SSブログ

最近SNSで拡散されている「感動話」で、自分が加害者に足して容赦ない報復感情を抱いたことに驚いた話。やっぱりちょっとおかしいんじゃない? [事務所生活]

フェイスブックなどで、ちょっといい話みたいな形で
拡散されている話があります。
フェイスブックをやっている方なら、
「ああ、あの話か」と思い当られると思います。

私がおぼえているのは、
一つは、バスの中で赤ん坊と一緒に乗った母親に対して、
周囲の女性がつらく当たったところ、
バスの運転手が、つらく当たった女性に対して
バスから降りるように言った話、

飲食店で行列して待っていた人が、
中年女性が割り込みをしたところ、
その前にいた男性が
その割り込みされた後ろの人たちを
前に呼び寄せて割り込みの意味をなくさせたという話、

カップルで電車に乗っていて
障碍者の人を女性がの法が「ヤバイ」といったところ、
男性が「そういうことをいうお前のほうこそヤバイ」
といって席を立って別の車両に行ってしまったという話。

そのほかにも、何か弱いものが攻撃されていて、
誰かが一喝して事態を収拾させたという一連の話です。

共通項は、ハリーポッターのように、
最初、弱いものがいじめられるのですが、
救世主が現れて、胸のすくような解決となり、
攻撃者が制裁なり報復をされるというところです。
そして、誰の体験なのかはわからないように
なっているというところも共通でしょうか。

最初は、私も感動して、いい話だなと思って読んでいました。
でも、だんだん、心に引っかかるものが出てきて、
最後の電車のカップルの話で、ようやく目が覚めました。

カップルの男性、あなたは恋人を評価する評価者なのか、
たった一言の誤りで自分とは違うということを
アッピールするのか疑問が大きくなりました。

そうして、これまでの「感動話」を振り返って考えてみました。

それぞれ、弱い者の立場にたって、寄り添っているようにみえます。
それに対して不快な感情を読み手は持ちます。
その弱者を守りたいということは人間の心理であり、
否定されることではないでしょう。

問題は、和解がないということです。
攻撃者を容赦なくたたき、反論できないところに
喝采を挙げてしまう読み手の心理です。

報復は本当に正しいことだったのでしょうか。

乗客に降りるように言ったバスの運転手は、
そこまでする権限があったのでしょうか。
注意して、和やかな車内にすればよかったのではないでしょうか。

割り込みは不道徳ですが、
そのことに正面から注意しないということも疑問です。

電車の彼氏に至っては全く共感できません。
そもそも「ヤバイ」という言葉は、
本当に差別を表していたのでしょうか。
彼女のの不安が表現されていたと感じることは
できなかったのでしょうか。
どうして優しくたしなめることができなかったのでしょう。

話は、面白ければよいのかもしれません。
ここで、改めて気が付いたのは、自分が、
子連れの主婦だったり、横入りされた人だったり、障碍者だったり、
弱者に対して肩入れをすればするほど、
攻撃者に対して容赦ない感情を抱いていたことです。
私の心は誘導されてしまっていたという事実に驚きました。

いずれの場合も、
教えてあげるという作業こそが必要だったはずです。
相手を叩きのめすことは必要ではなかった。
特に、SNSで読んでいるだけの私が、
怒りを持つ必要は何もなかったのです。

人を悪と決めつけることは愚かなことです。
行為を是正すれば済むことです。

対立する当事者の中で、一方に肩入れすることが、
他方に対して残虐な感情を抱いてしまうということ
を常々言っていたのにと思うと
良い体験だったように思います。

被害を受けた人がいる、被害者に寄り添う、
そのことが他方の人間を無条件に攻撃する
ということになってはならないと改めて自戒しました。

人は成長する。
意見は真正面から言おう。
同じ決めてかかるなら、
人間は成長するものだと決めてかかろうと思います。

一見感動、共感するものにも注意が必要かもしれない
と思えてきました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0