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特攻隊員の心情を肯定的に理解しなければ平和運動は上滑りした危ういものになるだろうということ [進化心理学、生理学、対人関係学]



<元特攻隊員の会見>

先日、ネットニュースで特攻隊員の生き残りの90歳代の兄弟が
その心情について会見を開いていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191122-00000037-mai-soci&fbclid=IwAR1VK_0vwCjm648jaSC8-zTZhoeX9CCxMFKZM4Knv-U1dBtZq4LTTkv_T0Y
それというのも、
娘と特攻隊の展示館で、特攻隊員の遺書が展示されていて、
娘さんは、亡くなった方々が、
「教育を受けて勇ましく死のうと思ったのね」
と言ったことがきっかけだったそうです。
その遺書には、家族にあてて心配するな
お国のためだから喜んで死ぬ
というようなことが記載されていたようです。

これは違う、
こういう誤解は生きているうちに訂正しなければならないということで、
元特攻隊員の兄弟は会見を開いたとのことでした。

<元特攻隊員の話を考えてみた>

何が「違う」のか。

第1に、死ぬのは怖かったそうです。
第2に、喜んで死ぬと書いたのは、家族に向けた配慮だそうです。
恐怖の中で嫌々死ぬと思うと家族が悲しむので、
家族の苦しみを軽減させるためにそういう
いわばリップサービスをしたとのことでした。
第3に、何か自分が死ぬことが大義を受けてのことだと思わなければ
やっていられなかった
ということを説明されています。

つまり、戦前の軍国主義教育によって死ぬことが怖くなくなったのではなく、
「家族に心配をかけない」ということで
「大義のために」ということで
死ぬ恐怖を軽減させる工夫をしていたということになります。

余裕をもって死を迎え入れたのではなく、
いずれに死ぬことになる客観的情勢なので、
少しでも死の恐怖を軽減させようと
追い込まれた結果が勇ましい遺書だったわけです。

死の恐怖を軽減する方法としては
仲間のための行動をすることが有効です。
人間はそのようにできているからです。

言葉のない群れを作ることができたのは、
襲われている仲間を
みんなで助けようとする性質があったからだと思うのです。
(袋田叩き反撃仮説)

平時に野獣を見たら逃げるでしょうが、
いざ仲間が襲われていれば
怖いという気持が不思議と消えて
みんなで野獣を袋叩きにしたという仮説です。

これがなければ、人類なんて死に絶えたことでしょう。

つまり仲間のために身を挺するというのは
人間の本能なのです。
ただここでいう「仲間」は、おそらくせいぜい数十人くらいで、
いつも一緒にいる人たちでしょう(ダンバー数と単純接触効果)。
例えば家族です。

国を守る、民族を守るというのは
人数が多すぎるのと抽象的な存在なので
守ろうとする本能はないと思います。
これは「教育」が必要なのでしょう。
それでも無理かもしれません。

おそらく、見知った親しい仲間を守ろうという強い情動が
自分を守ろうという情動を軽減させるのだと思います。

大義とはこの感情、本能から派生したものですが、
実際は、仲間を守ろうという意識に還元できるのかもしれませんが、
(たとえば国を守るという言葉であっても、
実際に念頭に置いているのは親兄弟だったりするというようなこと)
自分を奮い立たす従的な役割は果たすかもしれません。


<教訓>

1 教育によって洗脳しきらなくても特攻隊に志願することはできる。
  
戦前の軍国主義教育によっても
人間の死の恐怖という本能を打ち消すことはできなかった
ということです。

現時点で戦争は現実的ではないという考えがあります。
それは、戦争を遂行するためには
国家的な洗脳がある程度進まなければならない
戦後の民主主義教育や平和教育によって
戦争を起こすような教え込みはできなくなった
だから現実には戦争に賛成する人はいないだろうと
というものです。

戦争を遂行し、特高指令を受諾するには
そこまで高度な文明支配は必要ではなかったのです。
自分や家族の危機感を認識させれば
それでよかった可能性があるということです。
自分や家族の危機感を抱けば
仲間のために我が身をなげうつという人間の本能が発動されるので、
自分の死の抵抗も下がるし、人も殺せるのです。

現代でも例えば貿易上の軋轢で
日本の生命線が断たれた
このままでは大恐慌に陥って死者が出る
ということを宣伝すれば
戦争を少しずつ受け入れていく危険性があるということです。

戦後教育や、民主主義教育、平和教育と言いますが、
実際の学校はそうなっているのでしょうか。
強い者にまかれろ、上に歯向かうなという訓練が
着々と遂行されているということはないと誰が断言できるでしょうか。

2 特攻隊賛美に対する批判が心を打たない理由

特攻隊員が、国や大義のために死んだのではなく
死の恐怖を軽減するためには、あるいは、
家族を守るため、家族に役に立つためには
勇ましく死んだような形を作るしかなかったという
人間の本能にもとづく行為だったわけです。

賛美するかどうかはともかく
大いに共感できることだと私は思います。

否定されるべきは特攻作戦であり、
それを命じた上層部、とめなかった上層部にあるはずです。
その作戦を考えた時点で、手詰まりであることを認識して、
戦争を投了するべきだったのでしょう。
それでも戦争を継続した上層部は素人集団であったわけです。
元々戦争を始めたこと自体も疑いの目で見るべきだということを
特攻作戦が行われたという事実が有力に示している
それ程の愚策だったわけです。

特攻作戦賛美には反対しなければなりません。
しかし、その中で命を無くした若者たちが
死を恐れ、
家族のためにできる死を恐れていないと
自分は平気だという気づかいをすることによって
死の恐怖を軽減したこと
ぎりぎりの本能的行動を否定してしまったら
それは人間に対する否定になるのだと思います。

素朴で敏感な国民から遊離していくだけだと思います。

<謝意>

勇気を出して真実を語った90歳代の元特攻隊員の兄弟の方の
今回の発言は、とても勉強になりました。
目を開かせていただいたという思いです。

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