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「心のケア」という言葉にうさんくささ、疑問を感じたのは、結果の押し付けというつじつま合わせを感じたからかもしれない。心は客観的状況を反映した結果。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

心のケアという言葉は、
おそらく最初は、大きな事件や災害の際の話だったように思います。

今、新聞やネットで心のケアという言葉がない日がないくらい
大変な使われようだと感じています。
大切なことだよなと思う反面
どこか違和感を感じることも多くありました。

東北大震災なんかで使われているところを見ていると、
仮設建築の住宅の密集が
4年を経とうとしている今もそこここに残っています。
ここでも心のケアが言われています。

私自身が、「心のケア」という言葉に
はっきり違和感を感じた始まりでした。

「心」というものは、繊細でつかみどころがないもの
と思われているかもしれませんが、
例えば、支援だったり自死予防だったりの場合、
それほど複雑に考える必要はないと思います。
当たり前に考えるべきだと思います。

人は危険を突きつけられたら、
恐怖を感じ、萎縮したり、
逆に怒りを感じたりするわけです。
危険を排除することが必要となります。
これこそ求められる心のケアだと思います。

このような短期的な危険ではない場合はどうでしょうか。

たとえば人間関係の中で、
一人だけ仲間はずれにされ無視されたり、
執拗な攻撃が繰り返し行われたり、
みんなの前で、恥を欠かされることが繰り返されたり、
一生懸命行った努力が
全く評価されなかったり、
何も責任もないのに、仲間から追放される
職場だったら解雇されたり、評価が下がったり
不可能を強いられ、それを実行しない場合は
やはり追放される危険がある場合、

このように慢性的な、継続的な危険を感じた場合
そしてそれが改善される展望をもてない場合
生きる力を失ってゆきます。

「所属する人間関係からの孤立」

その結果家族などの「仲間に迷惑をかけるなどの負担感」

人間扱いされないことの(他人だけでなく自分自身でも)
繰り返しによる「命についての重みの低下の自覚」

この三点によって、生きる力が失われてゆき
緩やかに死を受け入れてしまうようになるわけです。

こういう場合の「心のケア」は、
対人関係の改善という、心の原因の除去が必須になる
ということは、誰でもわかることです。

心とは、このように、支援や自死予防の観点からは、
客観的に置かれたその人の状態の結果、
危険に対する反応と考えて良いと思います。
また、そのように把握しなければなりません。

原因をそのままにして、
心のケアをするだけでは
ほとんどの場合は何も解決しない
ということはわかりやすいことです。

こういう場合に心のケアをして
問題のある人間関係に送り込むことは
その人の状態を悪化させることも多いでしょう。

原因を放置して
投薬で眠らせたり、気分を高揚させることは、
負に向かうエネルギーを増大させたり、
薬に対する依存を進めるだけなので、
むしろ危険でもあることもわかりやすいと思います。

では、災害の場合はどうでしょう。
あるいは、その人の人間関係というよりも
家族が亡くなってしまったような場合。
対人関係の改善によって、「原因の除去」ができない場合です。

この場合は、「気の持ち方」を変えたり、投薬によるしかないのでしょうか。

私は、ここがポイントだと思うのです。

災害や身内の死亡、特に不慮の死亡の場合、
そのことを受け止めることも容易なことではありません。

自分自身の心がそれを否定したり、誰かに責任を負わせたくなることは
よく知られていることです。
自分の身内が死んだ場合を考えてもわかることでしょう。

例えば災害の場合、
大震災や津波、あるいは不意に起こった虐殺事件の場合、
日常を過ごしていて、前触れなく致死的な出来事が起きるのですから、
心は、安心を獲得することができません。

犬に襲われて心が傷ついた場合は犬に会わなければ良いのですが、
日常の何もない状態からの突然のできごとの場合、
安心を獲得する方法が、そのままではない場合があります。

このような出来事を忘れることはできません。

私は、忘れさせようとすることに、無理があるのだと思います。
また、自死遺族に対して悲しみを忘れさせようとすることは、
失礼でもあるのです。

ではどうしたら良いのでしょう。

まず、第1に、災害でも身内の死でも
当事者は、傷つき、対処が困難な状態にあるということを
理解し、承認することが大切だと思います。

「こんなに大変なのに、
日常生活を送らなければならない」
ということが負担なのです。

率直に言って、平成23年4月7日の朝、
被災地ではそう思った人が多いのではないのでしょうか。

自分なんて、津波のあった人たちに比べれば
大変ではない
と思うことが、更なる心の疲労を作ったと思います。

みんなそれぞれ大変な状態にある
ということが真正面から尊重されて、
それにふさわしい対応を周囲が行うこと
これが第1だと思います。

休むことを認めるべきです。

第2は、二次的な被害を生まず、
被害を最小限度にすること。
震災であれば、その人の生活状態を
できる限り楽なものにしていく。

震災であれば
住居の名に値するところに住み
必要なプライバシーを守り、
買い物や医療などの便をよくする。
いろいろなことがあるでしょう。
まずはこちらに力を入れていただきたい。

震災以降の心の危険に対する新しい反応を作らない
ということが、まず目指されるべきでしょう。

それなくして心のケアばかりをいうことは
本末転倒であると感じます。

第3が、人類が群れを作る動物であることを利用することです。
人間は20万年も規模しい環境で生き抜くような対応を続けてきました。
そのひとつが群れを作るということです。

「悲しみや苦しみは続いていたとしても、
自分を支えてくれる仲間がいる」ということが
このような人類にとって心の効果を育んできたと思うのです。

「どんな苦しいこと、悲しいことがあっても
自分には仲間がいる」
「絶対に自分を見放さない安心できる群れに帰属している」
ということは心にとって有益です。

出来事を否定するのではなく、
新しい安心感を獲得するということを目指すということです。

そして、さらに、自分が支えられているだけでなく、
「自分が群れに何らかの貢献をしている」
そしてその貢献を評価してもらっている
ということが、安定的な「帰属」の感情を高めるでしょう。
さらに「心」にとって有益であるはずです。

このようなコミュニティー作りこそ、
人間にとって自然な「心のケア」なのだと考えるのです。

外部の人間はやがて去っていきます。
その人たちが心を支えることには限界が大きすぎます。
コミュニティーを作り、
そこで支え合う、助け合うということこそ
目指すべき「心」のケアなのだと思います。

「心のケア」は、専門家が行うものではないのだと思うのです。
専門家は、コミュニティーが機能するように
コミュニティーという自然治癒力を高めるための
補助なのだろうと考えています。
そのように自覚するべきだと考えています。

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