道徳の起源に関するアジア的な規範理解に基づく考察 [進化心理学、生理学、対人関係学]
認知心理学の大勢のように心の起源を狩猟採集時代の生活様式におくことには異論がない。しかし、道徳の起源をその頃におくことには疑問がある。問題の所在は、道徳の性質と起源の意味にある。道徳などの規範は、あくまでも意識の外に存在するものでなければならないと考える。そしてそれに従うという承認の契機があって初めて実存する(H.LA.ハート)。狩猟採集時代に、このような外在的な規範があったとは考えることは無理があると思う。加えて当時は、外在的な規範が存在しなくても群れを形成し、維持することが可能だったと考えるからである。
道徳の起源を狩猟採集時代に求める考えは、当時30人から200人の群れが形成されていたのであるから、群れ形成のためには何らかの人間を規律する仕組みがあったはずだとの前提があるように思われる。人間の心、行動を外から制約することが必要だという考えである。私はこれが不要だという主張をする。
狩猟採集時代に群れの形成を可能としたものは、規範ではなく、感情であり、それは共鳴と共感であると考える。
その説明をする前に、狩猟採集時代の群れの在り方について理解、あるいは想像力が必要である。当時は、原則として、人間は、生まれてから死ぬまで一つの群れで生活していた。つまり、生まれてから死ぬまで同じ構成員と過ごしていた。人間の個体識別の能力に適う少人数だったため、誰がどういう人間かということを熟知していた。共感、共鳴を抱きやすい環境であると考える。客観的にも、群れが弱体化すると、飢えが生じたり、肉食獣に捕食される可能性が増加したり、出産と子育てに支障が生じたりという不利益が生まれてしまう。
だから、群れの中では、誰かが困っていたり苦しんでいたら、自分が困っていたり苦しんでいる場合と同じ感情を持つことは極めて合理的である。助けようとする行動が自然に起こり、助けられた方は群れに感謝し、群れのために尽くそうという気持ちが自然にわいてきただろう。
食料や情報を平等に分け与えていたし、分業をきちんと行っていた。これは客観的には、少数の群れの中で貧富の差があることは、弱者が衰弱して、結局群れが弱体化し、消滅しやすくする。平等は合理的である。主観的には、不利益を与えられる者がいると、その者が悲しんだり苦しんだりする。これに共鳴して、何とか助けたいという気持ちになったのだろう。
群れの中での共鳴共感の仕組みによる助け合いは、当時の人間が置かれた環境に適合するために群れを作るにあたっての必要条件であった。この行動傾向が確立していくことこそ、心が形づけられることである。群れの仲間同士は、一つの体のパーツのように、お互いが深刻な対立をすることなく、生活をしていたことだろう。外在的な法律や道徳は不要であった。
この考えは、アジア的哲学の中にとどめられている。孔子は、論語の中で、次のエピソードを述べている。
評価の高い軍師が孔子と話をする機会に、「私の地方には、自分の父親がまぎれてきた他人の羊を返さずに自分のものにしたと、訴え出た人物がいる。正直な人間だ。」と言った。これに対して孔子は、「私の地方では、正直な人間の意味が違う。親は子の悪事を隠し、子は親の悪事を隠すことが自然の摂理に素直な行いだと考えられている」と返したとされている。
軍師は、外在的規律である道徳的正しさを述べている。しかし、孔子は、親子の情を重視したとされているエピソードである。孔子は、親と一緒になって盗みを働くことを称賛しているわけではない。法律家の立場から考えると刑罰という国家的規範にも限界があり、親子の自然な感情を処罰の対象とすることは慎重にしなければならないというものである。それは、国家の秩序の目的が、国民の平穏な生活を維持するためのものであり、親子が助け合って生活することがその一つの理想となる。国家はそのための道具であるという考えである。この考えは日本の刑法にも取り入れられており、親族をかばうための行為は、刑が免除される規定がある。また、法は家庭に入らないと定式化され、家族間の犯罪も刑が免除される規定がある。法が家庭に入らないということは世界各地にある考え方だが、孔子の考えはさらに一歩進めたアジア的な規範意識と言えそうである。これは、家族間の情愛と、法、道徳という外在的規律ツールを厳然と区別するところに特徴があるのではないだろうか。
