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時間がないと焦る理由 焦るというのはどういうことか 焦りを抑える方法 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

時間がないと焦る理由 焦るというのはどういうことか 

1 問題提起

 同じ量の仕事をしていても、時間に余裕があるときは、自分で、よし、この仕事をしようと思っていやっていますから、割とスムーズに仕事が進みます。乗ってくるとスピードも上がり、クオリティも高いように思います。これに対して、時間がなくて、やらなくてはならない仕事は、なかなか進みませんし、同じ量の仕事をしても、結局、時間はかかるし、気ばかり焦るということで、クオリティも低くなるように思います。
 時間がないと焦ってしまうわけですが、焦らなければまだいいようにも思えるのです。どうして焦るのでしょう。焦りをコントロールする方法があるのでしょうか。今日は、少し、その辺を考えてみたいと思います。

2 焦りとは太古から続く、危険から体を守るしくみ

 まず、「焦り」とは何かということを考えてみましょう。
 焦るとどうなりますか。ドキドキする、カーッとなってしまう。落ち着かなくなる。不安になる。イライラしてくる。考えがまとまらなくなる。いろいろあると思います。これを一言でいうことができます。交感神経の過剰な興奮ということになるのです。
 交感神経という言葉が出てきましたが、ここでは、敵から逃げたり、敵と戦ったりするために使われる神経と押さえておきましょう。副交感神経は、仲間の中でゆっくり休むための神経ということになります。イメージは、テレビや漫画で見た原始人あたりがわかりやすくてよいと思います。
 戦ってもかなわないマンモスとか、オオカミ、クマに遭遇した場合、まずは逃げますね。必死で逃げます。このためには、走ったり、木によじ登ったりするのですから、筋肉が活発に動くことが必要となります。小さな犬とか、キツネとかそういう敵ならば、逆に怒りに任せて戦ってもよいわけです。この時も、腕力など筋肉が活発に動くことが必要となります。この場合も、全力を尽くさないと、戦いに負けてしまうことがあります。
 そうすると、体を動かしやすい方が有利なわけです。脈拍が上がり、血圧や体温が上がり、じっくり考えるよりも行動に移してひたすら逃げる。これは脳のある部分が危険を感じた場合に、このような状態に体を持っていくような仕組みがあるからです。人間に限らず、動物にはこのような仕組みがあるようです。このような仕組みがうまく作動する動物の遺伝子が子孫を長らえさせ、私たちが生まれているわけです。
 焦るということは、危険を感じた場合、特に逃げる場合に必要な体の仕組みということになります。逃げると決めたら、余計なことを考えないでひたすら筋肉を動かして逃げる。これが大事です。余計なことを考える余裕があることは、逃げるためには、むしろ邪魔となります。考えさせないことが体の仕組みとしては自然ということになります。
 もっとも、逃げるときにもいろいろ考えるじゃないかという指摘はあるでしょう。ただ、オオカミやクマが近くにいていち早く逃げるとき、じっくり熟考しているわけではなく、勘のようなもので、瞬時に行動を決めているはずです。
 ところで、何かの事情があるために、逃げられないという場合があります。この場合、逃げるということは、安全な場所に移動するということですね。安全ではない場所にとどまるということです。穴の中に逃げ込んでしまったけれど、穴の外にクマがいるかもしれない。木の上に上ったけれど、下でオオカミが待っている。ドキドキしたり、イライラしているわけです。相手が絶対的に強い熊なんかの場合、ドキドキというか恐怖が支配するでしょう。きつねとか牛とか、自分一人ならば逃げたり戦ったりできるけれど、子どもと一緒だとか、簡単に行動できない場合で、でも差し迫った命の危険とまでは言えないという場合はイライラするかもしれませんね。

 焦るというのは、このように一目散に逃げる直前の精神状態ということになるのだと思います。逃げ出せば、恐怖心はあるものの、ただ逃げるのみです。

3 現代社会と不合理な焦り 二つの異なった危険 

 だから、現代社会において、焦る場合も、余計なことを考えないで逃げようとするからだの仕組みが発動されています。ところが、現実は逃げられないわけです。走って逃げても何も解決しないことはわかりきっています。ずうっとドキドキ、イライラしているわけです。いつまでかというと、危険が過ぎ去ったということで安心感を獲得するまでです。安全な状態になっても、しばらくドキドキが収まらないのは、危険が去ったという認識があるだけでは足りず、認識として、自分は安全な場所にたどり着いたというものが必要で、それは現実よりも少し時間がかかるということだと思います。客観的に危険がなくなっても、安心感を獲得できなければ、ドキドキがおさまらないことになります。また、一旦安心感を獲得しても、客観的に危険がないのに、危険を脳が思い出しただけで、ドキドキ感が出てくるということもあるわけです。

