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またしても出てきた「心のケア」 専門家が具体的に何をどう改善するのか 疑問 [災害等]

「心のケア」が、熊本の震災で
また唱えられるようになっています。

確かに、自宅に住めず、
大きな余震も続いているという
当たり前の日常生活が送れない状況では
緊張状態の持続が強いられ
心身の不調を訴えることは
あまりにも明らかなことです。

それは否定しません。

ではどのような対策を取ればよいかということについては
前に述べていますので、
割愛します。

「『心のケア』という言葉にうさんくささ、疑問を感じたのは、結果の押し付けというつじつま合わせを感じたからかもしれない。心は客観的状況を反映した結果。」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-01-19

問題は、心に問題が生じているということは良いとして、
ではその問題を解消しましょう
ということになるのは良いとして、

誰が具体的にどのように行うのか
その行った結果は良かったのか
というところにあります。

私は、コミュニティーの機能を高め
自分たちと呼べる人たちが
積極的に助け合い気遣いあう環境を作ることが
心のケアであり、

根本的には、
生活環境の改善への手厚い援助によって
解決するべき問題だと考えています。

ところが、
「心のケア」という言葉が使われるときは、
このような根本的な対策と切り離され、

「心に問題が生じた人たちを
 スクールカウンセラーなどの
 コミュニティーの外部の
 『専門家』が解決するものだ
 ということが前提となっているようです。」

問題は、この専門家の先生方が
具体的に何をするのかということなんです。

「そんなこと素人が知らなくても良いじゃないか」
と言われるかもしれませんが、気になります。

素晴らしいお仕事をする方もいらっしゃるのだとは思うのですが、
子どもたちからの相談を受けていると
何もしてくれないという不満とか
結局同じことになるとかいう不満が
多く聞こえてきてしまうのです。

どうも、解決ノウハウや知識、技術よりも
熱意やお人柄の方が重要であるような
そんな印象を受けてしまいます。

私は、
行政やマスコミも
震災によって、心に問題が生じている
何とかしなければならない
心といえば、心の専門家に委託だという、
安易な発想しかないのではないか
と猜疑心を持ってしまっています。

委託という丸投げをする方が
具体的に、子どもたち、住民たちの
問題点がどのような原因で、
どういう反応をしてしまっているか
という分析をきちんと行い、

この分析に基づいて
具体的に、何を改善するかを割り出して
そのために必要な技術や専門性がある人たちに
具体的に行動を依頼しているのか、

そうではなく、
「心」という言葉に反応して
「心」の分野を売り物にしている人たちに
お金を払って、
心の問題の改善という結果だけを要求しているのではないか
と邪推しているわけです。

結果を要求するなら良いけれど
「なにかやっている」という実績だけを求めている
というわけではないことを祈るばかりです。

専門家の方も重々わかりながら、
何とか役に立ちたいという圧倒的多数の方々の中には
職域拡大のチャンスとして
結果の出ない仕事を引き受けているかたが
紛れ込んでいるのではないかと
そんな悲観的な考えもちらちら頭をかすめます。

ちなみに、私が邪推している心のケアの専門家
の方々のアプローチは
子どものケアであれば
子どもに直接働きかけるのでしょう。

私のアプローチは
むしろ、親たちやコミュニティーの大人たち
学校の先生という大人たちに
助け合う、緩やかなコミュニティー形成の方法を
提案して、ともに実践してみる
ということになります。


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