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人の振り見て我が振り直せ 自己洗脳の脱却方法 損して得取れ 和の心の再構築 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

一年くらい前も同じことわざで記事を書きました。

「共鳴力、共感力は、人の振り見て我が振り直せシステム。後天的に学習できる。」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-04-01

その時は、人間という弱い動物が生き残るシステムとして
共鳴力、共感力が必要だったということで
お話ししました。

今回は、自分の思い込みを是正する方法として論じます。

例えば離婚調停等をやっていて
「どちらが悪い」という不毛な論争から脱却できたとしても
楽しく家族として生活するためには
現状を改善しなければなりません。

相手に対する不満のポイントばかりが目につくのですが、
実は、そこに不満を抱いていること自体が
解決を不能としている場合があります。

誰しも
自分がこうしたいという感情を基軸に
物を考えたり、感じたりするのですが、
その自分の感情は、果たしてそれでよいのか
ということを考えなければ
解決しないことがあります。

元々、相手にこうしてほしい、ああしてほしいと
願って望んでも
相手も心がありますから
結論だけ押し付けられても
反発することがむしろ多いのではないでしょうか。

相手を変えるためには
こちらかがわかって見せることが
唯一の方法だ

と考えています。

どちらが正しいなんて子どもみたいなことから卒業しても
相手に負けたくないという気持ちがあったのでは
対人関係は解決しないのです。

主義主張があることは別として、
例えば、
食事を作る場合、
自分だけが調理をするのは損をしている気持ちになる
という奥さんがいたとします。

ところがこのご夫婦の場合、
奥さんは、調理はそれほど嫌いではない、
また、おかずの出し入れで、
旦那さんが機嫌が良くなったり悪くなったり
きわめて単純で、(男は大概そうですが)
相手のコントロールが可能というのであれば、
調理をすればよいわけです。

食事を作るのは相手のためではなく、
家族の在り方をコントロールする方法だし、
家族のために作るというフォアザチームの発想を持てば
自分も家族というチームの一員なのですから
損をしているという感覚は強くならないはずです。

知らず知らずのうちに、
チームの状態を一員として判断するのではなく
自分と夫との
対抗関係として人間関係を見てしまっているのです。

「損をしている」という感覚をもつという抵抗感があるということは
「損」とは、自分が尊重されていないことを表すような
そういう評価をしてしまっています。

「損」は間違っているのでしょうか。
家族のために
自分の労力を使うということは損でしょうか。

損得は、近代というか、資本主義的というか
そういう価値観だと思うのですが、
こういう評価基準は家庭の中に入るべきなのでしょうか。

逆に夫は、
自分だけが家族のために働いて
会社で嫌な目にあって苦労している
これを損と言いはしないでしょうが、
だから家族は自分を尊重しろ
というのであれば、
やはり損得の感覚が滑り込んでいるような気がします。

妻に負けたくない、夫に負けたくない、
損をしたくない
という気持ちが、
家族というチームの構成員の中で生まれることは
チームを解消する方向に働くでしょう。

ある意味負けりゃあ良いんです。
それで家族が楽しくなるのなら
一時的に負けても、それでより結びつきが強くなったり
家族が家族でいることに居心地が良くなるなら
なんぼでも負けましょう。

なぜかそれができない。
変な価値観に支配されているわけです。
こういう夫婦は、一方的に負けたくないというより、
相互に意地を張っていることが多いようです。
先日述べたように相互作用だからです。

どちらが、妙な価値観からいち早く脱却するか
という問題なのですが、
既に自分に確立されてしまった価値観を
改めて疑うということはとても難しいことです。

弁護士みたいな第三者が口添えしても
感覚を修正することは大変難しいようです。

このたび、その方法を見つけました。
それは、
むしろ相手の悪いところ、嫌いなところを
徹底的に分析するところです。

相手は、自分に負けたくないと思っている
自分に何か言われると、指図をされているように不愉快になる。
意地を張って言わなくても良いことを言っている。
子どものことを顧みない。
まるで子どもだ。
等々など。

さあ、ここからが問題なのですが、
じゃあ自分はそういうところはないのか
ということです。

多くの場合、形が多少違っても
同じような発想になっています。
意地を張っています。

自分のこととしてはわからないけれど
相手を見て、自分と照らし合わせることで、
相手の嫌なことはそっくり自分もおんなじだと
気が付くことができるでしょう。

ロールプレイングとは、これです。
司法試験などのグループ学習も
これを期待して行っています。
「他人を評価する時は、自分の実力は1.5倍増しになる」
ということです。

対抗意識がありますから
すぐにそれ(自分も相手と同じにはりあっていること)
を認めることはできません。
「自分の行動は、相手が悪いからこうなった」
という発想になるでしょう。

でも現状を変えようとした場合
過去においてどちらが悪いということは
あまり意味のないことです。

どちらがよい関係を作ろうとしたかで
考えればよいのではないでしょうか。

ここで、相手にあわせるという形で
自分を変えて見せる
「私はあなたを尊重しているよ」
という強烈なメッセージになるはずです。

近代的、文明的、西洋的価値観を捨てて
損して得取れではないですが、
和の価値観を再生するべきだと思います。

あなたのご家庭だけでなく、
職場や地域もそうですが、
必要以上の功利的な価値観は、
結局悪くなるだけのような気が
最近特にしているのです。
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