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ダイエットに失敗するメカニズムを理解すると人間の心が200万年前から変わらないから生きづらいということが見えてくる。 [進化心理学、生理学、対人関係学]


<ダイエットが成功しないメカニズム>

現代社会において、ダイエットは必需品のようです。
容姿を気にしたダイエットが多いのですが、
我々の年代では生活習慣病を意識したダイエットもあるし、
糖尿病や腎臓病のような死活問題である場合もあります。

いずれにしてもダイエットは失敗しがちなのですが、
誰でも経験していることは、
甘いものを見ると、つい手を伸ばしてしまうということや
一度食べてしまうと想定以上に食べてしまう
という甘いものの誘惑です。
つまり、人間は、甘いものを見ると食べたくなってしまうわけですが、
それは、人間の体がそのように設計されているからだ
ということのようなのです。

実は、甘いものを欲しがるのは人間だけではなく、
くまのプーさんははちみつをとろうとしますし、
アリも甘いものにむらがります。
ハチも蜜を求めて飛びますし、
ミミズも甘いものがあれば食べます。

甘いものというのは、化学でいえば
単糖類、二糖類である、砂糖、ブドウ糖、果糖などですね。
極めて簡単な分子結合であるところが特徴です。
複雑な消火システムを抜きに消化吸収されるので、
大変効率が良いです。

また速攻で体を動かすエネルギーになりますから、
生きるためには、どんどん摂取する方が得なのです。
ここは人間もミミズもあまり変わらないようです。

さらに糖分は、形を変えて体内に蓄積することができます。
多くとって体の中に保存した方が有利だということにもなるわけです。
この蓄積されたものが皮下脂肪などということです。

つまり、甘いものを食べようとする行動は、
みて、あるいは匂いで
単刀直入に、食べようという
感情を伴った衝動が起きるわけです。
体の仕組みで起きているから強い衝動ですね。

これに対してダイエットは、
これを食べると太る、だから食べないようにしようとか
これを食べると血圧が上がる、だからたべないようにしよう
という、もって回ったあるいは理性的な行動意欲ですから、
単刀直入の感情を伴った衝動に比べると
人間の行動パターンとしてはどうしても劣ってしまう。

このため、食べてしまってから
後で後悔をするという時系列になりやすいのです。

<甘いものを吸収するシステムの理由>

どうしてこのような迷惑なシステムが作られたのでしょうか。

それはこのようなシステムが作られた時代を考えれば
簡単に理解ができます。

先ほどの例でくまのプーさんだけでなく
アリやハチ、ミミズも甘いものを欲しがるといいましたように、
甘いものを欲しがるということはかなり前
おそらく1000万年前どころではない時代から作られていたのでしょう。

一言で言えば甘いものの極端に少ない時代です。

甘いものは、消化吸収が簡単でエネルギーになりやすい
生きるためにはとても有利なものです。
せっかく甘いものに遭遇したならば
確実にそれを体内に吸収しようとする体の仕組みがなければ、
せっかくの甘いものを素通りしてしまいます。
甘いものを食べたいという感覚を持つことができれば
甘いもの摂取するわけで、この仕組みが
甘くておいしいという感覚を持つことだと思います。

逆に言うと
甘いものをおいしく感じた動物の子孫が
生存競争を勝ち残って生き残ったというわけです。

そして、少ないチャンスを確実にものにするために
甘いものはありったけ食べて体内に蓄積するメカニズムをつくることが
とても有利です。
甘いものがなくても、体に蓄積された皮下脂肪を取り出して
エネルギーとして活用ができれば、
次に見つけるまで生き残ることができます。

特に人間は、脳を発達させて生き延びてきましたが、
この脳はかなりのエネルギーを必要としますから
どうしても糖分を体内に蓄積させて
生き延びようとしたわけです。

このように甘いものがうまい、もっと食べたいというのは、
人間をはじめとする動物の生きる仕組みだったわけです。


<なぜダイエットが必要になったのか>

それでは、生きる仕組みであるところの
甘いものを食べよう、もっと食べようという行動が
様々な病気を発症させるとして
問題になるようになったのはなぜでしょうか。

それは、1万年前くらいから人類は農業を行い始め、
体の中で糖に代わる炭水化物を人為的に生産し始め、
20世紀に入って砂糖を工場で作るようになって
大量生産が可能となり、簡単に入手しやすくなったからです。

そのように砂糖が入手しやすい環境に変わったため
本来ならばむきになって食べようとしなくてもよいし、
その都度食べれば済む話ですからもっと食べようなんて思う必要もありません。
しかし、人間の体はそう簡単に環境に適応しません。
相変わらず体は、何万年も前に形成された
砂糖を摂ろう、砂糖をもっととろうという仕組みのままだということです。

