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いじめ予防対策としての人権教育 教育機関、自治体等公共機関職員向け研修 [進化心理学、生理学、対人関係学]

例によって、講演前のWEB予行演習です。下書きなしに書いていますので、誤字その他の不手際お許しください。
本当の演題は違っていて、タイトルは裏テーマみたいなものです。

1 人権 HUMAN RIGHTS
(挨拶略)
今日は、人権のお話をさせていただきに上がっておりますので、人権という言葉を避けるわけにはゆかないのですが、これがなかなか難しい。人権研修だと文字で書いちゃうと、なかなか、「人権?じゃあ聞きに行こう。」なんてことにはなりません。
色々な出来事を見ても、人権侵害という視点で考えることが少なく、これは人権侵害に当たるのだろうかなんて考えこんじゃったりします。
これに対して外国の方、いわゆる欧米の方々は、直感的に「それは人権侵害だ!」と自信をもって言い切られる方が多いように思われます。なぜだろうなと考えるのですが、おそらく人権という言葉がなかなかなじめなくて、特に権利と言う言葉が、何か知識が必要だというような意識を持たれている方が多い原因になっているように思うのですね。
権利ということは、RIGHTSという言葉の日本語訳がないということで命じに作られた言葉のようです。この元々の言葉は、権利とも訳されるのですが、語感として。正義、筋道 あるべき状態と言う意味合いがあるようです。元々の日本語的には、漢字での「理、道理」が近いような気がします。
そうすると、人権という言葉の意味は、特に欧米の方々が使っている意味は、人間としてのあるべき状態ということであるのだと思います。国や裁判所が認めているかどうかにかかわらず、そういうことがあったら人間として認められていないことになるじゃないか。という意味合いで、「それは人権侵害だ」と直感的に言うことができるのだと思います。
だから人権とは、「人間として生きる」ということの保障という意味なのだろうなと、人間の権利というよりは、「人間であることの権利」というとわかりやすいのかもしれません。人権感覚は、各人の人間とは何かという考え方の問題なのでしょうね。
さあ、あとは、人間とは何かということになるのですが、これは、様々な考え方があるでしょうし、それでよいのだと思います。今日は、人間とは何かということを考えるヒント、一つの方法をお話しさせていただきたいと思います。

2 人間が他の動物と違うところ 人間についての考察例
 1)人間の始まり
一番わかりやすい人間とは何かという考えですが、これはもう、ほかの動物との比較で考えるということが王道だと思います。
  いろいろと特徴があると思いますが、まず群れをつくるということがあげられると思います。進化生物学では、200万年前には、母子とは異なる群れを作り始めたとされています。認知心理学では、そのころ、人間の心というものが作られたとされています。その当時はというと、生まれてから死ぬまで一つの群れで、同じ仲間と生活していました。小動物を狩り、植物を採取して食料を調達していた時代です。もちろん言葉のない時代です。
 2)どうやって群れを作ってきたか。
 言葉がありませんから、道徳や法律もありません。どうやって人間は群れを作ることができたのでしょうか。群れはきちんと秩序があったのでしょうか。これはあったと思います。人間は狩りに適した動物でもなく、逃げるための足も翼もありません。肉食獣に狙われたらすぐに食べられて死んでいたでしょう。それではすぐに絶滅してしまいます。そのため、群れを作って生き延びてきたわけです。群れで仲間割れしていたら、すぐに自滅していたでしょう。強いものばかりが利益を得ていたら、弱い者から次々に死んでいき、やっぱり全滅していたでしょう。
おそらく、群れを作ることに都合の良い感情を持っていたのでしょう。これが、今では心と呼ばれるものの最初なのだと思います。群れの中の個別の人間は、「自分は」という発想があまりなく「自分たちは」という発想で生活していたのだと思います。つい最近まで日本にもあったムラ社会をもっと極限にした状態だと思います。その社会が人間にとってこの世のすべて、一生涯のすべてだったわけです。
 「共感モジュール」という心のシステムで群れを作ってきたと思います。
    仲間の悲しみ、喜びを共有していいたと思います。仲間の困りごとは自分の困りごとだから、仲間の困りごとも自分の困りごととして解決しようという発想に自然になったのでしょう。仲間を助けることは自分たちを助けることだったわけです。私たちの問題ということですね。
    それから一番弱い者をみんなで守ろうとしたと思います。誰かが攻撃されたらみんなで命がけで反撃しようという気持になったのだと思います。このような助け合い、支え合いは、きれいごとではなく、当時は死活問題だったはずです。こういう心をもった人間だけが、飢えや肉食獣から自分たちを守り生き延びてこられたのです。その子孫が私たちだということになります。
 3)200万年変わらない人間の心
  なんかきれい事じゃないかとやっぱり思いますよね。でもそうじゃないんです。私たちの心の中には、ちゃんと200万年前の心がつづいているのです。例えば、あなたは、仲間として認められないと不安、ストレスを感じると思います。人数が多すぎて予算が無くなってきたから、あなた止めてもらおうか。とか、あなたは、ちゃんと仕事をしていないから、これからは、後ろ向いて座ってね。とか言われて平気な人はいませんよね。それは極端ですか?
  普通に、自分が困っていたら誰かに助けてもらいたいとおもったり、誰かに親切にされるとうれしくなりませんか。それから、弱い者を「かわいい」と思うことはありませんか。これは一番弱い者を大切に守ろうとする人間の心だと思います。またネットで、誰かの落ち度があると、よってたかって攻撃しますよね。あの攻撃の口実も、弱い人を守ろうということから始まっていることが多いのです。肉食獣に襲われた人間を寄ってたかって守るために肉食獣に挑んだ人間の様子と重なるように思うのは私だけかもしれません。これは説明も必要でしょうが、今日は割愛します。

