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警察官が自殺する理由2「体を張る」職業の警察官、自衛官、消防職員の方の相談が初回無料である理由 [労災事件]

昨日の続きというか補充です。
ぜひ昨日の記事も併せてご覧ください。

昨日は、激情に任せて書き殴ったので、
穴も多いのですが、
もっとも肝心なところを書き忘れて
補充することとなりました。

また、昨日書いたことは、
警察官だけではなく、消防職員、自衛官という
体を張って国民を守る職業に共通のものです。

つまり、
1 長時間労働と交代制勤務が睡眠時間を圧迫し、
  心の回復も不十分になること

2 生死にかかわる職務を遂行しているため、
  緊張感が著しく高まることが多いこと

3 このため、
  本来、仲間に対して受容的にならなければならないのに、
  その点が意識されていないために、
  同僚の不十分な点やミスに対して
  過酷な対応をしがちであること。

  また、上司の不合理な対応に強い危機感を抱くこと

4 まっすぐな気性と責任感が強い方が多いこと

5 自死の手段が身近にあり、
  具体的に自死のシミュレーションがかのうであること

 以上が昨日のお話でした。

 これに加えて、人間が大事にされていない、
 大切に扱われていないという現場を目撃してしまう
 そういう仕事だということが自死の危険を高める
 ということを付け加えなくてはなりませんでした。

 元となった考え方は、アメリカの心理学者
 トマス・ジョイナーが
 「WHY PEOPLE DIE BY SUICIDE」
 という本の中で提唱しています。

 要するに、自死の願望が強くなっても、
 生き物として死ぬことが怖い。
 このため、実際は自死が実行されないで済むのです。
 逆に、
 自死リスクが高くなるときは、
 死の恐怖が低くなるときだとしています。

 死の恐怖が低くなるのは、
 自傷行為や、戦闘行為を経験していくうちに
 少しずつ死を受け入れていくことだといいます。
 自死の能力が高まっていくという説明をしています。

 そこから先は対人関係学ですが、
 
 災害現場の無残な死体をみること、
 あるいは、無残な死に肩を目撃することは、
 人間という生物が、個性や人格を有し
 尊厳をもって生きていく生物だということの
 自信を揺るがすことです。 
 
 結局は、人間といっても有機的組織体に過ぎず、
 化学反応と電気信号で動いているだけだ
 とでもいうような無機的な感覚を抱いてしまう

 つまり人間は、
 お互いを尊重するものだ、
 自分は尊重されるものだというような
 暗黙の了解の中で生きているわけです。

 誰かが突然襲ってくるかもしれないということが
 日常であれば、とても子孫は残せません。

 これが崩れると、
 つまり、人間は尊重されるものだという感覚が
 否定されるような出来事を体験すると、
 およそ人間の価値というものが否定され始めてしまうわけです。
 無意識に、その人の心の中で。

 そうすると、
 自分が、人間だとしても
 そんなに価値のあるものではないという意識が育っていってしまい、
 死ぬことの恐怖が薄れていってしまいます。

 これが自死の能力が高まるという現象です。

 災害救助の場面では、悲惨なご遺体も多く、
 人間の価値に対する動揺が生まれます。

 警察官は、それだけでなく、
 殺人や傷害致死の被害者のご遺体を検分しなくてはなりません。
 人が他人という人間によって
 人として扱われなかった結果を目撃しなければなりません。

 生き死にだけではなく、
 詐欺事件なども、
 人が他人によって人間扱いされなかった場面です。

 被害者の絶望感を除いてしまうこともたびたびあるでしょう。

 被害を見るということが、
 自死の危険を高めるということなのです。

 ここは、弁護士も同様の場面に遭遇しますが、
 弁護士は、被害者または遺族の救済ということでかかわることが多いので、
 まだ救いがあると思います。

 人間扱いされなかったことの埋め合わせを請求するわけです。

 体を張った仕事ということは
 肉体を使うだけでなく、
 心をすり減らす仕事だといえると思います。

 住民の安全のために、わが身の命を危険にさらす仕事なのです。

 私の事務所では、
 警察官、自衛官、消防職員とそのご家族の相談は
 初回無料としていますが、
 それはこういう理由なのです。
 

 

 
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