この家族間の情愛について、孔子の時代から狩猟採集時代へと年代を遡らせて考えた場合、そこにあるのは家族よりも広い人間が集まり、家族よりも多い人数の集団を形成している「群れ」である。原則としてこの群れのメンバーとだけ一生を過ごしていたのであるから、孔子の時代や現代の「家族」よりも濃い人間関係があったと思われるのである。おそらく、群れ全体の利益と個人の利益の衝突は、それほど考える必要もなかったと思われる。共鳴共感が起こりやすく、利害対立が起こりにくい時代だったと思う。そして、群れに貢献することが、各構成員の気持ちが落ち着く、つまり副交感神経を活性化させることだった。この生理的変化も群れを形成し維持する誘導要因だったと考える。結局、外在的規範、道徳がなくても、群れは形成できた。それ以上の秩序は不要だったと考える。
それでは、外在的な規範である道徳の起源はどこにあるのか。先ず、道徳はいつごろから生まれたのか。
私は、農業革命前夜頃だと考えている。農業生産物の増加は、定住の傾向を促進するとともに、群れの集団の人数が増加した。さらに、他の群れとの交流が起こるようになって行った。かかわりあう人間の数が、飛躍的に増大し、個体識別ができない数の人間と関わり合いを持つようになった。また、例えば水利をめぐっての争いなど、人間同士で利害関係が対立する場面も生まれてきたかもしれない。
それ以前の狩猟採集時代は、自分以外の人間は仲間だった。しかし、その後は、自分以外の人間が他人である場合が生まれた。さらに利害対立する者がでてきたのである。そうなると、人間同士が争うことによって、共倒れになる危険も増えてきた。また、争いは、狩猟採集時代はごく例外的なイベントであったため、利害対立する相手とはいえ、仲間かも知れないという意識のある人間と対立することによって、傷つくものが現れると、対立の勝者も傷つくことが多かったと思われる。
このため、感情、情動に任せて行動をしないで、道徳に従った行動をすることが合理的になって行く。これが、道徳の起源だと私は考える。相手に対する共感、共鳴はできないが、特定の行動をしなければならない、あるいは、してはならないということが道徳の始まりだったと思われる。道徳が存在する必要性、必然性が生まれたのである。そして、道徳など、他人同士を規律する規範の合理性を求めて、事態を単純に、直感的に見ないで、何らかの行為をしたことにより生じるいろいろな結果を考えるようになっていっただろう。人間の脳が発達していったと思われる。この規範意識の醸成は、農業のように、直ちに結果が出ずに将来的な結果を求めて、準備活動をする作業と会い関連して育まれたものと考える。農業の発明は、単に食糧事情だけでなく、人間と人間の結びつきや人間の脳の機能にも影響を与えていったのである。
では、その時の道徳は、どこからきたのか。何をお手本として作られたのか。何が道徳的に満たされた理想的な人間関係だったのか。
私は、これこそが狩猟採集時代の人間関係であったと思われる。共感、共鳴を素直に抱けない相手であっても、およそ人間を攻撃してはならない。人間が困っている時は助けなければならない。人間の弱さ、欠点、不十分点を攻撃したり批判したりしてはならない。みんな平等に扱われなければならない。原則として仲間から追放してはならない。集団に対して不利益を与えてはならない。こういった狩猟採集時代の人間関係の当たり前が、多人数か、群れの中の群れの形成によって、当たり前ではなくなって行った。その当たり前だったことに反する行為は、心理的にも負担だったと思われる。道徳は、本来、狩猟採集時代の濃い人間関係にない者同士を、あたかも濃い人間関係であるかのように扱うことを要請するものである。このため、狩猟採集時代の人間観を色濃く残していた当時の人間たちも、素直に受け入れていったものと思われる。人間の行動傾向が数百万年かけて確立し、行動様式も脳の構造も、適応しやすいように進化していった。農業の発展によって環境こそ変化したが、人間の心は、容易に変化しない。それまでの間に形成された行動様式、人間関係の感覚をもとに形成された道徳が、心地よいものであったことは想像しやすい。心地よいとは、緊張が解かれること、生理的に言えば、交感神経の活性化から副交感神経の活性化へと変化することである。人間は素直に快楽に従ったのである。
この脳の構造や遺伝子にしみ込んだような行動様式は、現代においても継承されている。一方で、人間同士が助け合うことを体験したり、目撃しただけでも心地よい気持ちになる。弱い者を見て、愛おしい、かわいいという気持ちになり、弱い者が無抵抗のまま攻撃されるところを見ると怒りが湧いてくる。見ず知らずの人間と、相手が人間だというだけで、うっかり信頼を寄せてしまったり、横路美や悲しみを分かち合うこともある。他方では、自分が狩猟採集時代の群れの構成員のように扱われたいと思っている。扱われないことによって、辛い思い、寂しい思い、悔しい思いをする。一人だけ分配されないとか、仲間から排除されたり、職場や学校で無視をされたり、嫌がることをされたりすると、悔しい思いをしたり、執拗に攻撃されると生きる意欲が失われていくことがある。
