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いなばの白うさぎの対人関係的解釈 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

大国主命大神の話の中に出てくる
因幡の白兎の話は有名ですが、
最近の子どもたちは知らないかもしれません。

島の白うさぎが、陸地にわたりたくても手段がない
一計を案じてわにざめをだまし、
白うさぎの一族とわにざめの一族の
どちらが多いか数えてあげるから
島から陸地まで並んでみてくれと
働きかけました。

わにざめは、それを信じて
おとなしく並んだので
数を数えるふりをして
わにざめの背中を渡り、
さあ、上陸だという時になって
それは嘘だ。自分は上陸したかっただけだと
ぽろっと話してしまったために
わにざめは怒って
よってたかってかみつき
皮をむかれてしまった。

かなり重症で苦しんでいた時に
大国主命の兄たちが通りかかって、
海の水に入って乾かすとよくなると騙しました。
それを信じて乾かしていたところ
塩が傷口に入ってきて
ますます苦しむことになった。

そこを通りかかったのが
末弟の大国主命で、
淡水で洗い、ガマの穂綿にくるまることを教え
白うさぎの傷口が癒えたというお話です。

白うさぎは大変感謝をして、
大国主命がお姫様と結婚することを助けたり
いろいろと恩を返すことになるという話です。


しかし、この話、
もともとうさぎが悪いんです。
わにざめをだましたのですから。

おそらく、当時、多くの数を数えるということも
ある程度の知識が必要であり、
素養のない人は、
数のペテンにあっていたことと思います。

なにせ、算用数字が使えないどころか、
文字すらもあったのか疑わしい時代のことです。
数字をごまかして
他人をだまそうとすれば
簡単に騙せた時代だったかもしれません。

なんらかの制裁を受けること自体は仕方のないこと
かもしれません。

皮をむかれたら生きてはいけませんので、
そこまでが実際あったことではなく、
おそらく、四面楚歌の状態になったのだと思います。

そこを通りかかった大国主命の兄たちも
神様ですから、
今でいえば為政者だったのでしょう。

為政者としては勧善懲悪を徹底していた時代ですから、
当事者の私的制裁を受けた後の白うさぎに対して
さらに追い打ちをかけて罰したということになるでしょう。

これは、正義です。正義の制裁ということになります。
言葉を変えてみれば常識ということですし、
多数派の考えということも言いうるかもしれません。

人をだました者をリアルに描くことは
かなり強烈なことだったので、
白うさぎということにして、
印象を緩和したのだと思いますし、
加害者性を緩めた表現になっているのでしょう。

問題はここからなのです。
大国主の話は、インドが由来のおとぎ話だとされているのですが、
全く知識はないのですが、
白うさぎを助けるということが
もしかしたら日本的な話なのではないかと思うのですが、

大国主は、そんな狡猾で弱い者いじめの白うさぎに対して
適切な対処方法を告げて
白うさぎを蘇生させました。

悪事を処罰するという正義だったり、常識に
反する行動をとったのです。
許すということですね。

どんな者であっても、
困っている状態、瀕死の状態(対人関係的に)であれば
救いたくなり、救ってあげる
というところに価値を置いている
という話なのではないかと
そう思うのです。

この種の物語の傾向として
助けられた者は恩を返すのですが、
それは本質ではないように思えるのです。

善悪にかかわらず人を助ける。
それが人を再生させる
ということのメッセージが、
生きることだけで厳しい時代の中で
育まれていたのだと思います。

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