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「ハムとわさび」パワハラの被害者は、パワハラにも、精神的に追い込まれていることにも気がつかないという小説形式の説明 [労災事件]

「ハムとわさび」(パワハラの記事を書いたところ、理屈くさく、かつ、長文のため、自分でも見直したくなくなったので、小説の形にしてみた。)

「おい、後藤。」
とりあえずの生ビールの乾杯の後、宮森がこらえきれないように突然切り出した。
「お前なんだって、中元のハムの詰め合わせのセットに、生わさびなんか入れようっていう企画を出したんだよ。所長にこびを売るようなことをするのは、やめろよな。」
 そう言いながらも、宮森の声は、どこか柔らかかった。にらみつけるわけでもなく、お通しの枝豆の皮を押したりへこませたりしていた。
「いや、実際、俺も試してみたよ。好きな人は絶対気にいるって確信したから提案したんだよ。所長の息子の会社っていう、安定した供給先もあるし・・・」
 宮森は、落ち着いていた口調だったが、後藤の反論を最後まで話させなかった。
「だからね。なんで、お前が、所長の子どもの会社のことまで考えて発言するんだってことなんだよ。」
 その日の飲み会は、会社から駅二つ離れたところの居酒屋だった。名前こそチェーン店だが、各店ごとのオリジナルもあるようで、手料理っぽいつまみも充実していた。高校の同期が4人集まった。いつも飲み会には参加しない宮森が呼びかけたということで、後藤。不動産業を営んでいる田村、二人の取引先のスーパーのチェーン店で仕入れを担当している涌井の4人が集まった。
 ゴールデンウイークの谷間の平日ということで、いつも満員の店内には空席も目立っていた。
 宮森と後藤は同じ食品メーカーの従業員だが、宮森は東京の私立大学を出て、本社採用となり、後藤は現地採用で、仙台営業所一筋だった。宮森は、この4月に、10年ぶりに仙台に転勤してきていた。遅い歓迎会のつもりで集まったが、少し事情が違うようだった。
「生わさびっていうと、パッケージにするなら、湿度の管理とカビ防止の対策をとらないといけないよなあ。しかし、ラインに載せるほどの売り上げは見込めないから、明らかにコスト高だな。」
 不動産業者の田村は、さすがに事情通である。後藤の様子がおかしく、心配をしなければならないことに気が付いて、少し柔らかく問題提起をした。後藤は、逃げ場を探すように目を泳がせながら話し出した。
「わさびの売り上げは、所長にとって、大事にしていることなんだ。」
「だろう。だから、そこが問題なんだ。翼食品の売り上げをあげる会議でさあ、所長のプライベートの事情なんか考えている場合じゃないんだよ。所長の顔色をうかがいながら、会社の利益より上にすることは間違いなんだってわからないのか。」
「いや、わさびは、はまればはまる。新規性もあるし、会社に関係のない話じゃない。」
「ちょっと話が見えないんだけど、宮森さあ、会社の会議の延長戦をここでやろうっていうんじゃないだろう。もう少しわかるように言ってくれよ。」
 涌井は、昔から、誰かが弱い立場になると、無条件でかばうところのあるやつだ。
「おお、すまない。そりゃそうだよな。すまん、すまん。二人を呼んだのは、会社のためじゃないよ。もちろんだよ。」
 居酒屋の従業員が、モツの煮込みと焼き鳥の盛り合わせを持ってきた。宮森は、一旦話を中断した。そうして、静かに、衝撃的な話を始めた。
「いや、実はな。後藤が、所長からパワハラを受けているんだ。」
田村と涌井は驚いた。しかし、その二人から、一歩遅れた後藤が一「えっ?」と一番大きな声を出した。宮森は、再度店内を見渡して、見知った顔がいないことを確認した。
「本社でも噂になっていたんだよ。仙台営業所の所長がパワハラをしているって。被害者が後藤かもしれないと思って心配していたら、案の定だったというわけだ。」
 これに口を挟んだのは涌井だ。
「あれ?でも、後藤は、仙台営業所では断トツの成績のはずだな。部下からも慕われているし、模範社員ってことでいいはずだ。パワハラなんか受けるのか。」取引先の涌井だから知っている話だ。