こんなに多くの砂糖を日常的に摂取できるということは
人体の想定外だというわけです。
そのため必要以上に甘いものを摂りすぎて
糖尿病、腎臓病、生活習慣病
あるいは虫歯に苦しむようになったということのようです。

体は、まだ、何万年前のバージョンのままということです。

(このセクションは、ダニエル・リーバーマン「人体600万年史」(ハヤカワノンフィクション文庫))

リーバーマンは、「人体と環境のミスマッチ」と表現しています。

砂糖は必要以上に摂るように体の仕組みができてしまっている。
現代社会は、その想定を超えて砂糖が供給されている
だから、人体に合わせた分量に摂取を抑える
これがダイエットということになりそうです。


<心も体と同じ>

このような人体と環境のミスマッチは
糖の問題だけでなく起きていても不思議ではないと思います。

対人関係学は心にも応用できる問題ではないかと考えていて、
「心と環境のミスマッチ」という概念を提唱しています。
対人関係学のページ 対人関係学の概要・用語
http://www7b.biglobe.ne.jp/~interpersonal/concept.html

心が形成されたのは200万年前だというのが認知心理学のコンセンサスです。
当時ヒトは、群を形成して生きてきました。
群を形成しなければ生存競争に敗れていたと思います。

言葉のない時代に群を形成するために必要な、
都合の良い心をもっていたはずです。

1 群れの中にいたい、孤立することが怖いという心
2 群れの仲間に共感する能力、神経
3 自分と他人が厳密には区別がつかず、群の仲間が困っていたら自分が困っているのと同様に困り、何とかしようと思う。
4 群れの一番弱い者を守ろうとする。
5 それらの結果、群の仲間が襲われていたら、自分を守ろうとする意識をもてずに集団で反撃しようとする

だいたい現段階ではこのように整理しています。

1は、人間の心理で、これが充足されないと心身に不具合が生じるということで前々回のブログで示したバウマイスターの理論の根幹です。
2 共感は、今やミラーニューロンによるという神経学的な解明が進んでいます。
3は、認知心理学でいうところの単純接触効果の局限的な状態です。当時の群れは、原則として生まれてから死ぬまで一つの群れで生活していました。また、平等が貫かれていますから、利害対立がない。このため単純接触効果が極限まで及んだのだと思います。
4は、現代人も、かわいいという心があるので、実感できるでしょう。この気持ちがなければ、赤ん坊は成人になれず、人類は早々と死滅していたでしょう。
5 袋叩き反撃仮説として、上記のページでも提唱しています。
  もともとはこのブログ記事です。
ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説
  https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2018-06-19

このような人間の心は、大変きれいごとのように
現代社会では感じられるかもしれませんが、
当時で言えば、死活問題で
そのような心を持たなかった人類は
死滅していったと思います。

そう、砂糖を食べよう、もっと食べようとして生き残ったようなものです。

では、現代の心を取り巻く環境の変化とは何でしょう。
それは、人間の能力を超えた人数との接触と
複数の群れに同時に帰属するということだと思います。

200万年前までは、一度にせいぜい150人くらいとしか
接触がなかったはずです(ダンバー数)。
また一つの群れでしか生活しないのが原則です。

ところが、現代の人間は家族があり、
学校に行き、職場に行く、
マンションという狭い空間に何人もの人たちと生活を共有する。
自分のやりたい行動をしようにも
どこのだれかわからない人と競争して勝ち抜かなければならない。
誰かに親切にするとかえって抗議をされてしまう。
世の中は優しくなく、常に攻撃におびえ、
自分を守るために緊張を持続させなければならない。

学校や職場という空間に同時に存在しても
単純接触効果が起こりにくい状態です。
弱い者は庇われないことが当たり前
自分や自分の家族を守ることが最優先。

誰かを攻撃し、怒りの意識をフォーカスすることによって
自分の現状の苦しさを忘れようとする。
みんな自分という単体を守ることに精いっぱいで、
共感なんてものはテレビやスマホに向かってするものだ
という現状になっているのではないでしょうか。

ネット炎上は、袋叩き反撃仮説の性質が裏目に出たと言えば
とても理解しやすいと思います。

いじめ、パワハラ、リストラ、DVが
当たり前になってしまうのも無理がないように思えてきます。
これらは、人間が調和的にいるための性質が働いているのだけど、
環境が変わったために不具合を起こしているとは考えたほうが、
合理的な解決が得られるように感じています。

現代社会の社会病理の視点として
心と環境のミスマッチは
必要不可欠の概念だと私は思います。

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