 ところで、われわれは、現代社会において、何に危険を感じているのでしょう。すでに日本においてはオオカミも絶命し、街で生活している以上、野生のクマも目にすることはありません。差し迫った命の危険が蔓延しているわけではありません。
 もちろん、中東情勢や日本の近くでの情勢問題、原発問題や震災被害など、危険な要素がありますが、それらの問題はまたおいておきます。
 通常の生活をしていて、例えば学校で、職場で、家庭で、日常生活においても焦るということが頻繁に見られます。私たちは、何に焦っているのでしょう。あるいは、何に危険を感じているのでしょう。

 対人関係学は、人間が感じる危険は二種類あると考えています。
一つは、動物として感じる自分の体、命に対する危険。先ほどの交感神経の活性化は、命の危険に対する防衛手段としては、とても合理的な仕組みだと思います。
 もう一つの危険は、対人関係から離脱するという危険です。簡単に言いますと、人間には、どこかに所属していたいという本能的な要求があると考えます。原始人の時代を考えれば、一人で生きていくということはおよそ不可能だったわけです。一対一でオオカミ襲われたら生き延びる手段はなかったでしょう。食料の調達もおぼつかなかったわけです。ただ、比較的中型の動物である人間は、群れを作るということで、大型動物や猛獣もから、襲いにくい種類の動物となり生き残ることが可能となったと考えます。だから、現代生き残っている人間の末裔である我々には、群れを形成し、群れに協調する仕組みが受け継がれている。逆に言うと、群れに協調する仕組みを発揮できない先祖たちは、子孫を継ぐことができなかったと考えるわけです。
 では、群れを離脱しなければならないことについて、どうやって危険を感じて、どうやってそれを防止していたのでしょう。
 危険を感じる仕組みとはどのようなものでしょう。実は、これは、体や命の危険を感じる仕組みと全く同じなのです。もちろん、危険をとらえる方法は、体や命を守る仕組みにおいては、目で危険なものを確認したり、耳で猛獣の唸り声や仲間の悲鳴を聞いたり、においで野獣や血のにおいを感じたりしていたわけです。いわゆる五感の作用で事実を感じます。その事実を脳の部分で、危険だと判断し、脳がホルモンの分泌を体に命じ、その結果、脈拍が上がる、血圧が上がる、体温が上がる、内臓に流れている血液の多くを筋肉に回すという体の変化が生じるわけです。意識としては、焦ったり、カーッとなるわけですね。
 これに対して、群からの離脱は、後天的に覚えていく他人の言動、あるいはその場の空気などから危険を感じます。群の仲間の感情への共感や共鳴によって、自己に対する憎悪とか敵対心とかを感じ取るわけです。
 危険を感じ、危険を脳の部分が判断したのちは、実は、人間の対処方法は、体や命の危険を感じた場合とまったく同じということになります。交感神経が活性化されるわけです。合理的な反応とは言えませんね。
 待ち合わせ時間に送れそうになったり、納期までに仕事が終わらなかったり、テストの終わりの時間が迫っていても、今の時代、ひたすら走って頑張って何とかなるということはあまりないでしょう。不合理なのです。しかし、このような危険を感じると、同じように体が反応しますので、不安を感じて、なんとかしなければという気持ちになるわけです。走って逃げるわけにいかないのですから、具体的に不安を解消する肉体的な行動があるわけではないために、危険がそばにいるのに何もできないというドキドキ感やイライラ感が起きることになります。いつまでも焦りが続くわけです。むしろ対人関係では、焦るよりも、じっくり腰を落ち着けて考えた方が、うまくいくと思うのです。しかし、人間が用意した仕組みは、何も考えずにひたすら本能のままに逃げるための体の変化を提供してしまうわけです。不合理であることは間違いありません。

