SSブログ

部活動を例に解説するパワーハラスメント 成果主義的な部活動はパワハラの養殖場 [労災事件]



パワハラをしていたり、パワハラを受けたりしていても
意外に気が付かないことが多いのですが、
部活動を例に考えると、大変わかりやすいようです。

通常のパワハラ、職業上のハラスメントは、
売り上げノルマとの関係が強くありますが、
これは、部活動においては、大会です。
上位入賞とノルマは、おんなじです。

例えば、野球部で、他の能力は人並みだとしても
どうしてもバントが下手な選手がいて、
バント失敗で練習試合で負けたような印象があったりします。

バントなのに、バットにうまく当たらないとか
強くはじきすぎてダブルプレーになってチャンスをつぶすとか

他の部員、監督は、
バントを上手にやれというように
結果を出すことだけを求めるのですが、
具体的にどうやれば結果を出すことができるかを
教えることができません。

ただひたすらバント練習を繰り返させているうちに
監督もチームメイトもイライラしてきて、
ちゃんとやれ、しっかりしろという言葉も
険悪になってきたり、

だんだん、至近距離から時々ぶつけるような
体の近くを通るボールばかりを練習させたりするわけです。

選手は、自分だけができないという気持ちと
できないとチームに迷惑をかけるという気持ちが罪悪感になり、
自分が悪いんだという自己否定の気持ちに追い込まれていき、
自己否定的な発想が定着してゆきます。

毎日、毎日バントの練習をさせられて
でもうまくゆかず
部活をやめたくなるのですが、
部活をやめて学校に通うと、気まずいので、
学校にも行けなくなります。

もちろんいろいろな性格の人がいるわけで、
反対に、「できないや。ごめんなさい。失礼。」
なんて、笑って言える人もいて、
「まあ、できないものはしょうがないなあ。
じゅあ、これからはバントを命じないから
自主的にデッドボール狙っていけ。」
なんて、冗談で済んでしまう場合もあります。

真面目に、チームのことを考える
責任感の強いよいこが、自分を追い込んでいくわけです。
おおうにして、他のことはできるので
周囲も期待する人物なのです。
バントだけはだめなんてことになると
余計に蟻地獄にはまるようです。

本来どうするべきでしょう。
バントの技術を教えれば済むことです。
バットの持ち方も、なぜそういう風に持つか理解させる
ボールの高さにバットと目の高さを合わせる
頭とバットを同時に動かすためには、
腰ではなく、膝で高さ調整をする。

球を殺すためには、
バットの遊びをコントロールすればよいし
左右に頃が仕分けるためには、
右手と左手とで、遊びを作る方法を変えればいい

そういう具体的な指導をして、
慣れさせるために練習を繰り返すならば効率が良いのですが、
やり方も教えないで、なんどもやって体で覚えろというのは
数打てば当たるということで、
一見正解にたどり着けそうにも思えるのですが、
間違った技術を繰り返すことによっては、
正解にたどり着けず、
結果を出すことだけを求められ、叱責されれば
精神的に委縮して、ますます悪くなるものです。

(労務管理的に言えば
ストレッチという手法です。
無理をさせることによって、
追い詰められた労働者が打開策を見つけるだろうという
なんとも非科学的な手法です。
なんのことはない、
上司が具体的な指導をできないだけの話です。)

これを経済に応用したのが、
競争原理を導入すれば生産性が上がるという
理論?です。)

誰も悪意はないのです。
大会に勝つためには、あるいはバンドを習得することが
最も効果的なのかもしれません。

大会に勝つことという目標は、
言われている方の気持ち、立場を考えなくなり、
その人の人間性を飛び越して
結果だけを求めていきます。

こうやって、たかが部活動なのに、
追い込まれていく人が出てくるわけです。
しかもたかがバント処理の巧拙の問題で
学校に行きたくない等と考えるとは、
家族も気が付かないのです。

バントができないだけで罵詈雑言を言われ、
仲間からもよそよそしく扱われていくと、
家族にだからこそ言い出しにくくなり、
誰も気が付かないままに精神を蝕まれていく。

こういう非人間的な、パワハラの養殖みたいな部活動を
そそのかしている張本人が内申書というものです。

大会で優秀な成績を収めると
高校受験に有利になるそうです。
しかし、個人戦ならともかく、
団体戦での成績で進学に影響があるとなると
足を引っ張っている誰かに対して
とても厳しい対応をすることは、うなづけることです。

初期の連帯責任型成果主義をわかりやすく説明しています。

例えばプロ野球選手になろうとする人ならば
あるいはそれでもいいのかもしれませんが、
そうでもない部活動は教育の一環のはずです。

足りないところを補い合って、
良いところを発揮させるべくアシストをして、
一つの試合を作っていく喜びを教えるべきです。
これなら貴重な教育の機会です。

ところが、大会中心の部活動は、
チームメイトの弱点を叱責し、
無意味な反復訓練をさせるわけです。

勝利という共通の目標のほかに
自分の内申点を上げるというものがあるから
肝心な時に
手柄の奪い合いが始まったりします。
ひどいときにはライバルを陥れたりします。
まさに現代の成果主義型労務管理です。

できないものは、自分の出世を邪魔する天敵みたいになり、
部活動以外の学校生活でも孤立させていきます。

さっきのちゃらんぽらんの生徒ならば
気にしないで済むかもしれません。

真面目で責任感が強く
能力があって、周囲の期待が高い人ほど
追い込まれていくということは
現実に職場で起きているパワハラと全く一緒です。

こうやって、結果のために他人の人格を尊重しない
そんな人間が、学校で養殖されていくのです。
職場にいって、パワハラを受けている人を見ても
部活動と同じだなと何にも感じなくなったりします。

それは、結果を出すために、社会人として当たり前
という光景と受け入れていくわけです。
叱責されるやつは、自分たちの足を引っ張る者
という認識が自然と身についているので、
近づかないようにしようと自然な立ち居振る舞いができるわけです。
部活動でこずるい身の処し方を鍛えられているからです。

部活動を目の敵にしているわけではありません。
チームプレーを学ぶ良い機会ですし、
一生の趣味を持つ得難い機会だと思っています。

部活動の良いところをそのままにして
弊害を緩和させる良い方法が二つあります。

ひとつめは
部活動の大会を廃止すること。
あるいは、将来の職業的な人の為に残しておくとしても
公立校などは参加しないこと。

二つ目は
内申書の成績に部活動の成績を反映させないこと。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0