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「子の連れ去り」からの家族再生の開拓者たち。正しい夫からの卒業に挑む。思い込みDVシリーズ [家事]

私の場合、通常は「子連れ別居」という言葉を使うのですが、
今回は、「それにもかかわらず」感を出すために子の連れ去りと表記しました。

<家族再生派が増えていることとその理由>

ある日夫が仕事から帰宅したら妻も子も家にいない
もしやと思って実家に行くと警察がやってきて夫を制止する。
どこに行ったか分からないケースも多い。
やがて、保護命令や離婚調停の申立書が
裁判所から届き、
子どもに一度も会えないまま離婚になり養育費だけは支払わなければならない。
そんなケースが多発しています。

こういう場合、夫としては調停で怒りをぶつけて
最後まで法的に争うか
全て諦めて相手の言いなりになってしまうか
極端に言えばどちらかであることがこれまでの多数でした。

ところが最近家族再生を志向する夫が増えてきました。
なるべく話し合いで解決しよう

妻をできる限り安心させて、
せめて子どもとの面会交流を充実させよう

という方針の夫たちです。

理由は、子ども会いたいからです。

どんなに正論をぶつけて真実を立証しても、
妻が子どもを会わせることに協力しないと
現実には子どもと会うことができません。

裁判所で審判をもらっても
なんだかんだ言っても
やはり母親が頑として子どもを会わせなければ
会えないわけです。

面会できても、子どもも母親と父親の板挟みになって
苦しそうにしています。

そもそも、本当に真実に従い、
子どもの利益を考えた審判が出ると
信じ切るわけにはいかないという実情も大きいです。

自分と子供という大事な関係を
他人の判断に任せることはできない。

自分のできる限りやれることをやる
出来れば妻ともやり直したい
と考える夫が増えてきています。

そのためには、争わずあきらめず 家族再生の努力をするという選択をするわけです。

<家族再生夫の戦略>

家族再生派の戦略は妻を安心させること
先ずはこれに尽きます。

妻が自分のもとから去る理由が
自分を嫌悪しているからないし怖がっているからだ
ということを認めます。

但し、妻が怖がるのは自分が悪い場合だけではない
ということを腹に落とします。
*1
但し、但し、自分が「悪く」なくても、
自分の行為によって、妻の感情は悪化するし、
自分の行為によって、逆に妻の感情も緩和する

と考えるわけです。
意見の対立する相手にこちらの結論に同意してもらうためには、
結論を押し付けてもうまくいかない、
相手をこちらの結論に誘導することが必要だ
*2
そのためには、こちらが自分の行動を修正してみせる
それしか方法がないだろう
それがこちらの戦略です。

<思い込みDVの妻の不安の形>

ここから先は思い込みDVの事例を念頭にお話を進めます。

思い込みDVとは、
客観的には身体的暴力も言葉の暴力もないのに、
妻が何らかの暴力を受けていると感じているケースを言います。

その理由で一番多いのが「夫の正しさ」です。
結論からいうと
夫が正しいので、妻は
自分のことを自分が決められなくなる
これが不安を産む一つの大きなポイントです。

夫の正しさが息苦しさを生む構造は
後注で述べます。
*3

ただ、ここで押さえていなければならないのは、
正しいことを言う、相手の誤りを正すという場合は、
自分でも意外なほど、
相手に対して過酷な対応をしていることが多いということです。
相手を馬鹿にしたり、軽蔑したりしているように
受け取られてしまいがちだということです。

そして、厄介なことに、
自分では正義を実現しようとしている
という自覚がありません。
どうやって自分の気持ちを知るかというと
言葉でしかわかりません。
こうするのが「当然」でしょう
こうするのが「常識」だよ
「当たり前」、「普通は、」

これを言われてしまうと
妻は常識がないつまり非常識
普通ではなく異常
軽蔑されても仕方がない人間だ
と言われているようなものです。

当然仲間から普通以下だとか常識外れなどと
非難を受けたくはありません。
言われないようにしようと思うのです。

だから、これから何かしようとしたときに
例えば食事の準備の買い物をしようとか
子どもに服を着せて外出しようとか
一つ一つのことをしようとするときに
夫の小言を思い出して
ああ言われたらどうしよう、こう言われたらどうしよう
と思い悩むことが積み重なってしまうのです。

