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中学校の「つぶしてやる」報道と教育員会、校長の対応には警戒しよう!解決は生徒たちに納得のゆくものを! [事務所生活]

先日、中学校教諭が
自分が顧問として指導している中学生に
「県の指定強化選手に選ばれたのをつぶしてやる」
と言われて、学校を休んだということが報道されました。

教師は、発言内容を認め
「強化選手として頑張れという意味で言ったつもりだったが、きちんと伝わっていなかった。軽率で短絡的な言葉だった」

と謝罪したと報道されています。

地元紙は、さらに保護者の言い分を掲載し
教諭がその他にも不適切な行為をしたと
読む者に印象を与えています。

(保護者からすると、
 そのように攻撃的になることは当然です。
 私が父兄であれば
 もっといろいろと表現を尽くしたことと思われます。
 それが家族としてあるべき姿だと思います。
 しかし、それをそのまま報道するかは
 全く別問題です。)

それだけの情報ならば、
その教師に対して怒りがわいてくる方が多いと思います。
私もそうでした。

この時、怒る人の脳内では、
自分が過去において、体験したり目撃したり等
したことを思い出して、
「その時の事実」が、
その中学校で起きていると
無意識に置き換えているのです。

実際は、教師がどういうシチュエーションで
そのような発言をしたのか
われわれはわからないのです。

勝手にこうだろうと思いこんで
怒っているわけです。

われわれの怒りの構造は
まさにDV夫だと妻から申し出があった場合の
行政の対応と一緒です。

ネットなどでは、
「頑張れという意味で言うなんて
 言い訳にならない」
ということが叫ばれています。

これだけの報道の情報であれば
言い訳にならないと判断するのはやむを得ません。
しかし、それは、想像力がないだけの話です。

私の亡くなったおじが、
社会的正義感の強い人で、
良くも悪くもそういう人で、
常日頃敬遠していました。

死期を悟ったおじと
話をする機会があったのですが、
もし私の仕事のスタイルが変わり、
弱者を食い物にするような人々の味方になるような仕事をするなら
いつでもつぶしに来る
と言われました。

化けて出てやるということです。

嫌な気はしませんでした。
むしろ、身内を意識した瞬間でした。
まさに、頑張れと励まされた思いでした。

もっとも、
教師が謝罪したように、
教育の現場で、つぶしてやるという言葉は不適切です。
言ってはならないことです。

しかし、教師の発言は
シチュエーションによっては、
頑張れという意味で言われたということも
(教師の主観として)
ありうることです。

さらに、その教師と
生徒たちの日頃の接し方によっても
意味が変わるものです。

SNSのいじめの問題に取り組んでいて痛感するのですが、
人間は言葉だけでコミュニケーションを
とっているわけではないのです。

言葉だけを取り上げて厳しい処分をしたり
さらし者にすることには
抵抗があります。

攻撃モードになると
そういうことは見えてきません。

もう一つ見えてこない場合があります。
逃走モードです。


この報道で、もっとも疑問が生じ
ふと我に返らせたのが
「今回の問題を受けて、この教諭は部活の顧問を辞め、
 男子生徒の授業を担当する際には
 校長や教頭が立ち合っているということです。」
という記事の部分です。

怒りにとらわれていると
そのばかばかしさに気が付くことができません。

この記事を読んだ生徒たちは、
自分たちの授業に、
校長や教頭が立ち会うという異様な光景を
その目で見ているのです。

ここでさらし者になっているのは、
教師ではなく、
被害者とされる生徒自身です。

おそらくいたたまれない気持ちになっていることでしょう。

要するに、このパフォーマンスは
生徒のために行われているのではなく
「学校は対応をしている」というアッピールのために
行われているわけです。

生徒の気持ちは不在だと言わなければなりません。
そういう意味で茶番です。

被害を受けたという生徒と
先生を慕う生徒たちの気持ちは
踏みにじられているのです。

こんなくだらないことを
教育委員会だか校長だか
教育をつかさどる人たちが
思いついて実行しているのです。

逃走モードのあまり
子どもたちの気持ちよりも
何か対応しているということを示し
批判をかわそうとしているとしか思えません。
学校や教育委員会も
追い込まれているのでしょう。

それに対して批判する論調がない
という嘆かわしい事態がこの国の実態なのかもしれません。
こういう時に冷静に、合理的な解決方法を考えるのが、
国力、民度というものだと思います。


私の知る限りということなので
それほど確からしい話ではないのですが、
引きこもりの多くが、
生徒間のいじめよりも、
学校側の対応に原因があった
可能性があるケースが多くあるようです。

部活動に問題がある事が多いようです。

この事件の報道を見て、
「私の子どももおんなじだ。」
「私の子どもはもっとひどい。」
と言い出す親たちが続出するかもしれません。

今回の、逃走モードの対応を見ていると
このような指導上の構造的な問題を解決しようという
そういう気概はないのだろうと思います。

収拾のつかない混乱の入り口になる可能性があると思います。


最後にいじめの学校対応と当事者目線で見続けている者から
言わなければいけないと思うことがあります。

どんな学校の対応も、
生徒たちは注目しているということです。

学校や教育委員会が
保身に走って、すべてを隠蔽している姿も
逆に
父兄の不安と真摯に向き合わないで
ただ追随して
不合理な切り捨てをする姿を
すべて見ています。

子どもたちに
説明のつかない行動をするべきではありません。

一番大事な視点は
マスコミの視点でも、教育委員会の視点でもなく
子どもたちの視点です。

それを裏切ることは
取り返しのつかないことです。

どんな事件に接しても
子どもたちは驚くほど公平公正に
見て、判断しています。

もし、今回の発言だけで
これまでの教師と生徒たちの信頼関係を
考慮しないで
重い処分が下されるのであれば、
生徒たちの大人への失望を招き、
取り返しのつかないことになると
私は思います。

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