正当にも、これらの感情が現れることは人間らしい感情だとされている。そして、その理由も人間だから当たり前だとされている。そこで言う人間とは何だろうか、人権とは何だろうか。私は、狩猟採集時代に、厳しい自然環境に適応するために人間が形成した脳の構造と生理的仕組みだと考えている。
道徳の起源を狩猟採集時代に求める考えは、当時30人から200人の群れが形成されていたのであるから、群れ形成のためには何らかの人間を規律する仕組みがあったはずだとの前提があるように思われる。人間の心、行動を外から制約することが必要だという考えである。私はこれが不要だという主張をする。
狩猟採集時代に群れの形成を可能としたものは、規範ではなく、感情であり、それは共鳴と共感であると考える。
その説明をする前に、狩猟採集時代の群れの在り方について理解、あるいは想像力が必要である。当時は、原則として、人間は、生まれてから死ぬまで一つの群れで生活していた。つまり、生まれてから死ぬまで同じ構成員と過ごしていた。人間の個体識別の能力に適う少人数だったため、誰がどういう人間かということを熟知していた。共感、共鳴を抱きやすい環境であると考える。客観的にも、群れが弱体化すると、飢えが生じたり、肉食獣に捕食される可能性が増加したり、出産と子育てに支障が生じたりという不利益が生まれてしまう。
だから、群れの中では、誰かが困っていたり苦しんでいたら、自分が困っていたり苦しんでいる場合と同じ感情を持つことは極めて合理的である。助けようとする行動が自然に起こり、助けられた方は群れに感謝し、群れのために尽くそうという気持ちが自然にわいてきただろう。
食料や情報を平等に分け与えていたし、分業をきちんと行っていた。これは客観的には、少数の群れの中で貧富の差があることは、弱者が衰弱して、結局群れが弱体化し、消滅しやすくする。平等は合理的である。主観的には、不利益を与えられる者がいると、その者が悲しんだり苦しんだりする。これに共鳴して、何とか助けたいという気持ちになったのだろう。
群れの中での共鳴共感の仕組みによる助け合いは、当時の人間が置かれた環境に適合するために群れを作るにあたっての必要条件であった。この行動傾向が確立していくことこそ、心が形づけられることである。群れの仲間同士は、一つの体のパーツのように、お互いが深刻な対立をすることなく、生活をしていたことだろう。外在的な法律や道徳は不要であった。
この考えは、アジア的哲学の中にとどめられている。孔子は、論語の中で、次のエピソードを述べている。
評価の高い軍師が孔子と話をする機会に、「私の地方には、自分の父親がまぎれてきた他人の羊を返さずに自分のものにしたと、訴え出た人物がいる。正直な人間だ。」と言った。これに対して孔子は、「私の地方では、正直な人間の意味が違う。親は子の悪事を隠し、子は親の悪事を隠すことが自然の摂理に素直な行いだと考えられている」と返したとされている。
軍師は、外在的規律である道徳的正しさを述べている。しかし、孔子は、親子の情を重視したとされているエピソードである。孔子は、親と一緒になって盗みを働くことを称賛しているわけではない。法律家の立場から考えると刑罰という国家的規範にも限界があり、親子の自然な感情を処罰の対象とすることは慎重にしなければならないというものである。それは、国家の秩序の目的が、国民の平穏な生活を維持するためのものであり、親子が助け合って生活することがその一つの理想となる。国家はそのための道具であるという考えである。この考えは日本の刑法にも取り入れられており、親族をかばうための行為は、刑が免除される規定がある。また、法は家庭に入らないと定式化され、家族間の犯罪も刑が免除される規定がある。法が家庭に入らないということは世界各地にある考え方だが、孔子の考えはさらに一歩進めたアジア的な規範意識と言えそうである。これは、家族間の情愛と、法、道徳という外在的規律ツールを厳然と区別するところに特徴があるのではないだろうか。
この家族間の情愛について、孔子の時代から狩猟採集時代へと年代を遡らせて考えた場合、そこにあるのは家族よりも広い人間が集まり、家族よりも多い人数の集団を形成している「群れ」である。原則としてこの群れのメンバーとだけ一生を過ごしていたのであるから、孔子の時代や現代の「家族」よりも濃い人間関係があったと思われるのである。おそらく、群れ全体の利益と個人の利益の衝突は、それほど考える必要もなかったと思われる。共鳴共感が起こりやすく、利害対立が起こりにくい時代だったと思う。そして、群れに貢献することが、各構成員の気持ちが落ち着く、つまり副交感神経を活性化させることだった。この生理的変化も群れを形成し維持する誘導要因だったと考える。結局、外在的規範、道徳がなくても、群れは形成できた。それ以上の秩序は不要だったと考える。
