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「総務部特命課仙台支所」前篇(パワハラ裁判の終結と企業の小説形式の主張) [現代御伽草子]

== 総務部特命課仙台支所 ==

 仙台駅から10分もかからず、タクシーは仙台地方裁判所に到着した。全国チェーンとなった翼食品の社長本田啓次郎は、裁判所の建物越しに空を見上げた。朝に振っていたらしい雨も上がり、雲が動いていた。社長直々の裁判活動ではあるが、裁判自体はすでに負けが確定していた。長年苦楽を共にしていた飯島弁護士は、労働災害の案件に不慣れなだけでなく、十分に年老いていた。
 裁判官からは、数千万円の和解金が提示されており、判決を選択しても金額が下がることがないことも告げられていた。それはもういい。問題は、相手方弁護士が提示してきた和解をする条件として、金額とともに、和解終結の共同記者会見をするという点だった。相手方弁護士の言い分は、敗訴してマスコミに取り上げられるより、再生するという宣言で取り上げられたほうがいいだろうというものらしい。これは、屈辱であり、イメージが良くなるどころか悪くなることも十分考えられるし、取締役会でも賛成するものはいなかった。
 本田は、東京で弁護士をしている甥の本田健司に頭を下げて、裁判の記録を見てもらった。飯島の訴訟活動は、有利になるようなものはなく、むしろ原告ら遺族を挑発して感情的にさせるという最悪なものだった。本田は、70歳を過ぎたあたりから引退の準備を始めていた。日常の業務は長男の信孝に任せ、各部署の責任者の判断を尊重していた。裁判を担当していた総務部長は、大本営発表を繰り返していたため、会社も油断してしまっていた。
 本田は、思うところがあり、今回は自ら出馬するとともに、お供を総務課庶務係長宮森祐介だけにして、飯島弁護士と3人で裁判に臨むことにした。周囲の助言もあったが、「敗戦処理だから二人でよい。」ということにしていた。
 本田は、緊張もあったが、ひそかに期待もあった。原告代理人の大佛弁護士と話がしてみたかったのだ。大佛は、総務部長に言わせると血も涙もない弁護士だが、甥の本田健司弁護士の評価はだいぶ違っていた。この裁判の負けは、ピンチではなく、新しいチャンスだ。本田啓次郎の半世紀にわたる経営の経験が、そのような予感をさせていた。
 3人は、中途半端な時間があったが、他に休むところもないので、和解室に入ることにした。10人くらいが座れる大きな丸テーブルと椅子、部屋の片隅の傍聴席らしい椅子のほかには特に何もない殺風景な部屋だった。ほどなくして、大佛が部屋に入ってきた。機転を利かせた宮森が、「本日は社長が参りました。」と紹介した。大佛は一度席に座っていたが、腰を浮かせて静かに一礼した。本田は、礼儀正しい男だという印象を持った。総務部長の印象よりも健司の印象の方が正しいらしい。こういう時は、駆け引きではなく相手の懐に飛び込むに限る。
「先生。和解案読ませていただきました。」
 飯島は、まだ時間前だという表情で、本田の発言を止めようとしたが、本田は聞こえないふりをすることとした。
「この裁判は、当社に非があることは、社長として、認めなければならないと思っている。」
 大佛は、予想に反して驚きもせず、深く頭を下げた。こちらの事情を一瞬で飲み込んだらしい。
「その上でだが、共同記者会見だけは勘弁してもらいたい。」
 大佛はうなずいて話し出した。
「共同記者会見を言いだしたのは、遺族の意向もあるのです。確かに、世間に向けて公表したいという気持ちもあります。ただ、真意というのは、自分たちと同じようなつらい思いをすることを、御社において無くしてもらいたいという前向きの気持ちの方が強いのです。社長さんが、そこまでおっしゃるのであれば、共同記者会見にこだわる必要はないかもしれません。」
 本田が、大佛の話を値踏みしているとき、裁判官が和解室に入ってきた。
「すいません。遅くなりました。今日の被告側の出席者は、どなたですか?」
「社長の本田です。」
「これはこれは、遠いところありがとうございます。それでは、原告の提案に対する被告側の回答というところでしょうか。別々にお伺いしますか。」
 大佛が、個別の話の前にということで、裁判官が入る前のやり取りを要領よくまとめて報告した。
「被告側もそれでよろしいですか。」
「その通りです。」本田が言った。
「はいそうすると、今後過労死を出さないための具体的な方策ということですね。」
「裁判官よろしいでしょうか。」
「はい、社長さんどうぞ。」
「総論的には、私も賛成なのです。ただ、具体論を考えるとこちらも企業としての性格もありますし、理想と現実ということがあるわけです。ただ、作る以上、実効性のあるものを作りたいと考えておるんです。少し時間をいただければと思うのです。」
「原告代理人どうですか。」
「大変ありがたいことだと思います。ただ、いつまでもとなると裁判所にもご迷惑をおかけしますし、気になるところもありますね。私は、企業の性格のためにもなると考えているんです。」
「裁判官としても興味があるのですが、企業イメージということですか。」
「いや、会社ですから営利ですよ。まあ、弁護士風情ですから、わかったようなことをとお叱りもあるかもしれませんが、その意味は、会社をここまで大きくされた社長さんの方がよくわかると思うんです。新しいことをやるというより、昔に少し戻してやるということなのかもしれません。」
「ちょっと、5分だけお時間ください。」

 本田啓次郎、宮森祐介、飯島弁護士の3名は手狭な控室に入った。
「宮森君、君は仙台出身だったな。しばらく仙台営業所で働くことはできるか。」
「裁判と関係があるのですね。」
「うん。少し、会社の全体像を見直すため、検討チームを作る必要がありそうだ。私と信孝付きとして、先陣を切ってもらえるとたすかるな。場所を仙台にする。営業担当になるわけではない。仙台営業所のスペースを利用するということだな。」

 再び和解室に入った本田は切り出した。
「失礼しました。ご提案なのですが。次回の期日までに、どうでしょう。裁判外で少しご指導いただけないでしょうか。宮森を仙台営業所に張り付かせますので。」
「うーん。そこまでおっしゃられて断るわけにいきませんが。」

その日の裁判は、次回期日を約2か月後に決めて終了となった。

後篇に続く。


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