夫の言っていることがなんとなく正しいですから
だんだん自分が間違っているような気持にもなります。

その上で、あれをしろ、これをしろと
しないとまた普通ではない常識ではない等と言われると
一日中、夫から文句を言われないように
自分の行為を点検をしながら生活しなければならなくなります。

これは精神的に参ってしまいますし、
もう解放されたいという気持になっていってしまうことは
イメージできるのではないでしょうか。

ここまで極端に矢継ぎ早な指示とダメ出し
をしているわけでは実際はないのですが、
妻の側に事情があって
不安になりやすい状態の場合は、*1
一つの言葉でも、頭の中をいつも占領している
という状態になることがあるわけです。

<再生派夫の具体的行動 妻を安心させること>

一言で言ってしまうと、

指図(さしず)とダメ出し

が、妻を苦しめるということを
大きな柱として押さえておくことが必要です。

次に、別居してしまうと今更、指図とダメ出しはできない
と考えがちなのですが、
これがそうではない。

例えば調停などをしていると
陳述書や準備書面で相手に指図とダメ出しをしてしまう
ということがあります。

別居したことを責めること
例えば理由がないとかわがままだとかですね。
一人で子どもを育てることで子どもが幸せにならないこと
連れ去りだ、拉致だと責めることです。

責めないまでも、子どもにとって父親からの愛情が必要だと
教えさとすことです。

これらは、連れ去られた夫が一番言いたいことです。

「一番言いたいこと」をあえて言わない。

これをまた夫から言われてしまうと
妻は、夫はあいも変わらず指図とダメ出しを繰り返そうとしている
私は夫と会いたくない。同じ場所で息をしたくない
ということになっちゃうのです。
夫が「一番言いたいこと」は
妻が「一番言われたくないこと」だからです。
ここに最初の矛盾が登場します。

どうしても必要があれば代理人弁護士に言ってもらうとか。
調停委員会との内部調整でお願いするということになろうかと思います。

特に調停委員会が妻側を説得して子どもを父親に会わそうとしていて
議題はどうやって会わせるかということに移っているのに、
面会交流の必要性を話しを続けることは、
委員会に対しても窮屈な思いをさせてしまい、
なるほど奥さんは夫が嫌なんだなと印象を作ってしまうという
デメリットしかありません。

夫がやるべきことは妻を安心させること
指図とダメ出しをしないということを理解してもらうこと
それなのに、一番言われたくないことを言われることは
逆効果以外の何物でもないのです。

おそらく調停の議題は、
こちらは面会したい、するべきだ
相手は会わせたくないということなので、
「会わせるか会わせないか」ということで停滞することが多いです。
しかし、かまうことはありません。

「どうやって会わせるか」という議題に正々堂々とすり替えましょう。
つまり、子どもを会わせるように連れてくるためにも
母親の協力が必要だ
母親は子どもを夫に会わせることに不安があるので
会わせたくないと言う。
調停委員にそこはこちらも十分理解できると言ったうえで、
だから、こちら側が母親の不安をできるだけ軽減させて
母親をできる限り安心させて
母親に面会に協力してもらおうとしようとする
そのためにどうしたらよいか一緒に考えてほしい
子どもたちのために考えてほしい
というところから議論を始めるべきなのでしょう。

そうすると、会わせるか会わせないかという議論から
どうやって会わせるかという議題へとすり替えることができるのです。
ここを会わせるべきだということを繰り返していては
子どもは決して父親に会えません。

<母親を安心させる方法>

一緒に住んでいないのだから、
指図やダメ出しをしませんと宣言されても
妻は安心をしません。

妻に
「ああ大丈夫かもしれないな。悪いことは起きないのかな」
と思わせなければならないわけです。

指図やダメ出しというマイナス行為をしないのではなく、
プラスの行為をすることを提案することが理想です。
一緒に住んでいなければどちらも難しいです。

それでもやるしかありません。
一つには、面会交流の具体的イメージを語ることです。
希望がどのくらいのペースでどのくらいの時間を行うのか、
ということはもちろん
例えばどこでどういうことをするのか
ということもなるべく具体的に提案することが先ず基本のようです、

