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「自分が拒否されている」と感じるのは、攻撃的になっていることに自分で気付いていないからかもしれないこと。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



人の悩みの多くが、
「自分が(特定の)人から受け入れられていない。」
と感じることにあるではないでしょうか。

具体的に言えば
夫婦仲が悪い。相手がいつもニコニコしていない。優しくない。
いじめにあっている
パワハラにあっている。
正当な評価がされていない。
あるいは、
売り上げが上がらない
支持が集まらない
賛同者が集まらない
自分の言うことが相手にされない

あの人と同じことを言っているのに
あちらは絶賛されてこちらは無視される。

等々。

自分自身にももちろん覚えがあります。

そんなときによくあるのは、
自分が攻撃的になっているために、
他人が近寄りたくないという気持になっている
ということです。

自分が攻撃している相手から敬遠される
それならまだわかりやすいのですが、
自分が攻撃をしていない人からも
自分との距離を持たれてしまう。
あるいは、距離を置かれるどころか
自分に対して攻撃的な言動をしてくる。

自分ではその原因が分からず、
「どうして自分は他者から受け入れられないのだろう」
と思い悩むわけです。

「自分を受け入れない他者は間違っている」
と憤る人もいますが、
これも思い悩むことの一種です。

自覚がないのに
自分の攻撃性によって他者が自分を受け入れない現象には、
二つのパターンがあります。

一つは、相手を攻撃しているつもりがないのに、
相手は攻撃されていると感じるパターン(A)。

もう一つは、相手ではなく
明白に別の人を攻撃しているのだけれど
敬遠されるパターンです(B)。

Aパターンの典型例は、
夫婦間、職場(特に上司)でよく見られます。

Aパターンで自分の言動が攻撃と思えない理由も二つあり、
自分こそ攻撃を受けているので防御しているに過ぎないと
無自覚に感じていて、
自分が攻撃しているという意識をもてない(A-1パターン)。

相手が間違っているので、正そうとしているだけで
いわば事務連絡的な言動だという意識のため
攻撃ではないというパターン(A―2パターン)
に分かれると思います。

大事な人間関係で不具合を感じている場合は、
プラスワンの理論で、
自分の言い分、相手の言い分を並べて比較して、
どちらが正しいということではなく、
相手の感情に配慮して不具合を修正する
という作業をしなければならないと考えます。

A―1パターンでは、正当防衛の連鎖を
自分から断ち切らなければ収まりません。
自分を守らないことによって、
相手に安心を感じてもらう作戦が有効です。
敢えて言えば(たとえば家庭内)憲法9条作戦です。
(関係を切ればよいならそれほど悩まないでしょうから
 その方法をとれない場合の最善策ということになります。)

A―2パターンでは、
<攻撃とは何か>
ということを自覚する必要があります。

これは、単純に言動だけを見て判断することはできません。
相手との距離、相手のあなたに対する期待などの
その人ごとの要素でだいぶ変わってきます。

例えば家庭ならば、
相手はあなたといることに安らぎを感じたいものです。
あなたが帰ってくる時刻になると
恐怖と緊張で心と体が硬直するという家庭は
家庭の機能をはたしていません。

安らぎを感じるためには
ただいるだけでは不十分で
理想を言えばねぎらいの言動があるべきですし、
そうではなくても、自分自身を受け入れてもらう
という時間が必要です。
言葉については
言葉の始まりと成り立ち 言葉を使おう!を参照してください。

ところが、ねぎらいも寛容もないということでは、
安らぎを感じないで緊張と恐怖だけの存在になってしまいます。
この場合、ニュートラルという状態がない場合がある
ということを意識しましょう。
つまり、プラスがなければマイナスになる危険があるということです。

離婚の最大、最多の原因が、
「会話が、指図と否定だけの生活」だったということです。
この場合、
言っていることが正しければ正しいほど、
相手の落ち度をさらすことになります。

あなたが口を開こうとすると
自然に防衛行動をしようとしてしまうことは、
本能的な反射活動です。

口を開かれることが怖くてたまらなくなるのです。
そのうちにあなたの存在自体が相手にとっては、
自分を否定し、指図する存在だというように
単純化していく危険があるわけです。

