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法律家として野党の物理的抵抗を支持する理由  [弁護士会 民主主義 人権]

本来今時分安全保障法案が成立していたかもしれませんでした。
野党の体を張った審議阻止が功を奏して
参議院安保特別委員会が開催できませんでした。

これは、確かに、国会手続きが予定している事態ではありません。
形式的には法に反する行動のようにも見えます。
しかし、法律家として、私はこの行動を指示します。
その理由について述べます。

私は、法科大学院で、昨日労働組合法を講義してきました。
ストライキや団体交渉が、権利だという説明をするのです。

近代市民法的に考えると
労働者は、使用者と雇用契約を締結し、
使用者が提示した条件で働き、
決められた時間、労働力を提供する
と約束しているのだから
約束以上の労働条件、賃金を要求し、
それを通すために、労働力の提供をストップする
というのだから、
違法にも見える行為が権利として認められていることを説明します。

もちろん当初は禁圧されて、
団体交渉やストライキをやろうとする者なら
強要罪、脅迫罪で刑務所に入れられ、
労働組合を結成することだけで
死ぬまで刑務所に入れられた人たちもいるわけです。
労働組合に損害賠償が認められ
壊滅していきました。

しかし、そのように禁圧されても禁圧されても
団体交渉を行い、ストライキを続けてきたことにより、
労働者が政治的な力を身につけてきて
ついに国家は
処罰をしないということとなり
損害賠償も否定されるようになりました。

どうして、莫大な犠牲を払っても
なえないで、くじけないで
労働者は戦い続けたのでしょうか。

ここがポイントです。

それは、国家から禁圧されても
法律的には違法であっても、
労働者群が、
自分たちの要求
(契約で承認した以上の労働条件の要求)
は正しい、
自分たちの要求を通す活動方法、態様
(団体交渉、ストライキなど)
は正しい
という正当性の確信があったからだと分析されています。

要するに、法律を守ろうとすることは
ルール、秩序を守ろうとすることです。
正しさに従うということといってもよいといえるでしょう。

自分たちの要求、行動をしなければ、
自分たちは、人間として尊重されないで生きていかなければならない
という
正当性の確信が、
形式的な法律をまもるよりも
ルール的に、道徳的に正しいという確信に高まったのです。
「規範意識の確立」という言い方もします。

現在現政権が強行採決しようとする
安全保障法案は、
法律家は誰でも、
立憲主義に反するといって反対しています。

憲法9条改正論者も
集団的自衛権肯定論者も
立憲主義に反するという理由で反対しています。

近代以降の現代国家は、
一部の宗教国を除いて、
憲法を最高規範として、
憲法の範囲で国家権力を行使する
制度を持っています。

憲法に反する国家行為をしたいならば
憲法を改正してから行わなければなりません。

法律が有効である大前提は
憲法に適合することです。

法律家の立場から
現政権のやっていることを評価すると
憲法に真正面から反する行為を
国家権力の行使として
立法しようとしていることになります。

日本の法秩序を崩壊させる極めて異常な行動です。

異常なことは
所管大臣である防衛大臣が、
法律について、まともに説明できないことです。

ホルムズ海峡封鎖が
日本の存立危機自体とつながるどんな場合があるか、
説明できていません。

戦禍が及ぶ蓋然性
についても説明できていません。

法律の根幹が説明できないということは異常事態です。

これは、所管大臣
即ち法案作成の現場責任者が
法案の中身を知らないということを意味します。
誰が法案を作成したのでしょう。
日本の政府関係者が法案作成したのであれば、
事務畑の局長が説明するはずですが
そのような報道は一切ありません。

おそらく、
日本人が原案を作成したのではない
外国人が原案を作成して
日本語に訳しただけなので、
その説明ができないというと理解が容易です。
押し付け法案という疑いが濃厚です。

