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菊間千乃氏の、弁護により罪を軽くすることが再犯につながる、が妄言である事。じゃあ弁護って何ってはなし。 [刑事事件]

菊間千乃弁護士が、女性自身の記事で、
「弁護により罪を軽くすることが、再犯につながっているのかもしれない
とも感じていました。」と発言しています。

https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/crime/30969

「万引きの再犯率は約50%と、非常に高いのです。国選弁護などで窃盗犯の担当となれば、本人に反省を促すいっぽうで、なんとか罪が軽くなるように活動をします。しかし、弁護により罪を軽くすることが、再犯につながっているのかもしれないとも感じていました。万防機構は『万引きそのものをなくす』ことを目指していますので、犯罪そのものを減らしたい、という私の弁護士としての信念と同じだと思いました」(菊間さん・以下同)

もっとも、彼女の話の主眼は、
NPO法人全国万引犯罪防止機構の宣伝にあり、
万引き事案の撲滅のためには、
司法の力だけでは足りないということなのだろうと思います。

それはそうですけれど、
それなら余計なことを言わずにそう言えば良いわけです。

彼女の話は、
自分の経験に基づいて、実感として語るのではなく、
機構の用意した資料で語っているようです。

要するに、弁護士でなくても言えることです。
目くじら立てずに放っておけばよいのかもしれませんが、
彼女は発信力が強いために、
一般の方が刑事弁護について誤解をされると困る
という意識はありました。

要するに、弁護士は、適正な刑を手練手管で軽くして
お金を儲ける仕事だという誤解です。

しかし、一般の方がする誤解だけでなく、
結構まじめな若手弁護士も、同じような議論をしている人たちがいて、
慌てているところです。

研修所の刑事弁護の講義は、
無罪弁護が重視されるということもあり、
通常の無罪を争わない、
情状弁護の技術が軽視されているような危惧がありました。

それでも、弁護士や検察官、裁判官、同僚と意見をぶつけ合って、
色々と自分なりに情状弁護の在り方について実務に入るまでも悩み、
実務に入ってからも理想の刑事弁護を追い求めているのが
弁護士だと思っていたのですが、どうも様子が違うようです。

妙な割り切りがあり、
「弁護士の仕事なんて」というあきらめのようなものを感じたので、
慌てて、書いています。
先に弁護士業務を始めている者の責任もあるでしょうから。

菊間氏の話の中での一番の問題は、「刑を軽くする」ということです。
一般の人が読めば、先ほど言ったように、
適正な刑より軽くするという印象を受けるでしょう。
そこにはダーティーな匂いがします。

しかし、不正な手段を使って
適正な刑よりも軽くするとしたら大問題です。
刑事弁護とは言えないでしょう。

また、そのような手段を使って刑が軽くなるということはありません。
そんな甘いものではありません。
そんなことは若手弁護士も重々承知していると思います。

通常の刑事事件では、
弁護士が弁護しなければ裁判が成立しないようになっているので、
実際の比較は難しいのですが、
弁護したほうが弁護しないよりも、
刑が軽くなると思いますし、
そうならないと弁護する意味が無いということも真実だと思います。

それはこういうことなのです。
現行の刑事裁判は、
検察が犯人を裁判にかけ、
有罪無罪と、有罪の場合の刑の大きさを
裁判官が判断します。

検察官は、一般予防の観点から
つまり、悪いことをすれば、刑を受けることになる
ということを示して
同種の行為が悪いこと、やってはいけないこと
ということをアッピールして、犯罪の防止に努める
ということが仕事ということになります。

社会防衛の観点から、
罪に厳しく対応することが使命です。

弁護士はというと(無罪を争わない場合)、
第1に、犯人の利益を擁護します。
社会的に孤独な立場にある犯人の唯一の味方
ということもあり得る仕事です。

罪を犯したことのやむを得ない点だったり、
犯人だけの責任ではない点だったりを主張し、
検察官が言うほど重い罪ではないということを
事実をもって主張します。

検察官が類型的な主張するのに対して、
弁護人は個別的な事情を主張していくという
大雑把な傾向の違いはあるかもしれません。

いずれにしても、適正な刑の大きさから刑を軽くするのではなく、
弁護人として考える適正な刑を主張するわけです。
その結果、検察官の求刑よりも軽くなるということは、
検察官もある程度は織り込み済みということにもなります。

