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特攻隊員は、どうして任務を拒否したり、反乱を起こさなかったのか。日本の民族的特質からの検討 [事務所生活]



特攻隊員が、概ね、自分の意思で死地に赴いたと
主張する人たちがいます。

その根拠として、
もし、特攻隊の任務がその意思に反していたのならば、
拒否したり、反乱したりしていただろう、
そういう話はそれほどないので、
意思に反していなかった
という論法をたてています。

これは誤りです。

明治維新以来の富国強兵政策や
天皇を頂点とした国家主義という
国民の価値観の構築政策
それに反する主義、思想、宗教の徹底的な排斥
等という系統的な長期にわたる思考改造政策
価値観の創設という事業については
私でなくても誰かがお話しているでしょう。

軍隊の上官の言葉は、天皇陛下の言葉と同じくらい
異を唱えるべきものではないという意識が植え付けられた
という軍隊のイデオロギーについても
私以上に語るべき人がいるでしょう。

ましてや、特攻攻撃は、
陸軍の上層部で決定されたことであり、
天皇陛下が決めたことだと思っているのだから、
それに反対するということが
兵士たちにとって、あり得ないことであることも
私なんぞが言う話ではないでしょう。

では、私が何を言うかというと
日本人の秩序維持志向という観点です。

江戸時代において、
即ち明治維新という文明に毒されていない時代において、
日本人は、秩序を重んじ、
自己中心的な行動を戒めていた
ということが報告されています。

ヒュースケンの「日本日記」
モースの「日本その日その日」
その他、幕末から維新直後にかけて
来日した外国人たちが、
こぞって日本人の秩序を重んじる傾向が
一般庶民においても浸透している
ということを報告しています。

自国民ならば、こんな時、
収集がつかないくらいに混乱した状況になるだろう
と述べています。

私は日本人として、
このような国、国民に誇りを持っています。
私の愛国心の源があるわけです。

さて、このような国民性は、
明治維新以降の西洋文明によって
厳しく批判されるようになります。
ヒステリックに、
個人の尊重と秩序の尊重が対立させられ、
個人の尊重に重きを置かれるようになっています。

しかし、どんな「文明」をもってしても、
日本人の仲間を思いやり、
自分が一歩退くという美風は
なかなか消えるものではなかったと思います。
大分弱まっているとはいえ、
現代にも続いているところです。

西洋文明の影響を色濃く受けた人たちは、
秩序を重んじるという性質は、
長いものに撒かれろとか
権力に迎合する弱さだというかもしれません。

もしかするとそのような側面もあるのかもしれません。

しかし、仲間としてまとまることによって得られる利益があるから
仲間としてまとまる気風が生まれて、根付いたのだ
という考えもあり得ると思います。

また、本来、日本では、
上に立つべき人が上に立ち、
誤りが起こりにくい仕組みを作っていたとは考えられないでしょうか。

もちろん完璧な歴史というものはありませんから
いろいろとはみ出しながら
その根本が目指されたのだと思います。

この点、江戸時代の後半に
上に立つべき人ではない人が上に立ち
幕府を弱体化したという解釈がなされることがあります。
しかし、明治維新は江戸幕府の体制を否定する宿命がありますから、
歴史の評価は慎重に行う必要があります。

例えば日米和親条約や、修好通商条約などは
屈辱的な条約ですが、
幕府の外交の稚拙さからくるものだと
そういう批判があるように思いますが、

実際に、当時の列強の圧力から
国体を維持した外交努力と技術は
特筆されるべき出来事だという評価も
一方であることを知っていただきたいと思います。

秩序を維持する志向というのは
例えば教科書を作って、
それに全国民を習わせるというものではなく、
日本人の心の中に継承されているものです。

その仕組みというものが必ずありますから
分析していくのも面白い歴史の勉強かもしれません。

秩序という言葉は、
一般的な(平時の)生活だけでなく、
特別な出来事(有事の)行動の原理とか
幅広く使われています。

特に有事の際には、
出来事を検証している時間的余裕がないので、
自分の役割を瞬時に判断して
秩序を守る行動をすることになります。

日本人的な秩序維持のしくみは、
自分の意見を後景におしやって、
上に立つべき人を探したり、
自分を劣後させて他人に席を譲る形で
穏当な状態を保つという所にあります。

リーダー的な役割を担うべき人がいたら従い、
いなかった場合は、
強い者が譲っていくということです。
徹底した平等原理を、自分と相手に求めていきます。

東日本大震災の時に
世界が驚嘆した秩序維持は、
このようにして行われたと体験してみて思います。
日本人の心が現代にも受け継がれていたことになります。

もっとも、それを受け継いだ日本人は、
血縁的日本人だけではなく、
日本に住んでいた者ということになるでしょう。
それが震災の真実です。

意思に反して、
わずかの食料を買うために
長時間行列を作って待っていたとしても
反乱をする人や暴動を起こす人はいませんでした。

この日本人の心情を悪用したのが
明治維新と大日本帝国です。
その根源は「文明」にあると私はにらんでいます。

特攻隊が編成された当時
上に立つべき人の究極的な存在が天皇陛下でした。
自分の命が奪われるとしても、
逃げる場所がないこともありますが、
秩序を重んじる国民性は、
特攻隊員になることは自分の意思に反するという
そんな理由で
反乱を起こしたり、暴動をしたりということは
ありえないことだったのです。

この気持ちの継承は
東日本大震災だけではなく
われわれの身近にあることです。

例えば警察官が、
平成25年12月の通達に反して、
夫の妻に対する身体的暴力が無い場合にも
夫の行動の自由を奪い、
家庭に入ってきて、
夫を任意出頭という形で事実上拘束し、
やってもいない暴力を
将来的にしないという誓約書を書かせたりしています。
妻から暴力の訴えが無くてもしているところです。

これに対して、よほど豪胆な人でなければ、
警察の要請する任意出頭を拒否できないし、
誓約書の作成を拒否することもできない人が普通でしょう。

これは警察官が怖いということだけが理由ではないはずです。
警察官という仕事の内容を理解して、
警察官の指示には従うべきだという
秩序維持の感覚が、
やってもいないことを前提とした
権力の行使に反発をしながらも
理不尽を感じながらも
意思に反する誓約書を書かされながら、
自分の利益を後景に押しやり
抵抗しないのではないでしょうか。

抵抗しないというよりも
抵抗できない心理に初めからなっているわけです。

他国の国民ならいざ知らず、
日本人が反乱や抵抗を起こしにくい民族だということを
知らない人、理解できない人が
日本に多く住むようになってきたことに驚いている次第です。

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