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孔子の「仁」と対人関係学 人間にとって大切なことと儒学が戦争遂行に利用されたポイント [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

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孔子の政治思想は、徳治主義と呼ばれます。
権力者が正しい行いをすれば民衆も正しくふるまう
という考えの元、
先ず権力者が襟を正せと説きました。

これに対する政治思想は法治主義と言いますが、
現代の法治主義と言葉は同じですが、意味は違います。
その頃の法治主義は、
人は元来どうしようもない考えを持っているので、
権力者が指図をしてた民を従わせ、
従わない者は処罰する
というものです。

こういう風に考えると徳治主義は、
人は元来どうしようもない存在ではなく、
正しいことに向かって行動する
という性質があるとの人間観を前提にしていることになります。
正しい方向を権力者が自分の行動で指し示せば
国はよりよく統治できるということで、
(修己知人)
性善説が前提になっているように思われます。

これが孔子の政治思想の根本ですし、
法治主義的な考え方は真っ向から批判していますので、
これに反する行動をする権力者が
儒学を振りかざして説教したとしても
その儒学は眉唾のまがい物ということになります。

民に道徳を指図して、これに従わない者を処罰する
というのは孔子の教えとは全く無関係ということです。
ここがまがい物と本物の区別の基準です。

2 

孔子は、人の生き方を説いたとも言われていますが、
論語を読む限り、統治論、政治思想、あるいは法律論を説いている
と弁護士としての私にはうつります。
(最終的にはあまり区別は必要なくなるのですが)

その文脈で、
孔子が立派な人にとって必要なことは
「仁」であると述べています。
高校生の倫理社会の教科書では
「仁とは、人を愛することだ」と説明されていますが、
なるほどと思いました・

そういうわけで仁がテーマです。

では、孔子が言う人を愛することとは何でしょうか。
孔子は「仁」の基本は、「孝悌」だと言います。
高校の教科書では、この孝悌とは、
「親子・兄弟間の自然生まれる親愛の情」
としています。私はこの解釈を支持します。

そして、その孝悌の情を、家族だけでなく
集落に広げ、村に広げ、
国家にも広げていく
ということを孔子は説きます。

そうすれば、国家は愛にあふれたものになる
ということになります。

なるほど一つの理想だと思います。
そのように考えると、
孔子が政治とは何かということに回答しているのですが、
権力者が国民の要求を先回りして考えること、
人々をねぎらうことだ
と言った言葉につながると思います。
そしてもう一つ大切なことは
それを続けることということでした。

これは国家の政治だけでなく、
家族の関係でもいえることだと思います。

孔子の黄金律は、自分が嫌がることを相手にもしない
ということだと言われていますが、
この部分を考えると
イエスの黄金律と全く同じということになるでしょう。
相手が欲していることを常に考えることが
愛であるということですから。

さらに、愛について、あるいは親子の心情について
極限的な例についての見解が述べられています。
父親が迷い込んできた他人の羊を
返さないで自分の物したということを
子どもが警察に訴え出たという話です。
それを称賛する人に対して、孔子は
「親は子のために隠す子は親のために隠す」
ということを述べています。
これについては前に書きましたので
省略します。

「親は子のために隠す、夫は妻のために正義を我慢する。論語に学ぼう。他人の家庭に土足で常識や法律を持ち込まないでほしい。必要なことは家族を尊重するということ。」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-05-11



孝悌の情が国中に満ちるためには、
ただ自然に任せているだけでは不十分で、
具体的な孝悌のパターンを鍛えることが必要だということになります。
それが、克己、恕、忠、信ということになります。

克己とは自分に打ち勝つということですが、
現代では、自分の弱さ、怠惰に打ち勝つことという意味が一般的です。
克己心をもって受験に取り組むとかですね。
立身出世のための言葉になってしまっています。

孔子の教えの「克己」とは
私利私欲を抑えるということのようです。
他者との協調を優先するべきだ
という考え方のように感じました。
そうして私利私欲を捨てて他者と協調することは、
人間本来の考え方だと主張しているように感じるのです。

こざかしい文化等がその人間本来の考え方を曇らせているのであるから
目の曇りを晴らす、それが本来の克己ということになるはずです。

「恕」とは他人を思いやること
先ほど述べた孔子の黄金律ということになります。

ちなみに忠は自分を欺かないこと
信は他者を欺かないことということだそうです。

4 

さて、我田引水的に論語を読むわけですが、
対人関係学は、本来人間は
仲間と協調して生きていこうとする習性があり、
仲間のために努力することに喜びを感じる動物であると考えます。

それが言葉や経済等様々な文明によって目を曇らせ
本来の習性、本能によって行動できないために
様々な不具合が生じると説明しています。

これは、きれいごとを言っているのではなく
チンパンジーの祖先と人間の祖先が分かれて800万年
力も俊敏さもない人間が絶滅しないで生き延びた
のは群れを作ることができたからだと思うのですが、
群れを作る原理だったのだと思っています。

この観点から論語を読むと、
仁というのは、
この人間の本能に純粋に耳を傾けることということになります。
どこに人間の本能の純度が高く残っているかというと
親子の情愛ではないかと思われますので、
孝悌の情が仁の基本であるということは
とても合理的なことだということになります。