4 対人関係の焦りのデメリット、時間がないという感覚は命の危険の感覚
 
 時間がないということで、イライラしたりしていると、人間は人格が変わることがあります。いつもは穏やかで面倒見の良い人だって、時間がないときは、仲間の行動に余計いらいらすることがあるでしょう。相手は、こちらがイライラしていることを敏感に察するので、ますます動作がぎこちなくなり、悪循環になってしまうこともよくあります。
 いつもは、エレベーターの扉を開けてにこやかに誘導する人が、時間がなくて、早く目指す階につきたくて、乗ろうかどうか迷っている人に冷たくするなんてこともあるでしょう。通常ならば、先に順番を譲る人が、急いでいるので、割り込んだり、割り込んだ人を怒鳴りつけたり、そういう例は、私自身を振り返ってもあると思います。
 
 ところで、どうして、時間がないと焦るのでしょうか。このような場合、原始人が感じたときのような、命の危険は通常はないはずです。
 それはおそらく、時間がないという感覚は、急がなければ命の危険がないという感覚なのだと思います。要するに、事態と感覚のミスマッチということです。原始時代の頃の時間がないという感覚を感じるときの「時間」は、助かるまでの逃げ切らなければならない時間というリミットだったと思われます。現在は、時刻が迫っているということなのですが、その意味を正確に把握する、つまり、時間に遅れた場合にこうむる不利益の検討を正確に行うことができないのでしょう。時間がなくって来ると、無条件に命の危険がある場合と同じような交感神経が発動されてしまうのだと思われます。本当は、軽く文句を言われるだけなのに、後ろから背中を噛みつかれてしまうような、そんな焦りの反応が出現してしまうわけです。それで、ますます不利益の程度を大きく見積もってしまうということだと思います。また、対人関係上の危険、即ち特定の群れからの離脱という抽象的な危険の、身体的な危険に置き換える仕組みが、危険の程度に応じた反応というわけにはいかないところも大きな理由だと思われます。
 このように、命や重大な健康にかかわらないことにもかかわらず、時間がないのに焦るということは、もともとの客観的な心配を解決するためには合理的なものではありません。むしろ、焦りを無くしたほうが、危険の回避のためにはうまくいくはずです。なんとかして、焦りだけを取り除くことができないのでしょうか。

5 焦りの抑え方は、自分自身の体を感じること、危険の中身を吟味すること

 ある程度、焦りを抑えることはできると思います。今まで述べたような焦りの怒る仕組みを利用することです。
 第1に、端的に、命の危険がないということ認識すること。命の危険を感じているような反応をしているのですから、命の危険がないということを脳が判断することによって、焦りが消えることを期待しうるからです。
 体や命の危険を感じるべき事実を五感で感じるといいましたが、五感でこれがないという事実を脳に伝えるべきです。この時に一番活躍いてくれるのは皮膚感覚、触覚です。すでに危機意識を感じていますので、視覚や嗅覚はあまり機能していないことが多いです。感覚を自覚するのは触覚が一番です。深呼吸という確立された方法もあると思います。これは、肺で酸素と二酸化炭素を交換することに意味があるのではありません。空気が口から気道に入る感覚、空気が入って胸が膨らむ感覚、気道を出て、口や鼻を通る感覚、皮膚感覚を感じることが必要なのです。この感覚は、自分が安全だという意識を脳が判断することを大きく後押ししてくれます。自分が安全な場所にいるということを自覚することが、焦りを静める出発点になります。要するに、自分は死ぬわけではないんだということを言葉で自覚するということです。
 第2は、時間が足りないこと、時間が遅れることによって生じる不利益の程度を把握するということです。これができないために、危険の意識はどんどん大きくなってくるわけです。死ぬわけではないから、多少失敗してもいいやという図太い気持ちになるというわけでは必ずしもないのですが、その失敗をした場合にしなければならない覚悟を想定すると、案外、思っているほど時間がないわけではないということに気が付くことが多いようです。そうすると、今自分が置かれている状態の正しい認識に移行し、焦りが収まってくることも多くあるようです。
 案外、別に時間までに間に合わなくてもよかったということもありますし、直接相手に電話をして時間を延ばしてもらうこともできたりするわけです。
 工夫次第で、焦りを解消し、焦りによるミスを減らすことができます。焦るな焦るなという自分に対するいいきかせは、あまり効果が上がらないことは、原因を考えないで結果だけを求めるものですから当然のことと思います。



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