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人を尊重しないシチュエーション 「役職」信仰 過労死防止の周辺問題 [労災事件]


例えば、友達同士で裁判劇でも見ようかということになり、
では、私が前売り券を買いましょうということになったけれど、
買いに行こうとした日に子どもが熱を出して、
配偶者も出張でいないなんていうことがあり、
これこれこういうわけで、買えなかった。
申し訳ないというと、
まあしょうがないなということになるわけです。

じゃあ、ちょっと遠回りになるけど俺買ってくるわと。
また当日券で見れば良いし、
最悪見れなくてもしょうがないわけです。

あそこは小さい子どもだし、
かみさんがいなければ慌てるしな
買い物行っているうち、
あの小さい子がひとりで寝ているなんて想像もしたくない。
なんて、その人のプライベートを
思いやることができるわけです。

ところが、営業課長とか担当者だと
こうはいかなくなります。
部長あたりから、
お前は課長だろう、
仕事と家庭とどちらを優先するんだ
と叱責されるかもしれません。

しかし、こういう時の上司なのです。
部長が行けるように常日頃心がけていればいいわけです。
交代できないのに、管理できるのか疑問です。
それはともかく

この時の課長の全人格が「課長」になってしまっています。
でも、子どもの唯一の父親であるということは
どこにも消えていかないのです。
しかし、会社で残されているのは、
「課長」という属性だけです。

こういうことは日常的に行われているのでしょう。
取引先から、注文し忘れたので、再配達を頼まれて、
お前は「担当」だから何とかしろということになるわけです。
行けば行ったで、なんで断らないんだと叱責するわけです。

本来は、上司が窓口で、丁重にお断りをするべきです。
ところが、担当者の携帯電話に直接電話がかかってくるので、
担当者としては断りたくても断れません。

お前は、「係長」だから、一般職のミスは責任を取れ
この無理な要求の調整をするのがお前の仕事だろう
ということになっていきます。

自分でも、自分は「工場長」だから、
営業のとってきた仕事を納期までに収めなければならない。
従業員は帰ってしまったのだから、
自分でやるしかない。

営業担当者は、自分がとってきた仕事だから
誠意を見せようと、
夜通し、工場にいたりしますが、
何も手伝いをしなかったりします。
自分は「営業」だから、油作業はしなくていいや
ということにでもなっているのでしょうか。

これは、会社の中だけでなく、
一般社会でもそうです。

スーパーのレジ係は
客を平等に扱わなければならないと
あとから来た客が、新しく空いたレジに
ずうずうしくならんだりすると、
レジ係を怒ったりしています。

なんで客がいるのに
従業員通しで楽しそうに話しているんだとか。

ファストフードの従業員のマニュアルを調べて、
客なのに、
マニュアルと違うなんて起こる人もいるらしい。
それは、会社内部のルールであって、
顧客に約束しているわけではない。

なんか、
しょうがないなということがなくなってるんですね。

こうすることが決まっていても
できないことがあるんです。
そのきまりが、
あらゆる場面を想定しているわけでもないし、
あらゆる場面を想定している決まりなんて
とても覚えきれるものではありません。

決まりの不具合、決まりの隙間というものは
必ずあります。

そして、その大きな要素となるものが、
その人の性格、能力、プライベート
人間である以上必ずあることなのです。
これはその人間によって違います。

それが無視されている。
誰がやっても同じにならなければいけない
という信仰があるように思います。

なるほど、誰がやっても同じクオリティということは、
ひとつの方法論かもしれません。
顧客の信頼につながるかもしれません。

しかし、それは理想であり、
すべてが理想通りゆかずに、
弊害や副作用が出てくるものです。

必ずしも末永い発展につながるのか
デメリットを検証しなくてはなりません。

たくさんの企業が数字だけを頼りにして
業務を縮小させています。
資金力の大きなところに負けるべくして負けています。

なかなか経営に向いている人は経営をしないようです。
数字は、あくまでも補助的なもの、
抑えの範囲で利用するものという意識に変えていかなければ
おそらく、資金力の大きな多国籍企業に飲み込まれてしまうでしょう。

企業理念を優先させ、
最低限を数字で抑え、
多国籍企業との競争の中で、
自分の陣地を広げていく
そのキーワードは「人間性の尊重」です。

役職信仰、会社信仰を捨てて
プラスアルファを発揮する環境を作っていくことこそ
会社経営の要諦です。

本来会社は、ともに利益が共通し、
同じ仕事をして生活を共にする仲間なのです。
どうして、人間らしい関係が築けないのでしょう。
おそらく、今の役職信仰の人間関係に
疑問もないのでしょう。

一番有効なのは、
セクションだけでも良いので、
家族ぐるみで顔を合わせる機会があること
かもしれません。

花見だったり、運動会だったり、

そういうことで、
いつも罵倒していた相手にも
その人を頼りにしたり、可愛がっている
家族がいるという当たり前のことに気がつくと思います。

悩み事を相談できるのは、相手に安心感がある場合です。
子どもを褒められたら嬉しいものでもあります。

役職信仰は、見直されるべきです。

社会も、不具合、遅れを
大目に見る心の余裕をもち合うと
本当は良いのだと思います

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