3 変容する現代社会という環境
200万年前の心を今の心に直接持ってくると、インターネットの袋叩きようなことが起きてしまいます。200万年前が生まれてから死ぬまでも、狩猟採集から眠るまでも一つの群れで共同行動していたことと、現代が様変わりしていることが一つの不具合の原因、ミスマッチなのだと思います。
  群れは多元化しています。 家族、職場、地域、学校、趣味など、いろいろな群れに属していますが、例えば学校でも、クラス、部活、あるいは小グループなどに属していて、とても複雑ですし、属し方も違います。でも継続的な人間関係を形成しています。
  200万年前は唯一絶対の群れですが、今は転校や転職、離婚等群れの結びつくは弱く、絶対的な関係でもなくなっています。
  200万年前はあまりなかった、仲間どうしで利害対立があったり、競争が行われたりしています。また、その場限りの人間関係も多く生まれています。

  そのような複雑な人間関係の中で、仲間を助けることは美徳ではなくなっている風潮があるように思います。職場でも自分の利益のために仲間と差をつけるという意識もあるように思われます。他人の失敗に対して寛容になれない風潮は、職場や家庭の中で進んでいるのではないでしょうか。じっくりかかわる時間的余裕のないとか心の余裕が無くて八つ当たり気味な行動をしてしま多ということがない人も少ないのではないでしょうか。200万年前に狩猟から群れに帰ったときのような、自分の安心できる人間関係が現代社会には存在するのでしょうか。

4 人権とは、人間のあるべき姿とは
  人間は、群れを作る動物であることから、群れの仲間から仲間として認められることがとても心地よく感じる生き物だと思います。自分が尊重されて安心して暮らしたいと願っていると思います。逆に仲間から排除されることによる、無自覚の不安・ストレスからの解放されたいと思っている動物だと思います。
  仲間の役に立つ自分

5 子どもという時期
  他の動物に比べて、人間は繁殖適性年齢に至るまで極めて長期です。大きな動物でもせいぜい数年で子どもを産むまで成長しますが。なぜ人間だけはそうはならないのでしょうか。
  進化生物学者によると、群れに協調して集団生活をするためには、脳が十分発達する必要があり、この脳の発達のために時間が必要だということが有力に言われています。
  脳科学からみると、危険を感じる扁桃体などは思春期に完成するのですが、いろいろな記憶を合成して、危険ではないと判断する大脳皮質はこれより数年以上遅れて20歳台に完成するらしいです。つまり、思春期の時期は、自分の危険に過敏になっている時期だそうなんです。自分が攻撃されていると思い易く、すぐに反撃してしまう。自分のそのころや子どもたちの様子を見るとよくわかると思います。危険を感じて反撃する子、キレる子、危険を感じて立ち尽くす子危険を感じたときの対処の方法は、個性と人間関係の状態で様々ですが、危険を感じて不安になりやすくなっているということは共通なのだと思います。