次に、面会交流の際の遵守事項をこちらで先行的に誓うことです。
誓っても何も不利益がない上に、相手は多少安心するようです。
例えば、母親の悪口は言わない
生活状況を尋ねない
父親に会えないことが母親の意思だと言わない
(お母さんが良いと言ったらもっと会えるよ等)
こういうことは、子どもにとって有害な話なので、
子どもためにやめましょう。
後は、高額のプレゼントを送るときは母親の了解を得るとかですね。

こういうことを言われないうちにやる
ということです。

もちろん、養育費を毎月支払うことも言われなくてもやる。

そうやって、相手が一番嫌がる
子どもを連れて別居したことを責めないで容認する
という姿勢を示すということなのです。
心から容認することはできませんから形だけするということですね、
心は後からついてくればそれでよいわけです。

子どもに対する手紙を書くということも
有効な場合があります。
子どもに対する手紙の中で、母親の言いつけを聞けとか
母親を立てることを書くということですね。
母親に対して、子どもに渡してもらうときも、
一人で子育てをすることの感謝とねぎらいをする。
父親にとって嫌なことをさせようとしているわけですが、
それが母親にとって安心する材料だということになるのでしょう。
どうにも皮肉な話です。
おそらく何回も「心は後からついてくる」
とお題目のように繰り返すことになるのでしょう。

ただ、手紙の中で、どうしても、
夫の言いたいことを言ってしまう危険があります。
出来れば代理人と内容について吟味を重ねて良しとなったら提出
という慎重な態度が求められます。
手紙も代理人を通じて相手方代理人に送る方が無難です。
こういう手紙を出したということを
裁判所に提出して調停委員会にも隠さず見てもらい助言を受ける
ということも有効です。

そんなこんなして、子どもと面会交流が実現しても
気を許してはいけません。
「夫の言いたいこと」を言ってしまうのはこの時です。
逆に、言いたくないことを言うことで面会交流が
時間的に場所的に拡大していくことも少なくないのにです。

ここで言いがちな正しい夫の言葉は、
例えば、
「風邪ひいて微熱があるのに
 なんで面会に連れてきたんだ。」
というのが典型的なものです。

そうです、「夫の言いたい言葉」、正義というのは、
本当は、夫なりの愛情表現なのです。
相手のために良かれと思って言うことがほとんどなのです。
だけど、言い方が悪くて
あるいは正義による無意識の攻撃的言動や
相手のとらえ方に問題があるとか言う理由で*1
それがねじれて伝わっているだけのことが多いのです。
本当はそうなのです。

どうやら、愛情を本能のままに表現することを
セーブするということが大事なようです。
私たち不器用で恥ずかしがりの男たちは
女性に人気がある男性の口先だけのようなわざとらしいセリフが苦手です。
でも、受け取る方はそちらの方がよいようなのです。

夫は言い方を考えなければなりません。
さっきの事例で
色々な無理な事情があるにもかかわらず子どもが面会に来るときは、
子どもの年齢にもよりますが、
父親に会いたいという強い意思に基づく場合が実は多いようです。
父親に会いたい事情があるという言いかえもよいかもしれません。
元々会いたいのですが、
その時、たとえ面会が布団の中で休んでいるだけだとしても
父親と一緒にいたいということがあるのです。

母親側も、親切というより義務感によることもあるかもしれませんが
子どもを会わせなければならないという焦りもあるかもしれません。
夫に悪いから会わせてあげようという鬼の霍乱もあるかもしれません。

夫は一言、無理しなくても大丈夫だよ
と言ってあげればよいのです。

それを、
こういう時は家で休んでいるのが常識だろうとか
ふつうはこうするとか言って
つい正義感が無意識に出てきてしまい、
相手を圧迫してしまうし、

子どもも面会が億劫になったり、
自分のことを大切に思わないのだろうかと思うこともあります。

母親側もじゃあどうすればいいのだ
と混乱してしまうわけです。

相手の判断を尊重するというところが
親切心ゆえに難しくなるというのが
思わぬ落とし穴なのです。
失敗が多い人は
相手に話をするときは
紙に原稿を書いてから
電話をしたリ、メールをしたりした方がよいのです。