先ほど子は親のために隠すという言葉がありましたが、
親を警察に告発した子の行動は「直き(なおき)行い」ではないと孔子は言い、
親をかばうことが直きことだと述べています。

一般的にはこの「直き」は「正直」と訳されますが、
対人関係学的には、
文字通り人間の群れを作る本能にストレートだという意味で、
直き心こそ耳を傾けるべきもので、価値があるものだ
という解釈になります。

本当は友達や同僚と仲良くしたいのだけど
それをできなくする事情が現代社会にはある
その事情を少なくし、事情の影響を弱くしていく方法が
対人関係の研究テーマだということになりますので、
孔子の教えとはだいぶ近いのかもしれません。

また、人々が仲良くすることによって
新たな問題が起きにくくなり、
人類は、余計なストレスから解放されて
そのアドバンテージを発揮できるようになっていく
ということなのですが、
そのためには、

仲間の失敗や欠点、不十分点を
責めない、笑わない、いたずらに批判しない
許し、補い、助ける

ということが大切であり、
それが人間本来の群れを作る仕組みだった
ということを主張しています。

これが恕であり、親のために隠すということにつながることだと思います。

そのように仁を探究し、
仁を形にする礼で他人と接することが孔子の教え
ということであれば
対人関係学と
ほとんど同じなのかもしれません。

あくまでも我田引水的に読んだ場合のことです。

これが紀元前4世紀とか5世紀の考察ですから
とても素晴らしいと感銘を受けている次第です。



ところが、儒学は、
戦前国家イデオロギーとして、
戦争遂行の道具とされていました。

学校では教師が孝を教えて
戦場に子どもたちを駆り立てました。

権力者は、自ら手本となることなく、
民を指図し、それに反対する考えを持っただけで
法によらず処罰し、拷問にかけたわけです。
不道徳にもきりがない状態です。

どうして、国中を愛であふれさせようとした孔子の教えが
戦争遂行の道具となったのでしょうか。

いくつかポイントがあります。

一つは、「孝悌」の解釈です。
先ほどは倫理社会の教科書の解釈を紹介しましたが、
儒学では、年長者に対する尊敬と奉仕の感情
という意味だとされているようです。
しかし、これが家族から、集落、国家へと広がってしまうと、
家長への服従、集落の長への服従、
そして国家権力に対する服従になってしまいます。

国家と国家権力者が同一視され、
全体主義の理論武装になってしまいます。

民は、国家の奴隷となってしまい、
権力者は
民の欲することを先回りすることもなく
ねぎらうこともなくなってしまいます。
現実にそうなってしまったわけです。

最も大切な政治思想である
権力者が徳をもって国を治める徳治主義
ということがどこかに行ってしまったわけです。

孝悌とは、確かに年長者に対しての尊敬だと
読めるような話も論語には書かれているのですが、
年長者に年少者は尊敬もって接するという
単純な意味ではなさそうです。

ここでいう年長者は、養われる対象ということなので、
かなりの年長者に対するものではないか
特別の意味があるのではないかと考えています。
当時の人間の寿命や健康状態も知っておく必要がありそうです。

孝悌については、
あくまでも徳治主義の観点から
読み直す必要がありそうな気がしているところです。

もう一つの象徴的なことは「恕」の解釈です。
これは、権力者の民に対する思いやりや、
相互の思いやりということなのですが、
民の国家に対する奉仕活動の意味にすり替えられてしまいました。

現在、儒学や恕の思想に学んで
公立学校で、駅や公園のトイレを素手で掃除させている教育員会が
自慢げに写真付きで宣伝していますが、
まさに戦争協力で利用された儒学を復活させて
広めようとしていることに外なりません。

民がよりよく充実して生きることの価値観を奪い
権力に奉仕させることにすり替える戦前の教育と言えるでしょう。

このように孔子の教えの根本である徳治主義に
反するような教えは孔子の教えとは無関係であり、
警戒をしなければならないということになります。

では徳治主義とは何か
そのような政は現実にあったのかということで、
孔子は周という殷の後の王国をモデルにします。

私は、東日本大震災の直後の
今上陛下、皇后陛下の被災地ご訪問を挙げたいと思います。

この詳細は当時書きました
「両陛下宮城県の被災地に、避難所に。水仙の雅な本歌取り。」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2011-04-28

その時書かなかったのですが、
両陛下は作業着をお召しになって避難所を回られました。
お召し物が汚れるからではなく、
被災者の心情を配慮してそのような服装をなさったものと思います。
着の身着のままでようやく生き延びて
埃まみれの避難所に
立派なお召し物のお二人がいらっしゃったら
被災民はどう思われるでしょう。
これが「恕」だと思います。

作業服をお召しになってひざまずいて被災者とお話された
両陛下のお姿を思い出すと
今でも涙が出てきます。

両陛下の徳を拝見して、
被災者の特に高齢の方々は生きる意欲を取り戻し、
国中が一つになって復興を目指した
そういうふうに私は思っています。

これこそが徳治主義だと思います。

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