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仙台市男子中一生いじめ自殺についての専門委員会答申に関するコメント全文 報道されないいじめ自死の原因 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

昨年、仙台市立中学校一年生が自死した件で、
仙台市教育委員会と仙台市いじめ問題専門委員会が
昨日記者会見を行いました。

東北放送のNスタみやぎというニュース番組で、
私のコメントを放送していただきました。
大変要領よくまとめていただきましたが、
コメントのほんの一部なので、
全文を掲載します。

まず、今回の専門委員会の報告を受けて
生徒さんの保護者の方々は、
再調査は望まないというとのことです。

当然納得できる話ではありませんが、
一定の評価を得た調査報告ということになります。

これは、調査過程や報告結果が
遺族の心情に寄り添ったものであったことを示していると思います。
専門員会の委員の皆様はもちろんですが、
仙台市教育委員会や当該学校の先生方の
ご努力なしには実現しないことでありますから、
関係各位に対して敬意を表します。


<いじめ自死の根本原因は教師の多忙>

これは東北放送以外の報道機関では報道されていません。

専門委員会は、学校の対応について
根本問題として、教師の多忙を上げていますが、
多忙であるから、対応に優劣ができてもやむを得ないと
結論付けています。

しかし、教師の多忙こそが、近時多発する
冷酷ないじめの実態と、
そのための被害者の深刻な影響の原因です。

人権擁護委員等として、
校長先生や一般の先生とお話しする機会がありますが、
クラス担任も事務作業が多く、
どうしても視線が机の上にばかりいってしまう。
顔を上げて生徒の顔を見ることができないと
おっしゃっています。

多忙になるとどうなるか

第1に、自分のことで精いっぱいになり、
自分の学級担任ではないクラスの問題に
援助したり協力ができなくなる。
いじめがあっても、担任任せになる。
(先生方のチームプレーができない)

第2に、保護者との対応が億劫になる
保護者の都合のつく時間も限られていて
自分の仕事との兼ね合いで連絡すらしにくい
忙しすぎると、防衛意識が高まりますので、
連絡すると責められるのではないかという気持ちになります。
つまり、保護者に連絡とらない。

第3に、本来いじめや人間トラブルは
いじめられた側が安心して学校生活を送ること、
いじめた側が、いじめることによって
自分の人格も荒廃することを理解し、
相手を思いやる気持ち、弱者をかばう行動を
身につけていきながら続いていくのですが、

忙しすぎると
どうしても、謝罪とか示談とか
形を作ることでひと段落としてしまう。
そうしないと、次の仕事が待っているので、
早く終わりにしたい
ということになってしまいます。

本件でも、
いじめられた生徒さんの心情の解決も付かず、
いじめた側の生徒さんの心の中での反省もなしに
ただ、謝罪集会が開催されています。
当然、報復が起きるわけです。

いじめた側の生徒さんの指導こそ大切なのですが
抽象的な言葉で謝罪させただけでは
屈辱だけが残る逆効果しか出ません。
① いじめられた側がどういう気持ちだったのか
  ゆっくり考えて、作文や絵にして
  具体化、客観化させる。
② どうして、自分がそういう行動をしたのか
  どういう気持ちだったのか
  なぜやめられなかったのか、やめさせられなかったのか
③ これから、どういうことを行えば
  いじめはなくなるか。
という3点の作業が反省なのです。
これをなるべく具体的に行うことが肝要です。
絵にかけるように、シナリオでドラマを撮影できるように
等と説明することが多いです。

多忙の弊害として第4は、
3と関連するのですが、
深刻な問題をなかったことにしたくなるわけです。
他にもするべきことが多すぎるからです。
「なかったことにする」いつもの二つの手法が
今回も存在したようです。

一つには、「からかい」であり、いじめではない
という論法です。
これは、大津の事件もそうですし、
およそ多くの事件で、学校側の言い訳として使われています。

からかわれたものが、次の瞬間にからかい返す
という関係ならば、それもコミュニケーションかもしれません。
しかし、からかわれる側が固定化されていて
多数から、継続的にからかわれているならば
まぎれもなくいじめです。

「からかい」という言葉がまた出てきたというのならば、
からかう行為をやめされるよう指導するべきです。
堅苦しいかもしれませんが、
人格を向上させる学校とは
そのくらい厳粛であるべきだと思っています。

専門委員会は、
からかいの対象はほかの子にもあり、この子だけでなかった
と指摘していますが
このようなからかう方、からかわれる方が交代可能な形だったのか、
この子のようにからかわれることが固定されているケースがほかにもあったのか
全く意味が異なることになります。
からかいの対象がほかの子にもあったかどうかは
この生徒さんがからかわれる立場で固定されている場合は
何にも意味のない指摘であることは強く述べたいと思います。

