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反省は将来に向けての道しるべとなる前向きな行動。自虐史観だというのは「反省」を理解していないからではないか。 [刑事事件]

刑事裁判の弁護士の役割の重要なものとして、
反省のお手伝いというのがあると思うのです。

犯罪を行った人というのは
なかなか有効な反省ができません。
だからこそ、犯罪を行ってしまうのかもしれません。

ここで言う反省とは、
二度と犯罪を行わないための工夫ということになります。
自分で考えなければ話にならないわけです。
私はいつも、こういう活動で刑事弁護をしています。

それでもなかなかうまくいかなかった少年事件があります。
高校生同士の壮絶な喧嘩とでもいうような事件だったのですが、

反省しなければならないということで、
「あんなやつ(被害者)のために
 私は落ち込みたくない」
というのです。

少なくとも反省すれば
処分は軽くなるかもしれないし、
何よりも、二度と警察に逮捕されるということもないのに、
自分の合理的な利益よりも
「落ち込みたくない」ということが優先してしまう
全くの子どもの言い分でした。


詳細は忘れましたが
結果は、しでかしたことの割に軽い処分だったので、
何とか反省にこぎつけたのかもしれません。

もう少し、反省
について説明します。

まず、自分がしたことがどのように悪いのか
誰にどんな迷惑をかけたのか
具体的にお話しできるようにしてもらいます。
「被害者に迷惑かけた。」
だけでは誰でもいえるのですが
どのように迷惑をかけたかということは
考えなければ言えません。

次にそんな悪いことをどうしてしたのか
という原因についてです。
「心が弱かった、友人に流された」
といえば聞こえが良いですが、
実際は何も言っていないことと同じです。

ルールを守らなくても平気になったきっかけ、
相手が傷つくことを平気になったきっかけを
探していってもらうことになります。

そして3番目に、
では、どうやって、その原因を取り除くことができるか。
これに原因が結び付くわけです。
心が弱かったといっても鍛えようがないし、
友人がいても犯罪だけはしないということを
具体的に方法を作らなければなりません。

こういう意味での反省をすることは
決して落ち込むことではありません。
自分を否定することでもありません。
ましてや自分を虐めているのでもありません。

要するに、一度やってしまった犯罪は消えないけれど
過ちに学んで将来楽しく生きていくための方法を
探し出すための手段なのです。
反省は充実した明日のために行うことなのです。

戦後70年ということで首相談話が話題になり
戦争責任を認めることは自虐史観だなどということを
おっしゃる方々がいらっしゃるわけです。

国家として、新しいページを切り拓くためには
やはり、しっかりした反省が必要になるわけです。
それは自虐ではなくて、
誇りを持てる国造りということになると思います。

このブログでも何度かお話ししていることですが
私は愛国者です。
日本が尊敬され、感謝されることは
身が震えるほどうれしいことです。

日本企業の売り上げが上がることは
そんな感動は特にありませんが、
中小企業の精密作業が評価されることは
結構感動をもって喜びます。

君が代は国家であり、日の丸は国旗だと素直に思います。
(これを法定することは無粋の極みだと思いますし
 日本人に対しても強制することはいけないと思います。
 君が代や日の丸が泣いていると思います。
 歌わないこと、敬意を示されないことではなく、
 嫌な人に強制されることによってです。)

これを堂々といえる理由は、
過ちを認めて反省できるからだと思います。
負のイメージがあったとしても
それも忘れてはならないのです。
いいとこだけを好きになるなら子供にもできます。
悪いところ、不十分なところも大切にするから
愛なのだと思います。

間違ったことをしたから
無かったことにするということこそ
絶対にやってはいけないことです。

国も人も自分の過ちをごまかしたら
未来もありません、
尊敬も信頼もありません。

過ちを認めることは自分を虐めることではなく、
将来に向けて、感謝と尊敬を受ける資格だと考えています。

自虐史観なんておっしゃる方々は
反省の意味と効果を理解されていないのだろうなと
そう思う次第です。

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