6 子どもの成長と生物としての人間の心理
  人間も他の動物と同じで、「自分のことは自分で守りたい。自分のことは自分で決めたい」と感じます。例えばネズミなどが人間に追いかけられたときは、大きなネズミに頼らず、自分の力で逃げていくことを選んでいますよね。どうやら人間も基本的には同じのようです。
  できるようになると(できないくせに)次々主張が始まる。これが反抗期です。歩けるようになると、自分で行きたいところに行くことを主張し始める。幼稚園に入ってお友達ができると、幼稚園の生活のことは自分で決めたくなる子が出てくる。これも個性でだいぶ違うようですが。思春期になって、繁殖の準備を始めると、男女問題を親から言われることは嫌がるようになるし、プライバシーを協力に主張するようになりますね。
荒野て考えると、大人になるということは、なにもできない赤ん坊から、自分の仲間を自分で決めて仲間と協調することができる大人への過渡期だということが言えるのだと思います。
 だから、自分で決めているという実感を本人に持たせないと、本人はなかなか動かないということがよくあるようです。意思を持っている人間であるから 意思を動かすことが大切ということにになりますね。
  この観点から虐待としつけの違いをみると、調教や虐待は子どもの意思を無視して、生命身体、人間関係の危険をあたえるという威嚇によって結論を押し付けることだということができるでしょう。しかし、この威嚇が消えれば効果も消えるわけです。教育・しつけとは、選択肢を与えることによって、結論に誘導するということになりそうです。
  教育基本法1条で、教育の目的を定めています。今までのお話を総合するとそのトップに、人格の完成を目指すとあります。これは「他者との協調性の獲得」という重視すべき面がある、あるいはそれが教育の目的だというようにも感じられるのです。
7 現代版「風の中の子供」
現代の文明社会は、物質的には豊かになったと思います。しかし、子どもたちは幸せになっているのでしょうか、例えば今年2月国連子どもの権利委員会は、さまざまな日本の子どもたちの人権状況について意見を述べています。その中で、過剰な受験競争にさらされているという指摘がありました。隣人との競争、なりたい職業は正社員という社会環境が受験競争の圧をかけているように思います。成績が良くなければうちの子じゃないみたいな条件付きの家族の中の立場ということは子どもの精神状態によくありません。親の不安の反映、雇用不安、精神不安等の愚痴、八つ当たりが子どもたちに影響を与えていることがニュースなどでも知らされています。
 子どもたちも毎日のように習い事があり、友達と遊ぶ時間、場所、精神的余裕が足りないようでうす。人格形成途上である自分を受け止めてくれる人間関係が不足している、未完成であることを責められる状態。子どもたちの帰属意識が不安定になっているようです。まるで落ちこぼれないために生きているような努力と緊張の毎日になっていないか心配です。

8 事例にみられるいじめの構造
  いじめは、いじめることもたちの不安の解消ということから出発することがよく見られます。友達が自分から離れていく分離不安(自分が否定されたという感覚)から、その子をいじめるということが少し前まで主流でした。過剰な正義感、例えば一人の子の落ち度を集団で責めるということも平気で行われることがほとんどの事例で見られます。いじめられる子の状態、存在に、例えば受験なんて関係ないやと伸びの生活しているお子さんや、勉強も運動も何でもできるお子さんをみていると自分が否定されている感覚になり、その子をいじめるという事案もありました。いじめられる子は、なんらかの弱者、孤立者など、反撃の恐れのない子をターゲットにしているという特徴があります。

9 200万年前の心を開放する
いじめ防止の働きかけをするときは、何か新しい考えをどこからか持ってくるというよりも、人間が本来持っていて、環境の中でスムーズに表れない、もともとの心を現代に引っ張り出す、利用するという方法が一番合理的であると考えます。共感モジュールとして説明したものです。
 例えば、他者の心情を考える訓練、遊び「こういう場合どういう気持になるか」ということを、「人の気持ちを考えなさい」とヒステリックに叱るとき以外にも考えさせるということ
 例えば、相手の感情を推量って行動を修正する訓練、親これはうれしいのか、ではこれを続けよう。親これは嫌なのか、では止めよう。やり方を変えようというシミュレーションですね。
 この時大事なのは、正義感と共感の折り合いをつけることです。部活をさぼったことは悪いことでもよいのですが、サボったからと言ってよってたかって非難するのではなく、何か原因があるのではないかという視点で、相談に乗るという方法をあらかじめ知っておくことも大切です。
 最近よく言われているのは、誰かの役に立つことの喜び、誰かに喜ばれることの喜びの誘導、誘発することです。この教育実践の一番やってはいけないことは、能力のある子だけが褒められ、やくに立つという実感を持てる、そうではない子が自分なんてとあきらめるような方法は害悪しかありません。どんな子どもでも何かの役に立つことを実感させることが大切です。他人の役に立つことは特別な能力が必要なわけではない。例えば一緒にいることなんていう、誰にでもできることが大切なんだということを教えることが結果とならなければならないと考えています。

10 大人の子どもへのかかわり方
   今の社会は、放っておくと、子どもたちが自分の立場に不安を感じる社会であるようです。どうか子どもたちの逸脱行動には、不安解消という行動原理があるのではないかと、叱る前にまず考えていただきたいと思います。
   そうして、寛容、許す、再び仲間に迎え入れる、こういうことに大きな価値を見出し称賛していただきたいと考えています。 
それぞれの立場において、絶対に見捨てられないという安心感を子どもたちに与えていただきたいと思います。余計な不安やストレスがなく、自分には絶対的な見方がいるという自信は、子どもたちを大きく成長させる基礎となるはずです。
   よく言われている命の授業とは、このような「人間の」命の授業であるべきだと思っています。
参考文献 「人体」上下ハヤカワノンフィクション文庫 進化生物学
   「まねが育むヒトの心」 岩波ジュニア新書 


うーん。1時間かかってしまいましたね。後半、時間がかかりすぎかなということで要点の私的に終わってしまいましたね。これを言葉で話す場合40分で収まるかどうかですね。
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