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磯崎補佐官のツイートを善解してこそ見えてくる安全保障法制を導入する理由 [弁護士会 民主主義 人権]

磯崎国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官
(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)。

磯崎氏のツイッターを見れば、立場の違いを超えて感心せざるを得ない。https://twitter.com/isozaki_yousuke

よくこれだけの返信をしていると思う。
私なら、これでは仕事にならない。これでは、身が持たない。
これだけの量を一人で返信しているならば、
確かに、失言など出てきてもおかしくないかもしれない。
要するに、いまだに彼はツイッターを続けている。

そして、安全保障法制の議論が始まった矢先の、
「法的安定性は関係がない」という発言。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150727-00000080-mai-pol


菅官房長官は、法的安定性を否定したものではないと述べているが、
そこまでいうならば、ではどういう意味か説明するべきだろう。
そのための官房長官なのだと思う。
おそらく官房長官の発言の真意は、
「法律に安定性は不要といった意味ではない」
というくらいの意味なのだろうけれど、
それは当然なことなので、あまり意味のあることではない。
要するに、それ以上のフォローができなかったということなのだろう。

内閣総理大臣補佐官の発言をフォローするならば、
官房長官として真意を伝えるべきだ。
菅官房長官の役割は、自分たちの代表者である内閣が、
間違いのない活動をしているということを国民、
特に内閣を支持している人たちに伝えることだと思う。
菅官房長官の説明は、「大勢いる」、「何人もいる」あたりから、
説明を聞いても安心できなくなっている。
ご苦労されていることは理解できる。

磯崎氏が有名になったのは、
自身のツイッターに対する10代の女性の反論に対して、
再反論ができなくなって、ブロックをしたという出来事だった。

http://togetter.com/li/832562

これは、善解できることだ。
火事のたとえは、いまだに安倍首相も模型や図を示して持ち出している。
おそらく、内閣の中の公式的な説明なのだろう。
磯崎氏は、ここで、内閣で取り決めた説明以上のことを
言えなかったのだということは想像が付くことである。
いわば羽を縛られて飛べというようなものである。
いかに鴻鵠といえど、羽を縛られたら、燕雀に頭上を許すこととなる。

彼がなぜ、品のない批判に対してもいちいち答えていたかということは、
彼の誠実な人柄なのだろう。
それは、彼のツイッターに対する膨大な返答の量から推測が付く。

ただ、この例えでは後方支援では足りず、
戦闘に加わるべきだと読めてしまう。
また、素人が戦闘に加わったら、
消防官たるアメリカの迷惑になるだけだろう
ということも見事に表現されているように思われる。

それはさておき、磯崎氏が、本当に述べたかったことは、
この例えからも透けて見えるように、
自国の防衛に汲々とするなということなのだろう。
集団的自衛権は、国際秩序の維持という積極的平和主義
を目的としているのであるから、
自国の防衛力を地球の裏側に振り分けることも辞さない
という高邁な理想を語りたかったのだと思う。

http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20

しかし、それは、内閣の取り決めによって許されなかった。
それで、たとえ話の解説に終始してしまったのだと思う。
ただ、もしかすると、そちらに話を持っていかなかったことは、
自身のツイッターに対する返信に一つ一つ応えよう
という誠実な対応が原因だったのかもしれない。
この火事のたとえ話は、おそらく法案が成立するまで続いていくのだろう。
これが、「丁寧な説明」ということのすべてのような印象さえある。

磯崎氏のツイッターで有名なものとしては、
「立憲主義を大学の講義で聞いたことがない。」
というものである。
http://健康法.jp/archives/2893

これに対しては、いろいろ批判があるが、
私は、案外それは正しいのかもしれないと思う。
立憲主義は、前に書いたけれど、
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-06-12

中学生の歴史と公民で習うものだ。
高校の政治経済でも習うかもしれない。
大学で習うとすれば、一般教養としての法学、憲法、法哲学などだろうが、
改めて立憲主義に言及しないことも考えられることである。
今更説明しなければならない人間が
東大法学部には入ってこないだろうからである。

もちろん、どの憲法の教科書にも記載されている。
しかし、講義では聞かないことも無理のない話かもしれない。

講義では聞かないのは無理のないことかもしれないが、
磯崎氏が立憲主義について知らなかったというわけではないだろう。
中学や高校を出ているということだけではなく、
磯崎氏は大学教授を務めていたことがあるようだからだ。
1996年4月 自治大学校研究部長・教授の職にあった。

では、なぜ立憲主義なんて聞いたこともないみたいなことを述べたのだろう。
これは、政治的意図があったと善解しなければならない。
遅くともこの時、内閣の中では、
立憲主義が解釈改憲の障壁となることは意識されていたのだろう。

立憲主義という観念を乗り越えることが、
安全保障法制にとっては不可欠なものだということで、
打ち合わせがなされていたのだろう。

ところが、立憲主義は、学説ではない。
近代市民革命がもたらしたものであることからわかるように、
資本主義社会に不可欠な国家の仕組みなのである。
また、日本においては、立憲主義を整備したことによって、
国際社会において一人前になっていったという大事な制度である。
立憲主義こそが、先進国で価値を共有する
自由と民主主義の根本なのである。

http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-06-16

ここで、疑問だと思ったのは、
それでは、立憲主義をないことにして、
日本は国際社会の中で本当に尊重され続けるのだろうかということである。

集団的自衛権は、
国際社会の中の地位を高めるために解禁をしようという目的があったはずだ。
それなのに、国民の理解なしに、憲法に反して、立憲主義に反して、
これを行うことで、国際社会上の地位が危うくなるのではないか
という危惧はないのだろうか。

