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うつ病者が語りだす条件 ポリフォニーが成立するコミュニティ 過労死防止啓発シンポジウム宮城外伝 survivor9 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

平成28年11月26日 
仙台で過労死防止啓発シンポジウムがありました。

昨日概要についてご報告いたしましたが、
もう一つ側面から実践例としてご報告するべきことがあると思います。

当日のパネルディスカッションで、
心理学者2名と、働く人のサークルを主宰している人
過労死遺族と私が登壇しましたが、

別室で、声だけの参加ということで
過重労働でうつ病になった3人の女性も出演しました。

自分の考えが会社の頭になっていった経緯や
仕事をやめて転職するという発想がなく
我慢してハラスメントに耐え続けるか死ぬか
という選択肢しかなかったということ、
過重労働のさなかに
通勤電車に飛びこみそうになったけれど
ぼんやりしていたら電車が到着していた。
次の瞬間から1年くらい、
そのことを自体を忘れていた

(自死行為が
 はっきりした記憶に残る行動ではないこと
 突発的な行動であること
 自死に至らないけれど紙一重の人たちが多く存在すること)
 
など、生々しいお話をしていただきました。

ご本人の体験談ですから、
かなりの迫力がありました。

別室待機で声だけの出演とは言え、
大勢の観客のまで自分の声で参加する
ということは奇跡的なことだと思います。

初めから、うつ病の人の参加を予定しての企画ではありません。

あくまでも当初は調査にご協力いただくということで
お願いした企画でした。

ここからが本題なのですが、
このようなうつ病者のシンポジウム参加が実現した経緯についてです。

啓発シンポジウムは厚生労働省の主催です。
各都道府県で行われ、
遺族会や弁護団、労働組合が企画を担当します。
宮城県では、過労死、過労自死遺族の会東北希望の会が担当しました。

希望の会は、遺族どうしの助け合いと、過労死防止の社会活動という
二つの活動を目的として運営されています。

毎月1回、例会を開催しています。
遺族、弁護士、社会保険労務士、カウンセラーが集まります。
結成当初から、うつ病で休職中の労働者の方々も
参加はしていましたが、少数でした。

ところが、この1年くらい、
うつ病で休職したり、退職したりした人たちが
例会に参加するようになっていました。

遺族も、家族がどうして亡くなったのか
という手がかりもありますし、
家族にしてあげられなかったことをしたいという
自然な感情があり、
暖かく仲間として迎え入れていました。

その中で、うつ病の方々は、
自分がどうしてうつ病になったのか、
どんなつらい目に遭ったのか、
その時どういうことを考えていたのか、
自分から語りだしたのです。

私も、過労死事件を担当している性質上、
途中で仕事辞められなかった方の事例ばかり見ていたので、
どうして仕事をやめられたのかということに
大変興味があり、お話を夢中で聞いていました。

話し過ぎると苦しくなるので、
遺族が「もういいよ。」と話を止めるシーンもありました。

それが今回の企画の出発点でした。

こういう研究をやっているということを
私の依頼者のうつ病休職中の方にお話ししたところ、
これまで誘っても例会に参加しなかった方々が
興味をもって参加し始めたのです。

そして、自分からうつの体験を語り始めました。
かなり長い時間はなしていた人もいました。

話した後の様子を聞いても、
「話せてよかった」と言ってくださって
ほっとしました。
胸のつかえをおろしたような
そんな体験なのだそうです。

実際、
マスクして夜中のスーパーやコンビニエンスストアしか
外出できなかった人たちが
初対面の人たちに対して、
自分の苦しさを語っていますし、
自分の考え方の誤りまで語りだしているのです。

心理士の先生方に事情聴取をしていただいたのは
2名なのですが、
こうやって、多くのうつ病の方々の意見を反映して
私のsurvivorシリーズは作られていきました。


プレシンポジウムということで
心理士と学者の合同研究会にも
うつ病の方は出席されて発言をしてくださいました。

それでも、こちらは慎重に、
リアルタイムでの参加は負担が大きいと思い、
音声を録音してそれを流すことにしていました。

1週間くらい前の希望の会の例会で、
なんとなく、話したそうだなと感じたので、
思い切って、別室で声の出演できそうですか
と尋ねたところ、快諾をいただいたということで
声のリアルタイムの参加ということになりました。


おそらく、うつ病以前でも、人前に参加するなどということは
思いもよらないかたがただったはずです。
東北希望の会の例会に参加することによって
さらに強い社会性を獲得したということになるのではないでしょうか。

このヒントが、
もう一人の報告者三道先生の事例で、
主治医や産業医、会社に対する不信感を抱いていたうつ病者が
心理士との信頼関係を築きながら
うつ病を克服していき、
休職前よりも職場での社会性を取り戻したケースにあると思います。

オープンダイアローグの考え方をてこに考えると
主治医や産業医、会社は
うつ病者に対して、
いろいろ評価をして、指図をしていました。
うつ病者は、自分で自分のことを決められないという
息苦しさを感じていたようです。

三道先生は、うつ病者の目線に立ち
いろいろと話し合いながら
提案をしていった
というアプローチの違いがあったように思われます。

三道先生との対話の中で
うつ病者本人が主役であると感じていたことでしょう。

東北希望の会には
誰が、イニシアチブをとるとか、指導をするとかということはありませんが、
自然とそういう雰囲気ができていたと思います。

後ろ向きの気持ちも、死にたい気持ちも、
被害者意識も、恨みも
全て、誰も否定しません。
仕方がないよ等と言う評価もしません。

そういう事実があったのだということを
暖かく受容していたように思われます。

自分の意見を否定されない。
自分が話しているときは自分が主人公になれる
こういう関係ができていたように思われます。

うつ病者にこそ、オープンダイアローグは有効なのではないでしょうか。
そんな感想を持ったシンポジウムでした。

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