それでは、外在的な規範である道徳の起源はどこにあるのか。先ず、道徳はいつごろから生まれたのか。
私は、農業革命前夜頃だと考えている。農業生産物の増加は、定住の傾向を促進するとともに、群れの集団の人数が増加した。さらに、他の群れとの交流が起こるようになって行った。かかわりあう人間の数が、飛躍的に増大し、個体識別ができない数の人間と関わり合いを持つようになった。また、例えば水利をめぐっての争いなど、人間同士で利害関係が対立する場面も生まれてきたかもしれない。
それ以前の狩猟採集時代は、自分以外の人間は仲間だった。しかし、その後は、自分以外の人間が他人である場合が生まれた。さらに利害対立する者がでてきたのである。そうなると、人間同士が争うことによって、共倒れになる危険も増えてきた。また、争いは、狩猟採集時代はごく例外的なイベントであったため、利害対立する相手とはいえ、仲間かも知れないという意識のある人間と対立することによって、傷つくものが現れると、対立の勝者も傷つくことが多かったと思われる。
このため、感情、情動に任せて行動をしないで、道徳に従った行動をすることが合理的になって行く。これが、道徳の起源だと私は考える。相手に対する共感、共鳴はできないが、特定の行動をしなければならない、あるいは、してはならないということが道徳の始まりだったと思われる。道徳が存在する必要性、必然性が生まれたのである。そして、道徳など、他人同士を規律する規範の合理性を求めて、事態を単純に、直感的に見ないで、何らかの行為をしたことにより生じるいろいろな結果を考えるようになっていっただろう。人間の脳が発達していったと思われる。この規範意識の醸成は、農業のように、直ちに結果が出ずに将来的な結果を求めて、準備活動をする作業と会い関連して育まれたものと考える。農業の発明は、単に食糧事情だけでなく、人間と人間の結びつきや人間の脳の機能にも影響を与えていったのである。
では、その時の道徳は、どこからきたのか。何をお手本として作られたのか。何が道徳的に満たされた理想的な人間関係だったのか。
私は、これこそが狩猟採集時代の人間関係であったと思われる。共感、共鳴を素直に抱けない相手であっても、およそ人間を攻撃してはならない。人間が困っている時は助けなければならない。人間の弱さ、欠点、不十分点を攻撃したり批判したりしてはならない。みんな平等に扱われなければならない。原則として仲間から追放してはならない。集団に対して不利益を与えてはならない。こういった狩猟採集時代の人間関係の当たり前が、多人数か、群れの中の群れの形成によって、当たり前ではなくなって行った。その当たり前だったことに反する行為は、心理的にも負担だったと思われる。道徳は、本来、狩猟採集時代の濃い人間関係にない者同士を、あたかも濃い人間関係であるかのように扱うことを要請するものである。このため、狩猟採集時代の人間観を色濃く残していた当時の人間たちも、素直に受け入れていったものと思われる。人間の行動傾向が数百万年かけて確立し、行動様式も脳の構造も、適応しやすいように進化していった。農業の発展によって環境こそ変化したが、人間の心は、容易に変化しない。それまでの間に形成された行動様式、人間関係の感覚をもとに形成された道徳が、心地よいものであったことは想像しやすい。心地よいとは、緊張が解かれること、生理的に言えば、交感神経の活性化から副交感神経の活性化へと変化することである。人間は素直に快楽に従ったのである。
この脳の構造や遺伝子にしみ込んだような行動様式は、現代においても継承されている。一方で、人間同士が助け合うことを体験したり、目撃しただけでも心地よい気持ちになる。弱い者を見て、愛おしい、かわいいという気持ちになり、弱い者が無抵抗のまま攻撃されるところを見ると怒りが湧いてくる。見ず知らずの人間と、相手が人間だというだけで、うっかり信頼を寄せてしまったり、横路美や悲しみを分かち合うこともある。他方では、自分が狩猟採集時代の群れの構成員のように扱われたいと思っている。扱われないことによって、辛い思い、寂しい思い、悔しい思いをする。一人だけ分配されないとか、仲間から排除されたり、職場や学校で無視をされたり、嫌がることをされたりすると、悔しい思いをしたり、執拗に攻撃されると生きる意欲が失われていくことがある。
正当にも、これらの感情が現れることは人間らしい感情だとされている。そして、その理由も人間だから当たり前だとされている。そこで言う人間とは何だろうか、人権とは何だろうか。私は、狩猟採集時代に、厳しい自然環境に適応するために人間が形成した脳の構造と生理的仕組みだと考えている。
2018-06-29 12:23
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