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外国人労働者問題における国際労働基準と国内ワークルールの確立の視点を語り継ぐ 上野千鶴子さんの「この国のかたち」に寄せて [労務管理・労働環境]

中日新聞の
「この国のかたち 3人の論者に聞く」
というインタビュー記事の
上野千鶴子さんの発言が話題になっております。

この発言を契機として、
様々な方がご発言されていて、
大変勉強になりました。

上野千鶴子発言の前提を覆す。そもそも日本は移民にとって魅力的な国なのか?
は、古谷有希子さんという方の文章ですが、
移民や入植についての考え方を知ることができました。

移民問題は、「選択の問題」か?--上野さんの回答を読んで 岡野八代

は、シティズンシップ(国籍・市民権・市民であること・市民としての資格・市民らしいふるまい、などの意味)
という考え方を知ることができた貴重な体験でした。
国籍とは何か、国籍と人権ということを
考えさせられました。
人権について、自然科学的なアプローチをする
対人関係学からは、大変興味深い学問分野だと感じました。

このような貴重な、質の高い議論が寄せられるというところに、
上野千鶴子さんの影響力があるのだなと
実は、改めてかんしんしました。

質の問題では自信がないのですが、
昭和の時代に労働法を学んだものとしては、
外国人労働者の問題で議論する際の視点を提示しなければならない
という思いで書いています。

それがもう40年近く前のことなので、
松岡三郎先生だったか沼田稲次郎先生だったか
おそらくお二人ともおっしゃっていたのではないかと
いう記憶もおぼろげながらにあるのですが、
頑張ってみます。

第1に、国際労働基準の確立という問題です。
外国人の労働力の流入については、
国家間の経済格差を背景としていることが多くあります。
あると断定するのは、私の関わる事件において
ということになります。

自国においてきた家族を養うために
日本に来て就労しているという方と
仕事がら接することが多くあります。

国家間の経済格差は、ある程度やむを得ない
という議論もあり得るでしょうが、
この格差を生むことに
あるいは、格差に伴う苦痛を感じることに
日本が関係する場合があります。

日本法人が、外国に現地法人を立ち上げて、
現地の国民を
低賃金、過重労働で働かせて
人権を無視した扱いをしたような場合です。
これが直接的関与ですが、
日本ないし、グローバル企業に都合の良い役割を
その国に押し付けて、産業構造を硬直させている場合も
日本に責任がある場合になるでしょう。

このような問題
特に、経済的先進国にいいようにされてしまうことを避けることも含めて、
国際的な労働基準法を作ることが必要だ
ということを大学時代に教わりました。

外国人労働力が大量に流入することは、
当時から予想されていたことだったのです。

当時は、おおきな電機工場が、
アジアに工場を作ると言って
日本人労働者を大量解雇したという事件が問題になっていました。
私の愛国心は大いに刺激されました。

税金が高い、労働力が高い
だから外国に移転するということが
そう簡単に是認されることなのでしょうか。
愛国心的立場に偏っているかもしれませんが、
日本企業の愛国心には、それ以来疑問を持ち続けています。

もう一つの視点は、国内の労働条件の問題です。
これは、私が実務的に感じていることです。

要するに、外国人労働者がほとんどの職場には
日本人がいないか、ごく少数です。
なぜ外国人労働者がいるのかという問題は、
なぜ日本人労働者がいないのかという問題です。

例えば、居酒屋チェーンは、
外国人労働者がほとんどです。
かなりの低賃金で深夜労働をさせられています。

コンビニエンスストアでも、
外国人名の名札を付けている方が増えています。

おそらく、
日本の物価を前提とした賃金額の感覚と
外国の物価を前提とした賃金額の感覚の
ギャップで持っているということ等が
背景となって成り立っているのではないでしょうか。

すべての外国人労働者が多い職場で
このような問題があるとは限らないでしょうが、
日本の労働市場の在り方自体の問題も
外国人労働者の流入に大きな影響を与えていることは
間違いないようです。

よその職場だから、
安いと便利だから
ということで、
自分の関わらない職場でも
自国の職場には、厳しい視線を与え続けなければならない
という理由があると思います。

先に引用した論者の方々は、
外国人労働力の流入を受け入れるかどうかは、
国民が決めることではないということを発言され、
衝撃を受けました。

ただ、私の提起する二つの問題からの視点としては、
外国人労働力の流入や活用は、
日本の企業が、
日本人の失業や生活維持に興味を払わずに
できるだけ安いコストで企業運営をしたい
という動機から実行されている
という側面があるということです。

外国人労働力の流入は、
庶民の問題ではなく、
日本企業の問題なのだということです。

日本人は、やがて自分や自分の身内のことになるのだから、
国内の労働現場の実態に関心を寄せるべきだ
ということになると思います。

その延長線上に
国際労働基準の確立という問題が
根本的な問題としてあるということを
誰かが伝えなければならない
という語り部的意識で書いています。

さて、上野さんは、
みんなで一緒に貧しくなろうということを
提起されているようです。

私の視点からすれば、
みんなで一緒に貧しくなるということは、
このような効率優先に偏った企業活動の問題を放置することですから、
貧しさに歯止めがきかなくなるし、
外国人労働力の流入が加速度をつけて増加するだけの話です。


一貫して自分たち以外の人たちを受け入れないという視点は、
及び原因や理由がある事を直視しないで、
他者をそういうものだというように決めつける論法は、
結局、
「グローバリズムのお手伝いさん」であるということになるわけです。
ナンシーフレーザーの主張は
こんなところでも実証されてしまっている
ということを悲しみをもって指摘させていただきます。
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