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若者以外の自殺者数はなぜ減少したのか。自死の落差理論と耐性ないし馴化 [自死(自殺)・不明死、葛藤]


日本における自死者の数は、
平成9年に2万4千人だったのが
平成10年に3万2千人を超えて
平成15年にピークの3万4千人台となり
平成21年までの11年間3万人台でした。
それがその自死者数が減少していき、
平成30年度は2万840人まで減少しました。

なぜ増えて、なぜ減少し続けているか
その理由がわかれば、自死対策は進むのですが、
誰も自信をもって言うことができません。わからないのです。

一つの仮説として国の政策が功を奏したというものがあります。
自殺防止対策推進法、自殺総合対策大綱
地域自殺対策緊急強化基金、利息制限法の改正
様々な政策を実施してことは間違いありません。

また、これまでは、自殺というと
自死者に対する非難の文脈が伴っていましたが、
国が自殺対策を行うということで
追い詰められた上の死だという理解が広がり、
マスコミを通じて自死が報じられる場合でも
救助、支援の文脈で話題になっていることが良い効果を上げている
という事実は否定できないと思います。

自死を考えている人にとって、
自死を考えていることを非難されていると感じるよりも
周囲が自死から救おうとしていると感じるほうが
余計な孤立感を感じないで済むと思います。
自死を非難することはWHOでもデメリットが大きいとしています。

ただ、それだけで本当にこのような動き方になるのでしょうか。
また、全体に自死者数が減少しているのに
若者の自死者数が減らないのです。
若者の人口が減少していないにもかかわらず
若者の自死者数が微増しているのです。
国が対策を立てていることが自死者数の減少の理由であれば
若者だけ減らないのは不思議です。
これが手掛かりになって
自死者数の減少の理由が見えてくると私は思いました。

まず、若者の自死の原因と中高年の自死の原因は
ともに将来に対する絶望なのですが、絶望の仕方に
大きな違いがあるということを理解していただきたいと思います。

中高年の自死の理由は、
これまで自分が積み上げてきた実績、人間関係を失う事情があり、
過去の蓄積された現在を失うことにより、
やり直しがきかないことから未来に対する絶望を感じるわけです。

典型的なケースは、刑事事件を起こした場合です。
警察に逮捕されただけで、会社にはいられなくなります。
自分の立場を失って、絶望が起こるということはわかりやすいと思います。
弁護士のアンケートでも、刑事被疑者、被告人の自死が多い
という結果が多いのです。
弁護士が関与した一番多い自死者のケースは債務問題でした。
借金支払えないから自死するという単純なケースはあまりないようです。
借金が払えないことによって、住宅ローンが支払えない
その結果引っ越しが必要になる。そうなると
近所の人たちや会社に借金が払えないということを知られてしまう。
こういうことで、自分の人間関係が破綻するということが
大変恐ろしく感じるようです。
家族に内緒で借金を返していて、ついに支払われずばれてしまい、
家族からも追放されるのではないかというように
やはり人間関係で、それまでの立場がなくなるというところに
自死の原因があるような気がするのです。

これをわかりやすく言うと
それまでの立場を維持できないで落ちて行ってしまうという
落差を感じることが自死のリスクを高めるといえそうな気がするのです。

自死者数が急激に高まった平成10年という時期は
バブルが崩壊して数年が経った時期です。
バブルが崩壊しても、バブルの頃の生活をなかなか修正することができなかったことでしょう。
また、生活状態は変化させても、
住宅ローンの月々の返済額は高めに設定していたために、
バブル崩壊後の賃金低下やリストラで
支払いができなくなったということもあったかもしれません。

平成15年くらいまでは、
落差を感じる対象の過去が生々しく記憶にあったのかもしれません。

平成15年以降はバブル期の記憶のない人や
バブル崩壊後の生活に対応できてきた人たちが増えていった
とは考えられないでしょうか。

リストラ、派遣切り、有期雇用期間満了による失業
上がらない賃金、長時間労働
そんなことがだんだん当たり前の世の中になってきたのではないでしょうか。
つまり落差がなくなってしまったのです。
周囲も失業者だったり、ホームレスだったり、
自分よりひどい状態にあるのです。
人間はこうやってだんだんと馴れが生じてゆくのです。
生活の苦しさに耐える力がついてきてしまった
という説明も成立するのではないかと考えています。

ある程度社会的立場や、良い生活をしていれば
それを失うとなれば、その落差が絶望につながるわけですが、
初めから立場がなく、良い生活をしていないのならば
落差もなく、絶望もせず、耐え続けることができるわけです。

馴化(じゅんか)によって、対人関係的危険を感じなくなる
という言い方をします。
苦しみを感じていても、危険を感じにくくなるわけです。
「精神的に強くなる」ということは感じにくくなるだけだと思います。

中高年の自死が減少したのはこういう理由
つまり、もともと生活が苦しいならば
自死は起こりにくいということです。

それでは、どうして若者の自死者が減らないのでしょうか。
若者の絶望の仕方は中高年とどのように違うのでしょうか。

若者は、それなりに家族との関係や友人関係といった
社会的立場があるわけですが、
過去が積み重なった立場の崩壊という側面は弱いと思います。
若者の場合は、将来につながる現在の崩壊だと思うのです。
今、このようにいじめられ続けている自分に
当たり前の幸せの将来はないのではないかという絶望の形です。

若者は、自分の未来に希望が持てないことに
馴れることはできないのでしょう。
自死対策に関与している人たちは
そろそろ考えるべきなのだと思います。

自者数を減らすことだけを考えていると
思わぬ落とし穴にはまってしまうのではないかということです。

自者数を減らすためには、私の理論では、
苦しい生活を続けさせることと
社会全体で苦しい状況が蔓延すればよいということになります。
現在でもそうなっているように
これはそんなに難しいことではないようです。
そんなことを求めることにプラスの意味はないでしょう。


若者が将来に希望を持てる社会を作る
それこそが目的にされるべきではないかと思うのです。
人間が幸せになるとはどういうことか
多くの人間が幸せになるにはどうすればよいか。
それが対人関係学の究極の目的です。



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