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あなたが悩んでいることは本当に悩むべきことか.(プラスワンの理論Ⅱ) [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

1 通りすがりの人との関係

 あなたが悩む必要がなく悩んでいる典型的な場面は、通りすがりの人から何かの悪口を言われたような場合です。
 あなたが、今後も継続する人間関係で不安になる場合は悩む必要があるのですが、おそらく二度と会わないだろう人との関係で悩む必要はありません。通りすがりの犬にほえられたようなものです。このような場合でも人間は二つの理由で悩んでしまいます。
 一つは、相手が人間であるからです。人間は、人間から攻撃されると、本能的に仲間から攻撃されたような気持ちになり、防衛意識が芽生えてしまいます。これは、200万年くらい前の人間の心が完成したころ、人間は生まれてから死ぬまで一つの群れで暮らしていましたから、およそ人間からの攻撃の場合、群れからの攻撃だと錯覚してしまうからです。
 もう一つは、そのおかしな人からの悪口なのに、あたかも社会全体を代表した意見だと受け止めてしまう傾向があるからです。社会という群れから追放されるかのような危機感を抱いてしまうわけです。
 いずれにしてもプラスワンの理論で紙に書くとき、あなたは登場させることができますが、通りすがりに悪口を言った相手は登場させることができません。関係がないのです。道を歩いていて誰彼構わずに悪口を言うような人は、言っていることも失礼であるし、あなたのことを分かっていったわけでもありませんので、気にすることが無駄なことです。ただ、変な人とすれ違ってしまった偶然を呪うだけでよいのです。

2 一見仲間だと思ってしまう卑怯者との関係

 次に、一見群れの中からの攻撃なのだけれど、よくよく考えてみれば、実は通りすがりと同じで、関係ないと言っても過言ではない人からの攻撃である場合が実際は多くあります。
 その人とあなたは、同じ時間同じ場所に一緒にいるということがどれくらいあるかを考えることが大切です。実際は、近くに入るとしても、一緒にはいないことが多くあります。少なくとも共同作業をしなくてもよい関係にすぎないということです。本当はあまり気にする必要がないということで終わる場合があります。
 しかし、その人と直接会うことはないけれど、共通の知り合いが多くいると困ったことになります。通常そういう場合に悩む内容は、こちらの知らないうちに共通の知り合いに一方的な話を吹き込んで、共通の知り合いから自分が追放される、そこまで行かなくても評価を下げられるということが悩ましい事態ということになります。
 そういう陰でこそこそ破壊工作をする相手を卑怯者と定義することにします。その卑怯者は、読んで字のごとしですが、卑しくて、怯えているものなのです。あなたの行動や存在によって、自分の立場が危うくなるという危険に怯えているのですが、卑しい性格のために、正々堂々と努力して立場を回復させることができず、またあなたに直接何かを言うことが出来なくて、卑怯な行動に終始しているということになります。

 もしその卑怯者があなたの家族ではないとしたら、そういう人との関係を修復する必要はありません。一度修復したからと言って、あなたが努力して事を成し遂げようとするたびに邪魔をするわけですから、関係を遮断するべきです。あなたが我慢して修復するべき関係なのか、大切にするべきなのは大いに吟味するべきです。
 さっさとこの関係に見切りをつけなければ、あなたが本当に大事にするべき関係に悪影響が生まれてしまいます。

3 あなたが本当に考えるべき人間関係

 あなたが大切にするべきかもしれないのは、その卑怯者との人間関係ではなく、共通の人間関係の方です。
 特に卑怯者からあれこれ言われても、なお、あなたに寄り添っている人たちはかけがえのない仲間です。それにもかかわらず、卑怯者に対する怒りが強すぎる場合、共通の仲間が卑怯者の影響を受けて自分から離れるということが心配ですから、ついその危険意識によって仲間を攻撃してしまうことがおきるのです。これによって、仲間が離れていくことが一番の悲劇です。また、あなたの怒りが強くて、あなたと卑怯者の争いに巻き込まれたくないということで去っていく人もいます。ここを考えるべきなのです。
 さらには、あなたが終始イライラしていることで、本来なんの関係もないはずの家族に八つ当たりをしてしまうこともあります。卑怯者が一人いるだけで、あなたは大損をしてしまい、不幸になってしまいます。
 