ところが、言っている方は
当たり前のことを言っているだけなので、
そのことになかなか気が付きません。

ある日、街でばったりと出会って、
相手が自分を見つけて喜んでおらず、
瞳孔が開いて硬直している
恐怖感情をあらわにしているところに出くわすことになりかねません。

そういう体験があればまだ修正が利くのでしょう。
「良い夫婦の条件」http://www7b.biglobe.ne.jp/~interpersonal/couple.html

一応念のために、街で相手に会った時は、
なにがなんでも先に見つけて、笑顔を作り、手を振るなどして、
相手に恐怖感情を表現させないように先回りをする
ということを頭に入れておきましょう。

A―2パターンの防止のためには、特に家庭の場合は
正義を持ち込まない。
正義や常識、効率性ではなく、
相手の気持ちに配慮して行動するということになります。

A-2パターンは、難解で
自分の何が悪かったのかということに深く思い悩みます。
これも夫婦問題で多いパターンだということを
知識として知っていないと
これが原因だということさえ思い当たらないことかもしれません。


次にBパターンですが、
Bパターンがあるときは、Aパターンが併存していることが多いようです。
特にA-2パターンですね。
正義感の強い人によく現れます。

Bパターンの起きる場所ですが、
これも、夫婦や職場の間でも起きているのですが、
むしろ社会的な人間関係にみられることが多いようです。

職場の雰囲気が悪くてお客さんが減るということは
この典型的パターンです。
それから、常連しか集まらない政治的なSNS
社会運動の活動
自分は、自分たちは正しいことを言っているのに
第三者からの暖かい支援を受けにくい
そう悩んで、改善したい場合は、
ぜひ真剣に検討するべきだと思います。

また、
同じ事を同じように言っているのに、
なぜか相手の方にばかり賛成が集まり、
そして相手は批判がされない。
こちらの賛成はいつものメンバーだけで、
広がらない。
かえって、陰で自分は批判や中傷がなされる。
なぜ、あなたから足を引っ張られなければならないんだ。

また、自分としては当然言うべき社会的発言をしているのに、
家族からは嫌がられる。
(家族の情報を知らない人にさらすことに抵抗することは当然として、
 そういうことをしないのに嫌がられる。)

これはなぜ起きるのでしょうか。

人間の「秩序の形成に参加しよう」とする本能に原因がありそうです。

人間は無意識に秩序を形成する行動を選択する動物のようです。
もっともこれがなければ群れを作ることはできません。

この秩序を形成しようとする本能の出方には
バリエーションがあります。
・群れのトップに従おうとすること
・決まりごとに従おうとすること
・群れの仲間と仲よくしよう、仲良くされたいと思うこと
そうして、
・争いがあると不安になること
・争いの当事者にならないようにしようとすること
・争いの外に自分を位置づけようとすること
等です。
いじめの傍観者の心理は、
この秩序形成本能が悪い方に出ているように思われます。

だから、
他者に対して怒りをあらわにしている人や、
誰かを攻撃していたりする人は、
あるいは誰かを馬鹿にしたり嘲笑したりする人は、
秩序を壊している人と感じるので、
近づこうとしないし、
共感チャンネルを閉ざそうとする気持ちが生まれる
ということになります。

秩序を維持しようとしている人の方が攻撃されているときは、
さらに、弱い人を守ろうという意識まで発動されて、
批判者に憎悪の感情が持たれるということもあります。
これは、理性的な判断ではなく、
即時的な、条件反射的な感情なのです。

正しいことを言っている、
言わなければならないことを言っている
そういう気持で発言していても、
結果としては
「乱暴者が暴れている」
という意識で冷ややかに見られていることと同じだし、

無意識に自分が争いに巻き込まれるという恐怖(焦り)が生まれ、
余計な紛争を起こそうとするあなたに対して
いらだちが生まれるわけです。
少なくとも、一緒にいて安らぎを感じませんから、
一気にマイナスの感情になっている可能性も大いにあるわけです。

もう一つ、袋叩き反撃仮説というものがあり、

ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説

誰かが戦っていると、
無意識に自分も闘いに参加しなくてはならない
という人間の本能があって、
仲間であればあるほど参加しなくてはならないという
強迫神経症みたいな心理が働き、

誰かを批判する言動が的を射ていればそれだけ、
つまり正しければ正しいだけ、
行動を起こさない自分が責められている
という感覚も持つようです。
自分を守ろうとする意識が
(発言者から見れば)誤作動を起こしているのでしょう。