北朝鮮と一緒の国家体制だということになってしまい、
韓国や中国、その他東アジアの国々からも馬鹿にされるかもしれないということである。

ただ、ここでも善解するべきだろう。
要するに、評価を気にするべき国と、気にするべきでない国があり
、気にするべき国が積極的に評価するなら、
断行することが国益にかなうということなのであろう。

それは、もちろんアメリカ等であろう。
この場合の国益とは何であろうか。
アメリカは、日米安保で日本を守ってくれている。
基地がある限り、それは変わらないであろう。
守りを強化するということも、具体的には考えにくい。

そうだとすると、アメリカとの交易の問題なのだろうと思われる。
時同じくしてTPPの交渉が進められている。
集団的自衛権の問題となにがしかリンクしていると思われる。
少なくとも日本が集団的自衛権を行使して、
アメリカの役割を少しでも担うことができれば、
もっぱら費用の問題だとは思うが、
アメリカからは、高く評価してもらえるだろう。

内閣にとって、自国に対する国際的評価が一部で低落しても、
アメリカなどの評価を上げることが、国益(交易)に合致すると考えたに違いない。

そして、集団的自衛権、国民の理解はなく、
支持もされない政策であるが、アメリカ等からは評価される政策を、
多数決ルールを目いっぱい使って成立させようという矢先、
磯崎氏がツイッターで法的安定性を後景視する発言がでたわけだ。
安倍総理が、法的安定性に配慮しながらすすめると説明していることをしり目に、
大雑把なツイートをしてしまったことにはなる。

しかし、あれだけを多い返信の中から、
よく一つの問題ツイートを救い上げたということは感心するしかない。
内閣総理大臣補佐官という立場の重みを感じる。

法的安定性は、立憲主義と思想を共通にしている、
特に、資本主義社会に不可欠な仕組みである。
即ち、資本家が活動をしているときに、
資本主義社会以前の封建主義時代であると、
法律を勝手に変えて、資本家が設けた財産を没収したりすることも可能だったわけだ。
それでは、安心して商売をすることができないために、
ルールをあらかじめ定めて、
自分の行動が守られるか守られないかを予測することができるようにして、
資本家が安心して活動できるようにしたということである。

これは出発点であって、もちろん、資本家だけが恩恵を受けるわけではない。
いわば国家秩序である。
国家秩序が保たれることは、全国民が享受することである。
また、日本は、秩序を重んじる国民性の美しい国である。
このような国益を後景に追いやってまで実現しようとする国益とは何か
ということを考えざるを得ない。

大学教授まで勤めて、法執行を行う内閣総理大臣補佐官が
法的安定性を理解していないはずがない。

法的安定性が後景に追いやられる場合というのは、
有事である。時局が安定していないのに、
法的安定性を求めるすべのない時期ということである。

国際情勢の変化というのはそこまで切迫しているのだろうか。
本当はそこまで切迫しているのに、
国民が動揺するからということで情報を隠しているのだろうか。
大変不安にさせるツイッターである。

そうでなければ、日本がどこかの国から、
脅迫されているということだろう。
但し、不利益を告げられて、さ
もなければ集団的自衛権を行使しろということは、
考えにくいのではないか。

日本の財政を握られていて、
「言うこと聞かないと、国家財政を破綻させてしまうぞ、福祉予算を使えなくするぞ。」
なんて言うことは非現実的だろう。
おそらく、大きな利益誘導がなされていると考えることが現実的かもしれない。
法的安定性を後景においやるほど、大きな利益なのだろう。


今回の磯崎氏の最大の問題は、
磯崎氏が、これほど安倍政権の足を引っ張り続けているにもかかわらず、
更迭をされないことだ。

それどころか、今日もツイートし続けている。これをどう見るか。

官邸は、磯崎氏の行動、言動を、過ちだと評価することが
できないでいるということである。
積極的にか消極的になのかはともかく、
容認していることになる。
最初の火事のたとえのツイート炎上は、
いまだに安倍首相自身がたとえている話であり、
打ち合わせ通りのたとえ話だし、
その後のやり取りは、返信者の礼を失した言葉遣いにも
一因があるとの考えだろう。

次の立憲主義では、安全保障担当補佐官のツイートとしては、
不穏当に過ぎるので、これは何らかの注意があってしかるべきだが、
それもない。
少なくともそれを感じさせないほど、
磯崎氏は精力的に発進、返信への回答を続けている。

その中で、同趣旨の法的安定性を後景に追いやるツイートをしても、
菅官房長官はかばい切っている。
磯崎氏の、国益を後景に追いやっても、
他国の利益誘導、脅しに追随する、しかもその中身を明かさないという姿勢は、
官邸にとって違和感のある言動ではないということだろう。

安倍首相自身が、これまでどおり火事のたとえを繰り返すというのであれば、
模型を図面化したとしても、
「これ以上の説明はしない。国人の理解を求める活動をしないで、法案を成立させる。」
という決意の表れと読み解くしかない。


自民党員の方々、特に国会議員の方々がまだ気が付かないはずはないと思う。
このまま、明白な国益を犠牲にして、存在自体不明確な国益だと
国民が考える安全保障法制を進めていったら、
法案が成立しても、自民党が消滅する可能性が存在するのではないだろうか。

崩れ落ちるときは、一気だったということを、
もはや忘れてしまったのだろうか。
操舵とすると、国民よりもすぐ忘れるのは、むしろ国会議員だということになる。

そして、今の日本から自民党がなくなってもよいと考えているのだろうか。
そこまでして、通さなければならない安全保障法制とは何なのだろうか。
選挙区において、有権者に一人一人が説明しなければならない日は
秒読みの段階に来ていると思う。

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