「それがな、パワハラって、実力トップの部下が、薄っぺらの上司から受けることが多いらしいんだ。あの所長は、ずうっと総務畑だったんだが、よいしょだけで所長まで上り詰めたやつなんだ。だから営業のことはまったく自信がない。従業員も、わからないことがあると、所長ではなくて、後藤に相談しているんだ。誰も所長を馬鹿にしているわけではないんだが、所長はそれが面白くなくて、自分の方が能力が上だってことを、部下たちに見せつけようとして、些細なことを取り上げて、何十分も説教していたらしいんだ。
「うん。確かに後藤は、こっちの注文し忘れがあると、わざわざ出先から会社に戻って、届けてくれるんだ。それで、所長に怒られたって、言ってたことがあったな。」
涌井が話を継いだ。
「これ、みてくれよ。後藤が所長に出した報告書だ。単なる事務連絡文書なんだが、こんなにびっしり添削されて、書き直しを命じられたんだ。みんなに聞こえるようにな。」
「こりゃあひどいな。こんなこと気を付けて書いていたんだったら、時間がいくらあっても足りないな。ここなんで・・ああ強調線を一本引いたら二本にしろってことか、カッコだって普通のカッコの方が意味通じるだろう。添削後の方がかえって意味が通じにくいな。」
「だろう、田村。パワハラだから、合理的理由がある指摘ではないんだ。
「じゃあ、ただいたぶっているだけか。」
「結果としてそうなるが、所長本人は、そのことを自覚してやっているわけじゃない。それだけに、自分の行き過ぎた発言を止めようとするきっかけもなくて、止められないんだ。だんだん興奮してきてエスカレートしてくるんだ。
「宮森、それをただ見ていたのか。」
 そこで、後藤が口を開いた。
「いや、涌井、所長は、宮森が怖いようで、宮森の前ではそういうことはしない。宮森が来てからだいぶ良くなったんだけど、宮森がいないところではやっぱり怒鳴られる。」
「そうなんだ。あれ、後藤さあ、さっきわさび云々って言っていたけど、それって、後藤が所長に気にいられて怒鳴られないようにするために、機嫌を取ろうとしたってことか?」
 後藤は、何かを言いかけたが、つくねの串を持ったまま、テーブルをにらみつけていた。変わって宮森が口を開いた。
「いやあ、俺もさっきはじめてわかったんだけど、こいつ、自分がパワハラを受けていいたことに気が付いていなかったんだよ。意味のない攻撃だったのを知らないで、真正面から受け止めて考えていたようだ。」
 後藤は、力が抜けたような顔をして、話を継いだ。
「なんか、理不尽だなあとは思っていたよ。誤解しているのかなと思って、説明しようともしたさ。
「わかったよ。そりゃあ、火に油を注いだんだな。営業のことを知らないと馬鹿にされたと所長は受け止めちゃったんだな。ますます逆上しただろう。」
 田村は飲み込んだようだった。
「ああそうだ。あの時は2時間立たされて怒鳴られ続けた。ほかの同僚もだれも帰れないでさ。悪いなあって気持になって上の空になっていた。それがますます気に入らないみたいで、8年前の忘年会の話まで持ち出されて、一事が万事なんて言われてさあ。きつかった。何度も何度も同じ話を繰り返してさ。
「そうだよな、あの所長、前は次長で仙台営業所に来てたんだよな。俺の店にもあいさつに来たな。」
「だれも止めないのか。」
「ああ、次は自分だって思うだろう、誰だって。それはわかるよ。」
 宮森が切り出した。
「でもな、そういう傍観者が傍観を決め込むから、被害者は、やっぱり所長が正しくて、自分が悪いのかなと思うようになっていくんだよ。
「そうか、やっかみだったんだ。」
 後藤は、自分の世界にまた入ったように誰に言うでもなくつぶやいた。
「こういう真面目な奴なんだ。だから、所長の言うまともな社員になろうとつい努力してしまうんだよ。所長の言うことなんて、ただ攻撃すればいいだけのその場限りのことなのに、真面目に考えるから、それを真に受けて行動しちゃうだろう。ハムにわさびなんてトンチンカンなことになるから、どんどん怒鳴り散らしの種が増えていくだけさ。」
「そうか、やっかみだったのかあ。」
後藤はまたつぶやいた。
4人は、最初のジョッキを空にした。それぞれ酎ハイを頼み、ピザとソーセージの盛り合わせを注文した。
レモンサワーに口を付けようとした田村が、ジョッキを置いた。
「じゃあ、わさびって、所長にこびへつらうという単純なものではないのかもしれないな。もしかしたら、知らないうちに、所長ならどう考える、所長は何を話してもらいたいかなんてことを考える癖がついて、思わずそんなことを考えてしまったのかもしれないな。」