この法案に反対する運動は
日本が独立国家になるための運動だとも考えられます。

何よりも、法案の最高責任者である首相が、
個別的自衛権と集団的自衛権の違いが分かっていない。
これは驚くべきことです。
現行自衛隊法は
日本が直接侵略される場合だけではなく
間接的に侵略される場合にも
自衛権を発動することができる規定があります(3条)。

中国や北朝鮮から侵略されたらば
現行法と安全保障条約できっちりと防衛できるように
法律はすでに整備されています。

(もっとも、東北の被災者は
 もっとも日本が無防備だった東北だ震災の直後
 北朝鮮から送られてきたのが
 テポドンではなく義援金だったということは
 よく記憶しています。)

今、この自衛隊法3条を改正し、
日本の直接間接侵略がなくても
自衛隊の行動を行うことが可能としようと
安全保障法案はもくろんでいるわけです。
なんのためでしょうか。
誰の利益なのでしょうか。

さらに、
集団的自衛権の行使を閣議決定した後の選挙で
自民党が圧勝したから
自民党の提案した法案に反対するのは民主主義に反する
としたり顔で主張する人たちもいます。

民主主義は無制限ではありません。
憲法の範囲内で国家権力を行使するという大前提があります。
憲法は改正されない限り、存続します。

また、投票は白紙委任ではありません。
個別論点についてものを言うなということは
服従の強制です。
民主主義とは無縁です。

国会という制度がなくて
政府を直接選挙で選ぶというならば
そのような議論を検討する余地もあるかもしれません。

しかし、選挙をしているのは国会議員です。
改めて個別論点の議論をするから国会があるわけです。

砂川基地事件について改めて述べるのも気が引けるのですが、
これは、日本にアメリカ軍を置くことが憲法違反かという論点で、
アメリカ軍を置くことも自衛の方法として
禁止されているわけではないかもしれない
という判決であって、
日本の自衛隊が集団的自衛権を行使することを
認めた判決ではないことは明らかです。

これも今回の法案が外国から押し付けられた法案だということを
物語る裏付けになるでしょう。
砂川基地判決自体が
アメリカのダグラスマッカーサー二世日本大使が
外務大臣に圧力をかけ、
田中耕太郎最高裁長官が同大使に報告をしながら
出した判決だということが
公文書から明らかになっています
(「検証 法治国家崩壊」創元社 吉田敏浩)

今回、なぜ継続審議とせずに強行採決を行うのか
砂川基地判決から学ぶべきです。

本来日本の裁判制度は
地裁、高裁、最高裁と3審制がとられています
砂川基地判決は
地裁の伊達判決で違憲判決がでて、
その後高裁をとばして
国は最高裁判所に跳躍条約するという
異常な行動に出ました。

これは、時間を置けば置くほど
伊達判決の影響力が浸透して、
米軍に対する反対世論が大きくなるため
伊達判決を早く否定したかったからです。

いつ、誰がどこでということが
公文書上明らかになっています。

昭和34年3月31日 午前8時
(伊達判決の翌日)
おそらく東京帝国ホテルの一室で
ダグラスマッカーサー二世が、
日本の藤山愛一郎外務大臣(当時)に対して
跳躍上告を直接指示したそうです。

藤山大臣は、全面的に同意したと
アメリカ側の文書には残っています。
そして事実そのとおり行われたわけです。
(以上前掲本)

今回継続審議にした場合、
法案反対運動がさらに盛り上がる可能性が高いため、
どうしても強行採決しなければならない
砂川基地判決と同じ問題の所在があるわけです。

もし、これまで私が述べていたことがそのとおりならば、
安全保障法案に対する反対は、
立憲主義を守る戦いであると同時に
日本が独立国家であるための戦いということになります。

目的も、そのための行動態様も
日本を守るために必要なものであり、
正当性を有すると確信ができ
規範意識に高められるものだと思われます。

暴力の行使や物の破壊に至らないことは
当然の条件になりますが、
物理的抵抗力を、私が
法律家として支持する理由は
このようなところにあります。






























































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