もう一つは、「大丈夫?」という
教師から虐められた子どもに対する問いかけです。
子どもは敏感です。
「大丈夫?」という問いかけは、
大丈夫だと答えてほしいという大人の願望がこもっていることを
見逃しません。

追い詰められた者や、うつ病の患者さん方の多くは、
自分の窮地を隠そうとします。
無理に笑顔を作り、
なんでもない様子を見せます。

「大丈夫?」という問いかけをするような状況であれば、
「大丈夫のはずはない」と考えて
対処にまい進するべきです。

第5に、重複するかもしれませんが、
担任が、校長に報告しなかったということが
ことさら報告されていました。
これは、矢巾町の中学でも報道されていました。

この一番の責任者は校長です。
気軽に報告する環境を整えなかった責任は
校長にあるのです。

また、いじめ問題について、
一旦認識していながら、
その後の報告を促さなかったことも
問題です。

校長先生も忙しいことが原因です。
無意識にも
「あのいじめの問題は、自分で解決しておいてよ。」
という態度をとってしまうと
担任は報告することはできなくなります。
一旦いじめが発覚したら、
きちんとチームを作って
対応しなければなりません。

校長に報告しなかったということは
クラス担任任せにしていて
クラス担任が孤立していた
と読まなければなりません。

多忙は、先生方一人一人のパフォーマンスを
発揮できない一番の原因だと思います。

それでは、教師が多忙でなければいじめ自死は防げるのでしょうか。
私は、大きく前進すると思っています。

この時代に、教師を志した方々です。
何年か教師を続けているというのであれば、

意欲も能力もある方々であることは間違いありません。

いじめの問題は、クラスというコミュニティーの状態に
問題が生じているということです。
中学校あたりまでは、
クラスコミュニティーの中心は
クラス担任であるべきです。

クラス担任が、生徒の中で権威があり、
信頼されるということが必要です。

生徒の負の部分も尊重してはじめて、
人格の向上を目指すことができるのですから、
あるがままの生徒の状態から出発する
という姿勢が信頼を寄せる最大のポイントです。

ところが、多忙であり机の上ばかり見ていると
生徒の弱い部分を尊重することができなくなり、
管理ということが頭をもたげていきます。
一人一人の生徒の至らないところ、はみ出したところが
目について、それを否定するしかありません。
当然生徒は、自分が否定されたと受け止めますから
信頼の対象から外れてしまいます。

こちらを見ない先生を誰が信頼するでしょうか。
苦しい、寂しいというサインを見れない先生は
学校の教師という役割を果たせません。

専門委員会はスクールカウンセラーの活用を強調しています。
確かに活用の仕方によっては、効用があると思います。
しかし、あくまでもコミュニティーの在り方を
成長させるのは、そのコミュニティーに常駐している人です。
クラス担任こそ中心になるべきなのです。

心の問題だから、心の専門家に任せる
という発想は、一見的を射ているように見えますが、
コミュニティーを否定する側面があることを
頭に入れておかなければなりません。


専門員会は、再発防止策について
いろいろ有益なご提言をされています。

しかし、自らが指摘する教師の多忙を放置しては
どれ一つ実現できるわけがないと考えています。

それでもやれというのであれば、
今度は教師が過労死してしまいます。
正確に表現すると過労死が増えてしまいます。
また、教師の人格と家族の状態が荒廃していきます。

いじめ自死を根絶するためには、
教師の多忙こそ解決するべきです。
教師の多忙を解消することを提案しないで
いじめの再発防止ができるということは
私には理解ができません。



<保護者への連絡>

テレビでは、この部分について詳しく放送していただきました。

追い詰められている者は、子どもも大人も
自分から孤立していきます。

当事者から相談を受けていると
多くのいじめの場面でも
手を差し伸べてくれる人たちがいることに気が付きます。

それで解決するわけではないにしても
勇気を持って支えようとしている人たちが
多くの場合存在します。

それでも追い詰められている者は
その行為については記憶して
私に話してくれるのですが、
それが、援助の手を差し伸べているという
意味に気が付くことはありません。

また、仲の良い親だからこそ
子どもである自分が、
クラスから馬鹿にされ、仲間にされていないということを
打ち明けることはつらいことです。
仲の良い親だからこそ
いじめられていることを話せないだけでなく、
辛い気持ちを隠そうとするものです。
これは大人も一緒です。