「うーん。それが近いなあ。」
パワハラって、やってる方も、被害を受けている方も、それと気が付かないっていうことは聞いていたよ。本当だったんだな。でもまさか後藤が当事者になっているとは驚いたよ。」
「おい宮森。どうして、お前そんなことを知っているの。所長がパワハラをしていることは見ていないんだろう。」
「田村、そこは気が付かなくていいとこだよ。もう仕方ないな。聞いたんだよ。パワハラを受けている後藤の姿を見ていて何もできなかったという人からこっそり教えてもらったんだ。この報告書も、その人がゴミ箱から取り戻して、何かの証拠になるんじゃないかとしまっていたんだ。その人は、後藤を慰めようとしていたんだけど、そのたびに後藤は、それをはねつけていた格好になるんだよ。」
「その人はどうして、宮森と連絡を取ったんだい?」
「今度は涌井か。勘がいい奴らだな。うん、それは、ほかならぬ後藤から話を聞いて、その人のことを知っていたんだ。だから、こちらから連絡を取った。追い込まれているときは、援助しようとしている人が必ずいる。でも、追い込まれている方は、その出来事を覚えているのに、その人が自分の味方であることに気が付かないんだ。
「あれ、じゃあ、宮森は、後藤を助けるために仙台営業所に来たの?」
 その時、ピザとウインナーの盛り合わせがテーブルに運ばれた。
「うん、そうでもあるし、そうでないともいえるな。というのはさ、社長の肝いりでさあ、最近そういう仕事をしているんだよ。例の非常勤顧問弁護士の入れ知恵でね。」
「あれ、前のパワハラ裁判の弁護士かい。あの裁判会社が負けたんだよね。」
「いや、その相手方の労働者側の弁護士だよ。社長が裁判所で話して、えらい気に入っちゃってさあ。実際弁護士の言うようにしたら、経費がかからないで、最悪だった営業所が息を吹き返したところがいくつか出てきてさあ。力入れているんだよ。だから、俺が来たのは、業務命令なんだ。ここだけの話だぜ。だけど、後藤だから大丈夫だと思っていたんだけど、今日を話してみたら、パワハラを受けているってことも、意味のない攻撃を受けていたってこともわからなかったってことで、俺もひどく驚いた。」
 涌井が聞いた。
「これからどうするんだ。所長を懲戒するのか。」
「そう単純にはいかないだろう、所長を任命したものの責任もおとがめなしにはいかないし、かといって所長の家族の生活もあるしな。転勤は免れないだろうけどな。
「俺も、まだ、腹に落ちているわけではない。でも、頭ではわかってきたような気がする。全部うそだったっていうか。」
「だけど、苦しんでいたことにも気が付かなかったような気がする。仕事は楽しくなかった。会社来るのがつらかった。今はじめてそれがわかった。」
働くのが楽しくないって、やっぱ、どこか間違っているんだろうな。
「あーーー!」
「どうした後藤。頭おかしくなったのか。」
「俺、だんだん腹立ってきた。」
「今まで腹立ったことなかったのか?」 
 涌井が後藤の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「腹立たせる前に、何とかしなきゃって思っていて、それが苦しかったのかもしれない。でも、やっかみなら怒っていいよなあ。田村、さっきからなに黙ってソーセージ見ているんだ。」
「ソーセージって、マスタードだよな。これチューブのわさびだろう。」
「本当だ、やっぱりわさびがトレンドだったのか?」
「どれどれ。」
「いや、本わさびならあうかもしれないけど、こりゃやっぱり違うだろう。牛タンなんかはわさびおろして付け合わせにすると高級品になるぜ。」
「おおーい、わさびじゃないのこれ。」
 通りかかった店員を後藤が呼び止めた。
「すいません、間違えました。今マスタードお持ちします。」
 店員は走ってマスタードを取りに行った。
「ばっきゃろー、わさびでソーセージが食えるか。」
「そうだそうだ。」
 店員はクレームを付けられるかと戦々恐々としてテーブルにマスタードのたっぷり乗った小皿を置いた。ありがとうと言われたのでほっとして立ち去ろうとした。4人が、楽しそうにわさびの悪口を言って盛り上がっているのを、不思議そうに少し振り返って見ていた。


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