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保護命令をかわした先で考える家族再生 攻撃してくる相手に近づこうとする人はいないということ [家事]

保護命令4部作ということなので、
これまでの3件もよかったら見てください。

様々な事情で
妻が子どもを連れて別居し
会えないどころか連絡も取れない
という相談が増えています。

身に覚えのない暴力や虐待を理由に、
裁判所から行動制限の申立まで来てしまいます。

中には確信犯的な妻がいて、
不貞を成就させるとか、転居を希望するためにとか
夫を切り捨てるための子連れ別居保護命令も実際にあるので、
強く断言できないケースもあるのですが、

家族再生をする気持ちがあるなら
家族再生を目指してほしいと思うのです。

仮に元の通り一緒に暮らせないとしても、
先ずは、子どもをあなたに会わせることを
何とかして実現していただきたいのです。

間違えた方向で頑張らなくても
お子さんにとっては少しでも状況の改善が見込めるので、
無駄にならない努力です。

それを意識的にやろうとしてできるのは
あなたしかいません。

家族再生の方法論が少しずつ確立していく中で
嬉しいニュースが届きました。

保護命令が出された事案だったのですが
保護命令中に面会交流調停、離婚調停が始まり、

離婚は応じることになったのですが、
保護命令期間開け直ぐに直接交流が実現し、
その後半年で
祖父母付きの宿泊付き面会が決まり、実行され、
その後も旅行形式の面会交流が実施されているそうです。

ここまでではないけれど
面会交流が実施されるケースは増えています。

うまくゆくケースの特徴は
家族再生という目標を徹底し、
それに矛盾する行動をとらない
ということに尽きるでしょう。

これがなかなかできないのです。

考えてみれば当たり前なのですが、
人間はどうしても危険から自分を守ろうとします。
人間に限らず動物全般がそうです。

こういうケースで感じる危険は
対人関係的危険です。
つまり
特定の仲間から外されそうになる時に
人間はとても強い不安を感じるものです。
(この不安は、自死や殺人、いじめ、パワハラ等
 色々な社会病理の原因になります。)

家族という仲間、夫婦という仲間から
一方的に、多くは理不尽に感じる形で
外されようとしているわけですから、
不安や危険を感じ、
本能的に、反射的に
自分を守ろうとするのはむしろ当たり前のことです。

この場合の防衛行為は二種類あり、
一つは、抜け殻のようになってしまい、
やる気がなく引きこもりがちになってしまうパターンと
もう一つは、自分を外そうとする仲間に
怒りをもって攻撃するパターンです。

二つのパターンが両方出現し、
気分感情が乱高下することが
むしろ普通かもしれません。
気分感情は乱高下するのですが、
不安や危険を感じているということで
一本筋が入っています。

家族をやり直したいという気持ちと
相手を許せないという怒りが
どちらもある状態が普通です。

家族再生をするためには、 
この相手を許せないという気持ちを出さずに、 
相手を攻撃しないということが 
鉄則なんです。 

だから、
家族再生を目指すのか
目指さないのか
決めなければなりません。

腹を決めないまま
本当は家族再生したいのに
気分、感情のまま相手を責めれば
結局再生なんてできません。
益々悪くなるだけです。
だから普通に調停を闘ってしまうと
当然家族関係、夫婦関係は
悪化の一途をたどるだけです。

相手を攻撃するのは防衛行為ですから
これを止めなければなりません。
相手との感覚では
自分を棄てることが大切です。
*1

困ることは、
よし自分を棄てようと思っても
自分が相手を攻撃していることに気が付かないことです。
それは相手に対する攻撃だよと言うと
「自分が間違ったことを言っていますか?」
「自分だけ我慢するなんて不合理ではないですか」
「子どもを虐待しているのは連れ去りをした相手方の方ですよ」
「自分子ども会う権利は無いのですか」
「私が被害者なのですよ」
ということをおっしゃいます。

言っていることはその通りだと思います。
しかし、その気分感情で相手方に働きかけてしまうと
相手は怖がったり、嫌がったりするわけです。
あなたから遠ざかろうとします。

相手の一番後ろめたいところを受け入れること
相手の失敗、不十分点を攻撃しない、責めない、追及しない
ということは
自分が相手の行為で危険を感じている一番の事情を
容認することなので、
これはなかなか難しいし、
無理をすることはできないのです。
だから決めることが必要だということになります。

家族再生をあきらめてあなたの正義を貫くということも
一つの選択肢なのかもしれません。

但し、正義というと聞こえが良いのですが、
家族に正義を持ち込むことは間違いだと思っています。
本当にその正義は家族を幸せにするか
そういう観点で是非考えてみていただきたいと思うのです。

