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必要なことは、改心ではなく、言動修正。「心は後からついてくる」 愛すべきまじめすぎる人たちへ。 [家事]

必要なことは、改心ではなく、言動修正。「心は後からついてくる」 愛すべきまじめすぎる人たちへ。

なるほどとひざを打ちました。

私の提案する
夫婦間の紛争予防
家族再生の方法について、
頭では理解できるけれど
心がついて行かないというご指摘がありました。

この部分はとても実務的なご指摘なので、
共有させていただきたいと思いました。

どうご回答するか少し悩みました。

先ず頭に思い浮かんだのは、
「そりゃあそうだよな。」
ということです。

何もなければ攻撃しないものです。
何かあって、それに悪く反応して
それが悪い意味で相乗効果となり、
引き返せなくなるのが、
人間関係の紛争です。

特に離婚問題では、
子どもと引き離されたり、
やってもいないことをやったとか
大げさに言われたりとかしています。
相手が自分に悪意を持っているとしか感じられません。
当然防衛意識に基づく反撃にふさわしい
怒りや憎悪の感情になっています。
感情的になるなというのは無理な注文です。

「では、私の主張は空理空論なのか」

自分自身で袋小路に入るところでした。
だから、最初に答えにたどり着いたときは
自分でも半信半疑なところがありましたが、
今は、堂々と言えます。

正解は、
「心はどうでもよい。
言動だけ修正すればよい。」
ということでした。

そして、これが対人関係学の
一番大事なところでした。

要は相手の気持ちが
自分といることで安心できるようにすること
一度自分といることで危険を感じるようになった相手の心に
自分といることが危険ではない
という安心感を刷り込んでいく
ということなのです。

その行動のテクニック
ということで割り切って良いと思うのです。

こころは、その人の置かれた環境を反映するもので、
生理的な反応だと割り切って考えています。
(あくまでも、紛争予防、人間関係修復の観点です)
環境を変えることで、相手の心が変化しますが、
目に見えない、感じ取れない
こちらの心の変化では
相手の心は変化しません。

私が袋小路入りそうになったのは、
「言動を修正するときに、
自分の心から修正しなければならない。」という、
意識に上らない前提を作っていたからではないか
というところに思い当たりました。

つまり、まじめすぎるのです。
無意識に、「嘘をついてはいけない」
という正義、道徳感情が入り込んでいたわけです。
これが、邪魔者なのです。

あまり紹介したくない例ですが、
これまで、子どもを連れ去られた父親で
母親への憎悪を聞くに堪えない形で語っていた
一番ひどいことばかり言っていた人は、
母親と子どもの前だけでは
母親を喜ばせることを言ったり
プレゼントを与えたりと
一番積極的に相手の心に働きかけていました。

その結果子どもたちが帰ってきました。
しかし夫婦の修復の話は聞いていません。

通常母親に弁護士が就くと
母親側対父親という図式ができてしまいますが、
母親側を分断して
気持ちの上では逆に直接対決となったようです。

私の担当した例で現在も好転進行中の例は、
父親の心は両極端に動いていて
修復したいという気持がありながらも
憎悪による制裁の気持ちもあって、
行動を一貫させるために、
毎回大激論となったことを覚えています。

この例では、
結局、二つの心は併存したまま
頭で行動や言動をコントロールして、
予め事態を想定したため、
相手の弱さによるこちらへの不利益行動を
(面会一回さぼり)
許容する言葉を発して、
結果としては、寛容な行動をとることができました。

そういう結果をいくつか積み重ねて、
こちらが相手に敵意がないこと、
相手の失敗を責めないことを刷り込んだということなのでしょう。
相手からの譲歩が徐々に大きくなっていき、
関係がだいぶ良くなりました。
半年後はほぼフリーハンドでの父子の交流が実現している
と言って差し支えないでしょう。

そうすると人間関係は相互作用ですから、
こちらも、
相手に寛容にすることの心地よさを学習していきますから、
相乗効果で距離がつまっていきました。
常に感謝の心に基づく言動を口にするようになりました。

先ず、理性で環境を整えればよいのです。
別のことを考えていても
相手にそれと察せられなければ良いのです。

環境が整っていけば
自然と心が後からついてくる
それは、相手も自分も一緒なのです。

環境とは、
欠点、弱点、不十分点を
責めない、批判しない、馬鹿にしない
ということです。

小さいとき、
子ども同士の遊びの会話に中に
祖母が介入してたしなめられたことを思い出しました。
ずいぶん形式的なことを言うなあ
と今にしてみればそういう気持になったことを覚えています。
でもそれが、年長者の知恵なんだなと
今ならはっきりわかります。

相手に何かを求める時は、
相手に結論を提示するだけでは実効性が薄いです。
結論に誘導するサービスをすることが
肝心です。

心は後からついてくるものです。
先ず、理性で、自分の心の落ち着き先の
環境を整えましょう。





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きみ

ドイホー先生、こんにちは。
前回のコメントに対するアンサーブログ、ありがとうございます。

来週の調停で親権の帰趨が決まります。
私は妻側に渡すつもりです。裁判まで行ってしまうとそれこそお互いの粗探しと非難の応酬になってしまい今後の家族の関係に大きな支障を来すと考えているからです。当然、”心”は付いてきません。ただ、今は子どもたちにとって現状維持がベストだろう、との判断です。この判断が正しいのかおかしいのかは分かりませんが、子どもたちにとってどうなのか?ということが最優先であり、これからもそれを第一に考えていこうと思います。

ブログに書かれていたような関係改善ができるかどうか分かりませんが、「理性」を持って臨みたいと思います。

引き続き楽しみにしています!

by きみ (2019-06-08 13:12) 

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