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長時間労働、パワハラで自死に追い込まれた件の謝罪の会に立ち会いました。 [労災事件]

長時間労働とパワハラで私と同年代の方が
妻子を残して自死に追い込まれた事件の
損害賠償請求の代理人をしています。

和解がととのいつつあるのですが、
和解の条件として、
正式な謝罪と
将来に向けた過労死防止措置と遺族に対する配慮の
申し入れを行うから真剣に検討するように
というものを上げました。

これを受けて企業体の側が、
ホテルの一室を用意して
会をもうけてくれました。

全国組織の本社と支社の
相応の身分の方が来て、
謝罪をしていただきました。

こちら側は、遺族と私で
申し入れ書を作り渡しました。
骨子は、
長時間労働等過労死認定基準に該当する出来事を
排除すること
パワーハラスメントが起こる要因の排除
労働者が家族と生活するという事実を
大切にしていただくこと
偏見にさらされている自死遺族の心情を理解し
誤解を招く言動を行わないということ

出来事排除の趣旨は、
過労死と言われる心臓疾患、脳疾患心筋梗塞は
自覚症状がないまま進行してしまうこと
このため、自分や家族は症状の進行がわからない
病気を進行させる客観的な環境を改善することしか
防止の方法がないこと

パワーハラスメントは、
上司個人の性格の問題にするのではなく
ノルマの問題や、
計画的業務命令となっているか
上司が困難を抱えていないか
等のやはり環境的整備が必要だ
ということを述べました。

家族とともに生きるということについては
最近、このような要望書を作るときに、
よく入れさせていただくのですが、
過労死、過労自死が起きる時
パワハラももちろんですが、
相手の労働者の人間性が捨象されているのです。

具体的にどのようなことが人間性かというと
一つの切り口として
みんな、家族や友人やつながりの中で生きている
そういう立場やメンツというものをもつことが
人間というものだという意識、
こんな罵倒されている姿を
妻や子に見せるわけにはいかない
悔しかったり、辛かったりする背景に
自分のつながりの中での緊張関係が生まれる
ということにつながるということが一つなのですが、

もう一つ、
家族ぐるみで、支え合うということの大切さを
訴えるということが、
むしろ遺族が要望されることが多いです。

自死遺族に対する配慮ということですが、
どうも、第三者は良かれと思っていろいろ述べてしまうのですが、
解釈のしかたによっては、
自死をしたこと自体が不祥事であるとか
もっとつらい労働をして自死をしていない人がいるという言葉は
その人に比べて弱いとか
そういう風に受け止めてしまうものだということを
具体的な出来事を上げて述べさせていただきました。

この概要を私の方で説明した後
ご遺族が心境を語りました。
率直に素直な気持ちを語られましたが、
淡々とお話されて、とても立派でした。

むしろ淡々と語られたことが
相手方の心にも響いたようです。

使用者側の対応も立派でした。
ご遺族の負の感情の吐露も
使用者側の対応によって、安心して話ができたから
ということもあるのでしょう。

言い訳をするのではなく、
故人がいかに立派で、業績があり、
責任感が強く、意志が強かった
ということに力を入れてお話をされていました。

いろいろと辛いお話を聞かなければならかったのに
全て受け止めていただきました。

何よりも、
今回の事件をきっかけに
職場のシステムがだいぶ変わったというのです。
予想を超えた対応で感心しました。

ご遺族のお話で印象的だったのは、
一つは、社員研修で、自分の事件について
あるいは過労死のメカニズムについて
お話してほしいということと、

原職のご家族に、
申し入れのことについても周知してほしいということでした。

その後は、色々な思いを抱えていたとは思うのですが、
故人の生前のエピソードなどについて
打ち解けてお話を交わしました。

この場に立ち会って、
あるいは申し入れ書を作成しながら感じたことは

人を採用して働いてもらうということは
宝物を預かるということかもしれないなということです。
みんなみんな人と人とのつながりの中で生きている
宝物です。
お預かりしたものは、
定年まで大事に扱わなければならないし
毎日、家族の元に大切にお返ししなければならないものだと
つくづく感じました。

また、相手方が立派な対応されたので、
ご遺族の表情も和らいでおり、
第三者である私は、
その場では怒りの感情を失っていました。

その代わり
ただ、ただ、過労自死という形で人が亡くなったことが
取り返しのつかない悲しい出来事だという思いが強烈に高まり、
怒りの感情が失せたことによって
逃げようのない辛さ、苦しさを感じました。

怒りを抱くことが、
悲しみを和らげる効果があるということを
改めて感じました。

この日は雪が降っていました。
帰宅したころには夜になっていました。
街灯に照らされて、次から次から
暗闇の夜空から降り落ちる雪を見ていました。

命の営みは、
このように降り続く雪のように
悠久の時を通じて繰り返されるものなのかもしれないと感じました。

雪が落ちて溶けて、また降り落ちては溶けて
ただそれだけのことかもしれないのですが、
ただそれだけのことがとても愛おしく
崇高なことのように感じました。



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