正義よりも、相手の感情をモチベーションにするべきです。
*2

多くの場合で正義を主張することは、
突き詰めれば自分を守ることだと思います。
私はそれを止めて
家族再生に向けて考えることの方が
ご自分の不幸も軽減されると確信しています。

いずれにしても
正しさを追及したいのか
家族再生を目指すのかは
矛盾するものです。
どちらかを選ばなければなりません。

ウォーラースタインも
人間は、子どもたちの健康や安全のためには
自分の命をなげうって子どものことを考えるけれど
離婚の場面では、
子どものことを考えず、自分のことばかり考えると書いていますが、
それは自覚しておくべきです。

子どものことを考えないで子連れ別居する妻と
子どものことを考えないで正義を貫くことは
同じことのように第三者からは感じられます。

これは、ただ知識があるだけでは
なかなか実践できることではありません。

先ほど紹介しました面会交流がうまくいっている人と私は、
この観点から何度も深刻な激論を交わしました。
その都度、私もあきらめかけるのですが、
最初の決断がしっかりしているしお人柄もあるのでしょう、
ギリギリのところから巻き返して
相手との関係では見事にご自分を抑えきりました。
今彼は幸せを実感しています。

自分を棄て、
自分を含めた家族をやり直そうと考えると
見えてくることがたくさんあります。

一緒に住んでいた時の
相手の心細さや
自分に対するギリギリの気遣い
自分の相手の気持ちを無視した行動等
それが分かっていれば
もう少し自分の行動を修正しようと思ったということですし、

無理に相手を変えようとしたところに問題があったのかもしれない
ということなのです。

こういうと、男ばかり損をする、不公平だと
いう人が出てきます。
それも分かるのですが、
女性は出産という不公平を抱えているわけです。

だいたい、子どもが生まれる前は円満な夫婦でも
子どもが生まれた後にぎくしゃくが始まるものです。
2人きりなら自分を棄てて相手をたてるということは
自然にやっています。

しかし、子どもが生まれると
庇う相手が増えてしまうことで、
子どものためにという理屈で妻に意見をすることが始まります。

これは妻側もそうです。
出産に伴って女性のホルモンバランスが乱高下することにより
意味もなく不安を感じる傾向になってしまうこともあって
自分と子どもを守ろうとして攻撃的になる
という傾向になることは仕方がなく出てきます。

その傾向をちょうどよい具合に加減することなんて
そもそも不可能です。
だから妻が変わったと言っても、
実際は命より大切なわが子を産んでくれた結果
そうなっただけで、
妻には責任がないことなのかもしれないのです。

もし、面会交流が実現して
お子さんがあなたと会うと嬉しそうな顔をしたり
恥ずかしそうな顔をする場合は、
妻は、お子さんにあなたの悪口を言っていないということです。
また、面会交流の実施は
それなりに負担ですけれど、
子どもを連れてくることも嫌でできない
というような状態ではないかも知れません。

こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、
感謝の気持ちをもって
無視されても、それを相手の背中に聞かせるつもりで
言葉に出すことをお勧めします。

それにもかかわらず
調停で、妻の代理人からああいわれたこういわれたと
怒って反撃していたのでは
うまくいくはずのものもうまくゆかなくなります。

チャンスを見落としてしまうわけです。

怒りは代理人に任せることが得策でしょう。
最上の策は相手にしないことです。

最後に
妻が怖がる攻撃は自分に対する攻撃だけではありません。
妻の代理人に対する攻撃
裁判所に対する攻撃
行政や支援者に対する攻撃
それらすべてのあなたの攻撃感情、攻撃言動が
妻を怖がらせ、あなたから遠ざかろうとする原因になります。

そもそも妻は常に不安な状態があるから
子連れ別居などという過激な行動をしてしまうわけです。
過剰に安心できない状態になっています。

あなたが攻撃的行動をとっていれば
自分に向かうという考えがなくても
同居時の事情を思い出したりすることもあるでしょう。
ただ、攻撃的環境に自分をおきたくないということもあるでしょう。

SNSで近況をアップされること自体に
不安を感じる母親もたくさんいます。
不安を感じてはいけない、間違っている
ということを言っても始まらないのです。

北風からマントを守ろうとした旅人のように
益々自分を守ろうとするだけです。
*3


家族再生をしたいのか、
自分の感情を優先するのか
後々後悔しないために、
あるいは、ここをゼロポイントとして
現状の改善を目指すならば
それをはっきり自覚し、
それに矛盾した行為はしないということを
徹底しなければなりません。


*1 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 忘れさせられた日本のこころといさかいの真の原因
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2019-03-02

*2正義を脱ぎ捨て人にやさしくなろう。
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2019-02-18

*3 北風と太陽の本当の意味、あるいは他人に対する優しさと厳しさの具体的意味
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18


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