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【怖いもの知らずの妄想的仮説】記憶想起のメカニズム仮説 [閑話休題]


貯蔵された記憶をどのようなメカニズムで想起するか
ということが現在の課題となっているようです。

記憶は、先ず海馬で記憶され(秒から分単位)
内側側頭葉に保管され(もう少し長い)
そして大脳皮質に貯蔵され、長期記憶になる
とされています。
ここまでは解明が進んだそうです。

しかし、貯蔵された記憶が
意識に上らせるメカニズムは
これからの課題とのこと。

ここで、無責任な見解を述べることは
まさに素人の醍醐味なわけです。

私は、記憶の貯蔵自体が想起のメカニズムだと
大胆な提案をしたいと思っています。

先ず記憶がどのように長期記憶へ移行していくか
ということとも関連するのですが、
その前に、記憶とは何かということを
ごくごく大胆に端折って説明すると、

物事に対して人間が反応するということは、
何らかの神経伝達活動が起きているということです。
この神経伝達活動は、無数のパターンを作ることができるそうです。
それぞれの反応のパターンを神経が再現できる
これが記憶です。

従って、同じ反応を反復継続すれば、
記憶として定着しやすくなるわけです。

しかし、生きて活動していれば
次々と刺激が現れますから、
同じ反応だけを反復するということはできません。
しかし、反復しなければ記憶として定着しない
記憶として定着している以上反復している。
いつ反復しているのか。
もう寝ている時しかありません。

一夜漬けで得た知識が翌日のテストの時間に記憶されているのに
帰るまでには失われているのは
長期記憶になっていなかったから
つまり寝ていなかったからということになります。
受験本番では役に立たないのはこういうわけです。

寝ている時の記憶はありませんが、
レム睡眠という時間は、
起きている時と同じように脳が活発に活動しています。

反応が繰り返し再現されているわけです。
しかし、あまり強い刺激の場合
例えば犬が嫌いな人がいぬから吠えられ
追われて逃げたという反応を再現すると
眠りながら駆けだしてしまったりする危険があります。

しかし、レム睡眠は「うまくできています。」
脳から運動神経への伝達が遮断されているからです。
脳が反応しても運動神経の手前で止まっているので、
隣で寝ている人が踏みつぶされることはありません。

同時にレム睡眠時は新たな反応をしないために
感覚神経も脳と遮断されています。
寒くても対応ができません。
冬山でうたた寝をすると死ぬのは、
レム睡眠の時なのでしょう。

何も気にしないで思う存分反復再現をして
皮質で長期記憶とすることができるのです。

この長期記憶への移行が
実は想起のメカニズムではないかというのが
私の主張ということになります。

つまり、ただ反復再現しているのではなく、
この時、過去の記憶との関連付けが行われているということです。
例えば、危険の大きさ、危険回避の困難さについて
過去の記憶の中にある危険の中のどの順位に位置づけられているか
おそらく、反応の状態を診て几帳面に並べ直されているのでしょう。

レム睡眠時にファイリングがなされるということが有力ですが、
それはこういうことではないかと思うのです。

危険の大きさ、危険回避の困難さが
もっとも重要なファイリングの要素だと思うのですが、
もしかしたら、他の要素もファイリングの要素になっていて
二次元的なファイリングではなく多次元的なファイリングに
なっているのかもしれません。

細かい記憶、
文字とか、機械の名前とか、色彩とか
そういう記憶もあるのだから
多次元のファイリングがなされているのだと思うのですが、
これは私の手には余ります。
というかあまり関心のないところです。
記憶の必要性というのは危険回避の手段の蓄積に
その要諦があると思うからです。

記憶自体が関連性の中での位置づけという形で貯蔵されているので、
関連事項に刺激されれば、
記憶が自然と想起されるシステムになっている
これが私の提案です。

記憶の想起とは
実は脳が勝手に同種の反応の再現している
ということになると思います。

だから思い出すという作業は
無意識に関連付けをしているということではないか
と思うのです。

卑近な例では
台所で用事を思い出し、
自分の部屋に行ったけれど、
自分の部屋に行ったとたん
何をするか忘れるということがあります。

こういう場合は、
もう一度台所に戻って
さっきしていたことと同じことをすると
「ああ、そうだった」
ということになると思います。

そうやって二度思い出す、つまり反復した場合は
自室に行って確実に用を足すことができるわけです。

これは、短期記憶の例ですが、
関連付けをすることで、意識に上らせた例
ということになると思います。

ちなみに、機械の名前とか歴史上の人物の名前とか
およそ実生活に関係しないことは
よほど反復するか、実生活に引き付けて
つまり関連付けの中に無理やり押し込めてでないと
どんどん記憶から欠落していくでしょう。

逆に、強盗に襲われたとか、震災の記憶等は
ファイリングしきれない記憶ということになります。
それでも危険の記憶ですからもっとも重要な記憶です。
ファイリングがされなければ、
いつでも危険への対処をスタンバイしていなければなりません。
これがPTSDの原理ではないかと思います。
ファイリングは危険への対処をシミュレーションして
情動を鎮める作用もあるようです。

妄想ついでに言えば
記憶が神経の伝達パターンの再現だとすると
パターンオーバーになることを心配したくなります。

おそらく、関連付けの中で
出来事が過去過ぎて、もはや脅威ではないとするべきことは、
記憶のファイルから欠落していくというか
コンパクトに再構成されていくのではないかと思っています。
どんなに片づけが苦手な人も
脳は立派に再構成して整理しているわけです。

逆に、細部にわたる記憶が延々と続く場合は
もしかしたら、神経伝達パターンの再構成がなされていて、
伝達パターンの可変部分と不変部分があるのではないかと
利根川大先生の物まねをしたくなったりしています。

妄想よりもさらに無責任な話として
これまで、ニューロンの伝達パターンばかりが注目されているようですが、
脳の可塑性については、グリア細胞が大きな役割を果たしているのではないか
という視点での研究が必要なのではないかと
吐き出してみました。

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