 大事なことは、いち早く卑怯者との人間関係を、心の中で断ち切ることです。同じ群れの仲間ではないということをはっきりと自覚することです。
 これがとても大事なことです。

4 卑怯者に追随する人との関係

 では、共通の人間関係の内、あなたになお寄り添っている人は良いとして、卑怯者が行った欠席裁判の結果、あなたから離れていく追随者をどう考えるべきかということがあります。
 人間はおよそ200万年前に心が完成し、その時の生活は、生まれてから死ぬまで同じ群れの仲間と生活していましたから、およそ人間から攻撃されるとくよくよと悩んでしまうとか怒りに燃えてしまうという性質があります。冒頭検討したように通りすがりの人から攻撃を受けても腹が立ったりがっかりしたりする通りです。
 通りすがりの人間ではなく、それまで共通の知り合いだと思っていたし、そんなに悪い関係でなかったにもかかわらず、卑怯者に追随することはショックだと思います。
 しかし、理性的に考えて、本当に不安になる必要がある人たちなのでしょうか。もともと人間は、より近くにいる人の味方になるという単純な思考回路になっています。また、権威に追随するという性質もあります。群れを作るという性質がこういう傾向を産むわけです。また卑怯者があなたより弱い立場にいるような場合も、弱い方に味方をしようという単純な性質もあります。決して、人間が自分の仲間を選ぶような理性的な行動をする生き物ではありません。だから追随者があなたではなく卑怯者に追随したとしても、それはあなたが否定されたわけではないのです。何らかの考え抜かれた行動ではありません。一番の証拠は、あなたにことの真偽を確かめないで、あなたにつらい行動をとっているではありませんか。そういう追随者たちは、おそらくこれまでも同様のことをしてきたでしょうし、これからもするでしょう。
 追随者たちとも同じ群れの仲間ではないとはっきり自覚するべきです。
 
5 しあわせを基準に大切にするべき仲間を考えるべきこと

 人間に対して不利益を与える場合、その人間の言い分に耳を傾けるということが、歴史的に人間が獲得してきた知性です。一方の言い分だけで誰かの評価を決めるということは、この知性がないということです。日本の憲法は、罪を犯した人でさえ、自分の言い分を堂々と述べることが人間の権利であるということを適正手続きの補償という言葉で述べています。つまり、言い分をさせないでその人につらくあたるということは、その人の人間性を否定するということなのです。つまり、人間として、してはならないことです。
 それでも、どうしてもその人が自分の人生にとってなくてはならない人なら、自分の行動を修正して、頭を下げてつなぎとめることになります。しかし、家族以外で、本当にそういう思いをしてつなぎとめなければならない人はいるのでしょうか。ここはとても大事な吟味が必要です。
 その場合の最大のデメリットは、あなたが本当に守らなければならない人間関係に影響が生じることです。あなたがイライラと悩み続けること、悩みが持続することは計り知れない思考上の問題が生まれてしまいます。あなたは、単に悩みが継続しているために、危険意識を抱く安くなり、悲観的な考えに既に陥ってしまっているかもしれません。
 仕事や勉強や、ボランティアや、あなたが大事にしていることがあると思います。その大事にしていることのキーマンのように思う人かもしれません。しかし、その大事にしていることに、あなたの人生が奪われるかもしれないという視点も大事です。
 「何を基準として考えるべきか。」
 私は、
あなたが幸福に生きるため
という価値観を基準にするべきだと思います。
 私が考える幸福とは、
あなたが尊重されるべき人間関係で尊重されて生活すること
だと思っています。
 すべての人間とすべての利害が一致するということは現代社会ではありえません。相手を攻撃せず、自分の仲間を大切にすることを考えましょう。

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小島太郎(仮名)

拝読させていただきました。
とても有意義な記事の配信をありがとうございます。
素直に受け止められるメンタルの時に,再度読み直してみようと思います。
by 小島太郎(仮名) (2019-04-01 21:23) 

ドイホー

実は自分に向けて書いているのでした^_^;
by ドイホー (2019-04-04 21:09) 

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