だから、いじめないしからかいを把握したならば
後先考えないで、
先ず学校は保護者に連絡していただきたいのです。
いじめられた子ども頼みでは、絶対だめです。

また、追い詰められている者は
たかだか学校という本の人生の一部で疎外されているだけなのに、
世界中から自分が仲間に足りないものだと
されているような気持ちになっています。

大切なのは、学校や家族という大人が
ほかの誰もが攻撃しても
「私はあなたを見捨てない。  かばい続ける。」
というメッセージを伝えることです。

このことで、子どもは、自信を持ち
自分に降りかかっている災いの
全体像を見ることができます。
そうして、絶望する必要のないことをさとるのです。

「からかい」の段階で、
双方の保護者と連絡を取るべきです。



<エピソードが人を追い詰めるのではなく、行間が追いつめる>

今回の専門委員会報告も
いじめのエピソードを分断して検討するのではなく、
累積していくという考え方をとられており、
他県の案件に比べてリアルなものの見方をされています。

もう一歩言わせていただければ、

エピソードが人を傷つけるということもありますが、
エピソードとエピソードの行間が問題です。

先ほどのからかいでも述べましたが、
ある時からかわれても
次の瞬間仲良く行動していれば
大きな問題になりません。

それに対して、
エピソードが小さくても、
エピソードとエピソードの間で、
仲直りが行われない場合や
自分が尊重されているという実感を持つ機会がない場合は、
疎外が継続しているということなのです。
エピソードがない期間も
ずっと苦しんでいるのです。

エピソードが人を追い込むというより、
継続した対人関係の状態が
「自分が仲間として尊重されることは不可能だ」
と絶望させるわけです。

エピソードのない期間の状態こそ
調査していただきたかったと思います。


<いじめ防止のためにはいじめ0を目標とするのでは不十分>

いじめを無くす、いじめ0というのは、
このままの状態でいじめだけなくなるというのでは
実現するわけがありません。

どうしても多忙だと数値目標にしがみつくのですが、
その結果は岩手県矢巾中学校の
いじめ0報告だったわけです。

いじめゼロはマイナスから0に行くだけです。
モチベーションは誰も上がらない暗い闘いです。

プラスを目指さなければなりません。
同じ学校で、ともに人格を向上させようとする仲間です。
一緒にいることが楽しく、
学校に来たくなるようなコミュニティーを
作ることを目標にしなければなりません。

その大きな目標の
通過点にいじめゼロがあるわけです。

いじめ自死ゼロといっても
死ななければ良いってもんじゃありません。

最近の風潮は死ななければいじめと認めないのではないかと
危惧しています。
死なないまでも
「せっかく生きてきたのに、
生まれてくるんじゃなかった」
という思いをしている人たちは
たくさんいるわけです。
いじめ自死は氷山の一角です。

ひとたびいじめに会ってしまうと
一旦解決したように見えても
その後の些細な他人の言動から
「またあの時のようにいじめられるのではないか」
と苦しんでいる子どもたちはたくさんいます。

いじめている側も、
いじめることによって自分の人格を荒廃させ、
人間を尊重する気持ちがなくなることで
自死に対する閾値が下がっていくのです。

現在の日本社会において、
大人同士が他人を助け合うことができない風潮が
子どもたちに深刻に影響しています。

多忙な風潮は学校現場だけでなく
社会に蔓延し、
追い込まれている人たちも多いようです。
極端な勧善懲悪を喜び、
些細な不道徳者に対して
苛烈な攻撃に喝さいを浴びせています。

子どもたちから変えていかなければ
我が国は荒廃していくでしょう。

子どもの世界に助け合うことの喜びを注入しつつ
大人も学ぶべきです。
同じ職場で、同じ社会貢献をして
収入を得ているにもかかわらず、
パワハラ、セクハラ、派遣切りなど
他人の苦しみに冷酷になっている、
自分の焦燥感を非正規労働者にぶつけている大人は
子どもに教えを乞うべきです。

いじめを本当になくすためには、
まず自分たちから他者を尊重し、
自分を尊重してもらうように
行動を開始するべきです。

ずいぶん長文になってしまいました。
それでも言い足りません。

中学校1年生で、
「自分が死ななければならない」と
追い込まれた生徒さんには
ご冥福をお祈り申し上げます。

そう述べるしかないことが
悔しく、苦しくてなりません。

ご遺族の皆様には心よりお悔やみ申し上げます。

本当にいじめを無くしましょう。
本気でいじめを無くそうとするなら
教師の多忙を解決しようとしてください。

どうか、力を貸していただきたい。
天国から見守っていただきたいと思います。



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ドイホー

ご指摘ありがとうございました。さっそく修正いたしました。
by ドイホー (2015-08-25 14:42) 

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