この分析に基づけば、
二つの目的を実現する方法が見えてきます。

一つには、自分の意見が中立の第三者とか、反対者にも受け入れられるという目的
もう一つは、自分の発言によって大事な人が遠ざからないという目的です。

<鉄則>
結論を重視するのであれば(怒りを発散すればよいというのでなければ)
怒りの感情をあらわにした発言などをしないこと
誰か「特定の人を」責める形、批判する形をとらないこと
やむなくそういう場合でも、人間に対する敬意を払うこと、
誰か特定の人を悪だと決めつけないこと
利害対立をあおらないこと。

会社、学校、社会などの不具合を修正するという視点をもつこと
具体的には、みんなの利益という観点からの主張
夫婦双方(私たち)の利益
クラス全体の利益
会社と顧客双方の利益
社会全体の利益
という視点からの発言をする。

既存の秩序、価値観の否定に終わらないこと
新しい秩序形成の提案、新しい価値の提案の形にすること
旧秩序、旧習慣の合理性の部分を肯定すること

受け手の行動は、あくまでも受け手の自由裁量にゆだねること

相手に何を求めるか
ということを明確にすることも大切でしょう。

またもう一つ考えられる理由があります。

他人は、よほどのことがなければ
あなたの絶望を覗きたくありません。
絶望に共感してしまうと
苦しくてならないので自己防衛行動を
無意識に選択する場合もあります。
このため、あなたの行動やあなた自身を
無かったことにしたい。
あなたに原因があるから(悪いから)
仕方がないと納得して自分の心の折り合いをつけたい。
これが、あなたが攻撃される理由なのかもしれません。

誰彼構わず苦境を吐露せずに、
信頼できる人だけに、あなたの苦しみを受け止める人だけに
限定して心情を打ち明けるべきです。


なお、自分の大事な人の前では
誰かを批判することは最低限にするということも
あるいはしないということも
選択しなければならないことがある
ということもお考え下さい。



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コメント 3

きみ

ドイホー先生、こんばんは。
今回も興味深く読ませていただきました。

今回の記事は「心が荒む・・・」回でコメントさせていただいたことの答えのような気がしました。A-1パターンに私も該当していた=心が荒んでいく=相手に優しくなれない・・・という順序だったのかな、と・・・。
また、その対処法で書かれている「正当防衛の連鎖を自分から断ち切る」というのも、頭では理解できるのですが、まず「正当防衛している」ということに気付くことが難しいのと、「連鎖を断ち切る」という行為がよほど達観した大人じゃないと厳しい、というように感じました。まさに自分が置かれている現状です。「正当防衛(ex.子どもに会わせないのは妻が悪い)」という感情をどう断ち切っていけばいいのか、葛藤の毎日です・・・先生のブログを拝読するようになって、「相手の脅威を軽減することが重要」や「可変要素は自分のみ」という考え方は、本当に頭では理解できるのですが、”心”がなかなか付いていかない、というのが正直な感想です・・・。
まだまだ修行が足りてないですね・・・

by きみ (2019-06-01 01:26) 

ドイホー

一つには、心をついて行かせる必要性をそれほど重視する必要がないのではないかということです。本音はともかく、相手の心に有効に働きかけられればそれでよいと割り切っても、特に問題はないと思います。心ではなく、言動が大切なのだと思います。但し、ご指摘の通りなかなか難しいことも理解できます。私がそうなのですから。一番うまく言っている当事者の方の離婚・面会交流調停は、具体的行動的をめぐって激しく議論を交わしました。その時は、納得してなくても、それを実行したことによる相手の肯定的変化が、こちら側の対応をさらに良化させていった、肯定の仕方を双方学習していったように感じました。一人ではなかなか難しいと思います。
by ドイホー (2019-06-03 09:56) 

きみ

ドイホー先生、ご返信ありがとうございます。

割り切り・・・何だか腑に落ちました。
家族の問題、ということに囚われ過ぎていたのだな、と気づかされました。ありがとうございます。
「ビジネスライク」という言葉が合っているかどうか分かりませんが、一歩引いた目線が必要ですね。今の自分には。とても参考になります。

いよいよ、離婚調停も佳境に入ってきました。
親権を巡って退くのか押すのか、いろいろ決断しなければいけない時が近づいています。そんなときこそ冷静な判断をしなくては、と改めて思いました。

今後もブログ楽しみにしています。
by きみ (2019-06-04 01:06) 

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