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なぜ、人間関係は壊れるのか。(対人関係学) [家事]

あれほど好き合って結婚した夫婦が離婚したり、
気がある友達が犬猿の仲になったり、
人間関係は必ずしも長く続くものではないようです。

その一方で、
それほど仲良さそうではないのに
死ぬまで添い遂げるご夫婦がいらっしゃったり、
腐れ縁なんて言いながらも、
いつまでも仲良くやっている人たちもいます。

距離感が大切だなんてことを聞くこともあります。

これらは対人関係学的に言えば
(動物行動学的に言えば)
どうゆうことなのでしょうか。

これは、人間は動物でありながら
人間という群れを作る種であるということがカギになります。

動物の基本原則は、
自分のことは自分で守る、守りたい
というところにあります。

人間以外にも母子関係という
個体同士の結びつきがありますが、
これは、例外的で、
一つには、母からすれば乳児は、
自分の体内にあったものであり、
あまり自分との区別がつきにくいということと
母乳を与えることによるホルモンの作用による
と言われています。

だから、時期が来れば、
通常は子別れをするようになっています。
徐々に、異物になっていき、
自分の行動を制約するもの
ないし、自分に危害を与えるもの
という認識を持つようになります。

子別れは通常母親が促しているようです。

このように、同種であっても親子で会っても
他の個体は、一個体にとって
自然と、
「自分で自分の身を守る」ことの障害として
脳が認識するようになっています。

なわばりを犯す存在ということで
危険を感じる対象となります。

これが動物の基本です。

ところが、動物の中には
群れを作る動物がいて、
本来、異物ないし障害物である別個体と
共存をしている種もあります。

その極端な例が人間です。

特に人間だけは、
母子関係以外においても、
利他行為を行うようになっているし、
他の個体の感情を理解し、
経験を学ぶようになっているようです。

これは、人間という
攻撃力も、防御力も、逃走力も
きわめて中途半端な生き物の特質として有利ですし
また、お産が極めて重く、母体が傷つくために
母子関係が成立しない例が多い動物としては
種を保存するために必要な特性だった
と言えると思います。

人間は遺伝子上に、
群れに帰属したいという根源的な要求が
組み込まれていると言われています。

ところが、
この「群れに帰属したい」という遺伝子的仕組みは、
「自分で自分の身を守りたい」という遺伝子を
駆逐しているわけではないようなのです。

要するに、二つの遺伝子の仕組みは、
一つの個体の中で共存してしまっている
ということになります。

あたかも月と地球の関係のようです。
一方で、引力によって月と地球は引き合っているのですが、
他方遠心力も働いて
月は地球から遠ざかろうとしていて、
絶妙の距離を保ちながら
着かず離れずしている状態です。

人間通しの関係も
誰かと一緒にいながらも、
自分の行動の自由が確保できていれば
月と地球のように
着かず離れずの状態にあるのではないでしょうか。

親子も反抗期が来るまでは
お互いが自分の行動の自由を脅かす対象とは
認識されないことが多いです。

人間の場合(特に日本人の場合)、
父親さえも、子どもと自分の一体感を感じているようです。
自分のこととして子どもの要求に応じるわけです。
「目の中に入れてもいたくない」
という表現は極めて象徴的です。

中には母親さえも
子どもに手がかかり、
なく子どもに敵対心を持つ人がいますが、
これは、ホルモンの分泌の問題であって、
人間性という神秘的な話ではありません。
欠陥ではなく、コンディションというか
タイミングの問題なのでしょう。

母性欠落なんて言って気にする暇があったら、
子どもが泣くのは仕方がないなと割り切って、
できるだけ多くの人と子育てを分担し、
早く子離れをする方法を実践することです。
子どもの成長を促す方法、それは単純な話、
子どもを触る時間を増やすことです。
叩いてはだめですよ。
抱っこしなくてもさすってあげてください。
体温を伝え、自分の声を聴かせ、
においを感じさせてください。
五感で母親を感じると
勝手に安心していくと思います。

さて、さて
もう一つだけ、余計な話、
だから、反抗期というのは
普通の動物の子別れとは少し違います。

子どもが自分の障害物だと感じるようには
人間の場合はなかなかなりにくいものです。
家族という群れの構成員とみるからです。
子どもの反抗期は、もっと建設的に
新たな家族を作るという繁殖の準備として
表現されていきます。

ところで、夫婦や恋人は
どうして壊れるのでしょう。

最初は、繁殖相手という感情を
無意識に抱きますから、
生活以外の要求によって
引き合うわけです。

少々の障害については、
見えなくなっているわけです。

しかし、四六時中繁殖しているわけにはいかないので、
生活面において、相手の行動、志向が
自分の行動や感情の妨げになってくることに気が付きます。

人間的に未熟な場合は
子どもが親に要求するように、
自分の感情や要求を満足させろという
主張をするしか能がないということになります。
こういう場合は、
お互いが自分の行動の阻害物ということになり、
「自分で自分の身を守る」ことが
いざとなったらできなくなるのではないか
という妨害物だと思うようになるでしょう。

生きるための邪魔者
という感覚を脳が勝手に蓄積していきます。

極めて身近にいる
自分の生存活動の妨害者ですから
危険なことこの上なく感じるわけです。

かくして最愛の相手は
不倶戴天の敵になるわけです。

これを避けるためには、
適切な距離を置くことなのでしょう。
物理的な距離というよりも
心理的な距離ということなるのではないでしょうか。

最低限のプライバシーを確保するということもあるでしょう。

極端な話、相手に殺されるならしょうがないという覚悟も有効ですし、
逆にいざとなったら一人になるという覚悟も
長く続くコツなのかもしれません。

そうして、
自分の意見が通らない、あるいは
自分の思い通りにいかないということが

そんなに致命的な事柄なのか
見極めることが必要です。

案外意地を張っているだけで
どうでも良いことが多いようです。

相手の行動の自由を感じさせることも有効です。
相手の行動を肯定する、「いいね」という習慣
これが相手が、
「この人と近くにいても自分の行動の妨げにはならない。」
と感じさせるコツということになります。

そうして相手と自分とを対立させておくことをやめて、
群れというチーム、「私たちが」という感覚をつかむことが
人間関係を壊さないコツのようです。

一緒にいようとすることは本能ですが、
そのための行動は理性が必要です。
また、単なる愛情ではなく、
知識に裏付けられた行動が必要であるようです。

そのための知識を、
核家族に普及させる必要があると思われます。






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