だから、私は刑事弁護をしているときも、
不適正な主張をしたことが無いことはもちろんですが、
言葉はともかく、刑を軽くしてくださいという
お願いトーンで弁護したことはありません。

弁護士が、手練手管で刑を軽くするというのではなく、
適正な刑にするよう努力するということは
お分かりいただいたと思います。

第2に、弁護で刑を軽くしたから再犯が起きる
ということも、とんでもないことです。
何弁護してきたのだというか、
本当に刑事弁護したことあるのという気持ちになります。

何が問題って、ここが問題です。
弁護士が、「本人に反省を促すいっぽうで、なんとか罪が軽くなるように活動をします。」というところです。
「反省を促すこと」と「罪が軽くなるようにする活動」が
見事に分かれています。
ちょっと言葉のアヤのような気もするので酷ですが、
わかりやすい部分なのであえて揚げ足をとることにします。

私の結論を先に言うと、
「本人の反省を深めることこそ」、
結果として量刑が低くなることで、
弁護人としての関わる場合の最も大切なところだ
ということになります。

適正な刑にするための弁護活動で、
例えば、実際に盗んだ金額以上に過大に評価されていることを訂正するとか
示談をするとか、
動機とか、手段とか、盗んだ商品の行方とか
そういうことを主張しますが、
それは、弁護人が主張しなくても
ある程度明らかになっていることが多いです。

やったことは、変えようがありません。

すると、実際に結果として量刑が軽くなることにつながる活動とは、
被告人に反省をしてもらうことなのです。

ここでいう反省は特殊です。
「悪いことをした」、「気持ちが弱かった」、「流されやすかった」
「もう二度としない」、「命を懸けて更生をする」
というのが、反省になっていないダメな表現です。

では、どういうことが反省なのかという前に、
どのような場合が量刑が重く、
どのような場合が量刑が軽くなるのかを考えましょう。

基本は罪の大きさ、やったことですね
これで量刑の枠が決まります。

それなのに反省をすれば量刑が軽くなるというのであれば、
反省することと量刑の軽重はどう結びつくのでしょう。
ここがポイントです。

一言でいえば、
再犯可能性ということになります。
考えてみれば当たり前の話ですが、

ああこの人裁判所出たらまた盗むだろうな
という場合は、
刑務所に入れた方が世のため人のためだし、
できる限り長く入れようということになるでしょう。

それとは反対に
なるほど、色々な事情から、
今度はやらない可能性も高いな
と言えば、一回様子を見て執行猶予にするかとか
刑を軽めにして、今の気持ちを忘れないようにしてもらおう
とかで刑が軽くなる
大雑把に言えばこういう話です。

だから、
本当に、「二度とやらない可能性がある」
と裁判官に思わせなければ
量刑の観点からは、
その反省に意味がないことになります。

少しでも短い刑にしたい
そう思うのは人情ですし、
刑務所に長くいることに、本人にメリットはないでしょう。
そこまで刑務所サイドに余裕はありません。

しかし、刑務所にいる年月を短くしたい
できれば執行猶予をとりたい
と思うならば、
「反省」をする必要があるのです。

ここは、実務ではなかなか難しいところです。

しかし、多くの人が
刑期を短くしたいというエネルギーを
更生の意欲に変えて
自分なりに見事に反省をします。

そのためには刑事弁護でいう所の反省とは何か
どのように反省に導くか
というテーマを
弁護士は持ち続けて弁護し、
後輩に具体的に提案する
という作業を意識的にする必要があると思います。

このブログは記事が多すぎになっていますが、
あちこち反省について述べています。

長文が超長文になりましたから、
その話はいずれということで。

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