<家族再生は無駄ではないこと>

これだけ言いたいことを我慢したり
言いたくないことを無理して言っても
離婚を回避するという意味での家族再生は
なかなか難しいということが実態です。

特に35歳を過ぎると難しいです。
でも、たとえ一度離婚をしても、
曲がりなりにも面会交流が続くということに
つながっていくようです。

安心感を積み重ねていけば
面会交流の時間も場所も拡大する傾向になります。
ルーズになるわけです。
だから、面会交流調停の取り決めは
小さく生んで大きく育てろといわれるわけです。

一番言いたいことを言わずに
一番言いたくないことを言う
こころは後回し
という技術が高まっていけば
面会交流をするたびに
相手は安心感を積み上げてくれるわけです。

離婚を受け入れて
相手の面会交流のめんどくさいから一回パスも受け入れた人は
離婚調停成立前に祖父母同席の面会交流が実現し、
離婚調停から3か月で宿泊付きの面会交流に拡大し、
子どもを父親宅に泊めるというところまで拡大しました。

もうこうなると、心が一緒についてきて
お互いに感謝の応酬という
その先を予感させる事態も起こっているのです。

家族再生は困難な道のりですが、
トライして損はないはずだと
頑張っている人たちを応援していて実感しています。

*1 
存在しない夫のDVをあると思いこむ心理過程 思い込みDV研究
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-12-04
もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12
妻は、意外な理由で、実際に夫を怖がっている可能性がある。脳科学が解明した思い込みDVが生まれる原因
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-07-17

*2
北風と太陽の本当の意味、あるいは他人に対する優しさと厳しさの具体的意味
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18

*3
<夫の正しさが息苦しさを産む構造>

これから言うことは、人間に限らず動物全般に共通する心理です。
ただ、リアル感を出すため、あえて「人間は」という言い方をします。

人間は、危険を察知して、無意識に生理的な変化を起こし
危険から解放されたいと願い、
危険から解放されるための行動を行います。

(この「生理的変化」こそがストレスなのです。)

ところが、危険を察知しないにもかかわらず、
ストレス反応が起きる場合があります。

代表的には、危険が来た場合に対処できない場合です。
例えば目隠しをされた場合、逃げることができなくなります。
何か危険が迫っているということもないはずなのに、
何とも言えない恐怖が襲ってきます。
手足を縛られて、放置された場合も恐怖を感じるでしょう。
何か具体的な危険が迫っていなくても
わけのわからない危険が迫っているような
そんな感覚になってしまいます。

食事や睡眠や排せつの機会を与えられ続けられたとしても
目隠しして手足を縛られ続けられたら
ストレスで精神的に参ってしまうと思います。

極端な話、妻は
そのような精神状態になっていることがあるようです。

つまり、自分で自分のことを決められないと感じると
危険がないにもかかわらず、
危険が迫り来ても自分でそれを振り払うことができない
と感じているのだと思います。

<妻の不自由感の生まれる構造>

妻はなぜ自分のことを自分で決められないと思うのでしょうか。
どうやら、自分で決めることが怖くなるようです。

どうして自分で決めることが怖くなるのでしょう。
自分で決めたことをいちいち否定されるからです。
帰ってくるなり玄関が乱雑になっているとか
食事の準備をしていれば匂いがどうのこうのとか
カーテンを変えれば、勝手に買ったことを怒られ、
自分の買ったレシートを見つけ出しては金額に文句を言う
子育てについては、自分の気に入らないことがあれば反対し、
子どもの前で叱られたりする。
クレジットカードの申込書の書き方が分からなければ馬鹿にされ、
やることなすこと否定され、ダメ出しされていけば
自分が何かをすると夫から否定されるということで
もう嫌な気持ちになっていくわけです。

さらに帰宅前に、細かいことを
あれをやっておけ、これをやっておけと指示されてしまうと
自分の予定も立てることができません。

これは大変つらいことでしょう。

暴力なんかふるわなくても
人格を否定されている、
どれがとは具体的には言えないけれど
精神的虐待を受けている
という気持になっていくのはよくわかると思います。

夫の目を気にして、自分のことすら自分で決められなくなる
ということは理解しやすいように思います。



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