪雨、洪水、高潮、地震、津波その他の異常な自然現象
又は火災、爆発その他これに類する異常な自体の発生時における
人名の救助その他の被害の防御」に従事している災害応急対策従事職員
に対して、生命又は身体に対する高度の危険が予測される状況で、
災害にあった場合に、通常よりも割増して補償される制度です。
(地方公務員災害補償法46条、同施行令第2条の3)

但し、遺族が特殊公務災害を主張するのは、
通常は、いわば名誉のためです。

それを説明するためには、
第1段階の、地方公務員災害補償基金仙台市支部長の
非該当の理由を説明することが早いと思います。

申請に対して、該当するかしないかを最初に判断するのは、
名義では、仙台市支部長ですが、特殊公務災害の場合は、
事務取扱要領では、本部の補償課長の意見をきかなければならない
として、実質は、本部で決めています。
大友さんの事例も、任命庁である仙台市も、処分庁である支部審査会も
特殊公務災害と認めるべきだと上申していますが、
本部は、非該当とするように指示しています。

理由は、実はその論理関係はよくわかりませんが
第1に、本当に公務中被災したのか目撃者がいない。
第2に、道路から海側に行かないように上司は指示していた。
海側は津波の危険予測区域であり、道路は危険予測区域ではない
勝手に道路から海側に行ったとすれば、
それは公務ではなくて、善意の行動の結果被災したのだ
ということらしいのです。

両親は、大友さんは、公務員として、
住民の命を守るために、あえて危険を顧みずに公務をまっとうした
こう思いっているのに対して、
支部長は、善意だとか、偶然津波が来たようなことを言っているわけで、
これでは納得がゆかないのは当然のことだと思います。

このような理由で、仙台支部長は、平成24年9月19日付審査会で、
非該当と請求を退けました。
このため、11月5日付で、両親は不服申し立てをしました。
制度上は、地方公務員災害補償基金仙台支部審査会に審査請求をした
ということになります。

ここでは、そもそも地震から30分経過し、10メートルを超える大津波が来る
との予想のもとで海に行かせたこと自体が危険な公務だ
宮城県の危険予測自体が、
荒浜地区の津波高がたかだか1m程度のものであり、
10メートルを超える津波の予想では、
危険区域であろうが、それに接している道路であろうが
関係はない。
目撃者はみんな亡くなっているのが常識だ
などという反論をしました。

ご両親も、大震災の2に前に大きな地震があったとき、大友さんから
「おかあさん、これより大きな地震があったら、僕は区役所職員なので、
家のことは投げ打って、公務にあたらなければならなくなるよ。
もしものこともあるかもしれないね。そうなってからでは、謝ることもできないから、
ちょうど良い機会だから、今誤っておくね。それから、今まで育ててくれてありがとう。」
と言われ、まさかそれが2日後に現実になるとは思わなかったという
エピソードをお話されました。

それでも、平成25年8月29日
仙台市支部審査会は、審査請求を棄却する裁決を下しました。
その理由が、
命の危険を冒してまで広報活動をしろとは命じていないから
というのです。

私はその夜眠れませんでした。

地震後30分して、さらに気象庁は10メートルを超える津波を予想して
その中を海に向かわせていながら、
命の危険を冒してまでやれとは言っていないとは、
なんの謂でしょう。
呆れるにも程があります。

このため、9月19日付で、
駄目でもともと、訴訟を覚悟して、
第3段階目の地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたのです。
駄目でもともとというのは、ここで逆転されたという例がないからです。

ここでも棄却されれば、次は裁判にするしかありません。

平成26年2月26日、
ご両親と私は、基金本部で口頭意見申述を行いました。
3人の審査委員の前でプレゼンをしたわけです。
原稿を書いていったのですが、
津波の写真や津波のあとの写真をパネルにして
審査委員に示しました。
急遽、地図を活用してビジュアルに訴えることに
力を入れました。
最後に、ここで認められなくても、必ずどこかで認められる事案だ
と強調しておきました。
負けても裁判やったら勝つよ、その時にどんな気持ちになるでしょう
という意味の言葉を心で叫びました。
やるだけのことはやった
ということになります。

そうしたら、昨日、事務所に大きな封筒があり、
基金本部からでした。
破って中を見たら、

主文
地方公務員災害補償基金仙台市部長が平成24年9月18日付をもって
再審査請求人に対して行った遺族法年金支給(特殊公務災害非該当)決定処分
及び地方公務員災害補償基金仙台市支部審査会が平成25年8月29日付をもって
再審査請求人に対して行った審査請求を棄却するとの裁決は、
いずれもこれを取り消す

という文字が記載してありました。
血が逆流しているかと思いました。

論理は極めて明快です。
1 被災職員は、本件災害発生時、避難広報活動を命じられ従事した時点から
  津波により死亡するまでの間において、特殊公務に従事する職員であった。

2 被災職員が避難広報活動への従事を命じられた時点で、
  津波の到達は客観的に予測される状況であった。

3 避難広報の開始時点でその危険性はさらに高まっていたことが客観的に予測される状況であった。

4 課長の、
  県道塩竈亘理線から東側に入らないで避難広報活動を行うこと、
  ラジオをつけながら行くことという 2つの指示は、
  危険回避という主観的判断にとどまるものであり、
  客観的に予測された危険性の判断を左右するものではない。

5  2、3、4から、被災職員は、生命又は身体に対する高度の危険が
  予測される状況のもとにおいて職務に従事したものと認められる。

6 種々の状況から、被災時点の目撃者がいなくても、
  広報活動を開始、被災時まで荒浜方面において同活動に従事していたものと認められる。

  支部長の処分、支部審査会の裁決は失当であって、取り消されるべきものである。

  喝采です。
  ようやく、公務員の被災時の公務に望む、犠牲的精神が認められた。
  ようやく、基金本部が、大震災があったことを認めたと思う瞬間でした。

  長くなりましたので、今日はここまで、次回は、この決定がでるにあたっての理由について
 考察します。

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ドイホー

特殊公務災害に該当するので、該当しないという決定を取り消したことになります。正確には、こうなります。実際の認定は、金銭的な決定を伴うので、遅れます。改めて特殊公務災害を正式に認定する手続きがなされるわけです。これは基金支部長の名前で決定されることになります。
by ドイホー (2014-06-13 17:38) 

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