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大切な人間関係でぎくしゃくしている、居心地が悪いと感じる方へ。「どうでもよい領域」を増やす努力をお勧めします。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

離婚事件で、
暴力も、脅迫もないという事案なのに
モラルハラスメントだDVだと主張される場合に、
夫婦の会話が、指図とダメ出しばかりだった
と相手に感じさせていたケースが多いように感じます。

職場や学校でも同じかもしれません。

聞いてみると間違ったことを言っているわけではない。
言わなければならないことを誰も言わないから言っている
そういう感覚を持っているようです。
そうこのブログみたいな人ですね。

しかし周囲は同調してくれません。
注意されるべき人が庇われて
注意した自分に冷たい視線が浴びせられるように感じることでしょう。

「私は孤立を恐れない。生きたいように生きる。」
という方はそのまま頑張ってください。
何とか、自分を変えたい、あるいは、
自分の主張がもう少し受け入れられたいと思う方は
この記事を読み進めてください。

<前提知識、人間は行動の自由が制限されると怖く苦しい>

人間も動物です。
動物の基本は、自分の身を自分で守ろうとするということです。
だから、危険が襲ってこなくても
自分で自分を守ることができない状態だと感じることとは
耐え難い恐怖であり、苦痛です。

例えば目隠しをされるとか、騒音で危険の予兆を聞けないという
感覚を遮断された場合、
手足を縛られるなどの行動を制限された場合、
具体的な危険がなくても、恐怖を感じ、苦痛を感じます。

心理的にも同じようです。
典型的なことは
やることが多すぎる場合と
自分の判断でやり方を決められない時です。

例えば、他にやろうとしていることがあるのに
あれもやれこれもやれと言われる場合(心理的感覚遮断)
何をやっても先ず不十分な点を指摘され
どうしてよいかわからなくなっている場合(心理的行動制限)ですね。

<心理的に圧迫を加えた相手は苦しくなる>

例えば妻が離婚を切り出す典型的な場合、
夫は、妻にとって
自分の身を守ることを妨害する攻撃者であり、
自分に恐怖を与える嫌悪の対象になってゆきます。
一緒にいることが嫌で嫌でたまらなくなるようです。
安心して一緒にいることができなくなりますよね。

夫の言っていることが間違っていなくてもです。
間違っていなくとも、自分で自分を守ることができなくなるから
やはり恐怖や嫌悪が襲ってくるからです。

良かれと思って、
あるいはそれが合理的だから、
あるいはそれが正義に反するからと
口を出す理由はもっともなことが多いのですが、

それが蓄積していくと
そんな些細なことで口を出して
相手を不愉快にした上、自分のポイントを下げる
という不合理なことになるようです。

<なぜ口を出すか>

元々相手が、自分にとってどうでもよい人なら
あれこれ口を出すということはなさそうです。
どちらかというと、自分と利害関係が一致し、
自分としても一定の水準を期待している人
そういう相手だからこそ口を出すように見受けられます。

愛情の表現の場合、愛情の裏返しの場合もあれば、
自分勝手な、自分の利益追求の場合もあるようです。
自己保身で相手の落ち度を探すということもないわけではないようです。
ここでは、愛情関連を考えてみます。
利益一致型ですね。

相手に求める一定水準は、かなり頭の中の理想の場合が多く
妄想に近いイメージの場合があるようです。
自分と同じことを考えているはずだという無茶が
「当たり前」になっています。

だから、自分の求めるところと違うところを批判するし、
足りないところ、失敗、落ち度ばかりを探すようです。
言わないと自分が不安になるのかもしれません。
そういうネガティブなところに意識のフォーカスがあたっているために、
感謝の気持ちはなかなか意識には上りません。

知らず知らずのうちに
自分の頭の中と同じ頭の中を求めているし、
自分の理想を実行することを求めてしまっているわけです。

<ではどうするか>

本当は、相手は自分の愛情を注ぐ対象だと
そういうところをしっかり意識して、
自分の外にある存在だということを自覚すればよいのでしょうが、
なかなかそれはできません。

相手のすることについて
「それはどうでもよいことだ」という領域を作り
できるだけ増やしていくということが有効だと思います。

どうでもよい領域で相手がしたことは
批判しない。感謝だけ口にするということです。

例えばその日の夕食を妻に任せたとします。
作り方や出てきたものについても批判しない。
口や態度は感謝だけを表す。
これは、「男子厨房に入らず」のエッセンスだと思います。
もちろん夫が食事を作ったときは
酒の肴ばかりだとかめんつゆ使ったものばかりだとか言わない。

例えば子どもの髪形についても
校則に違反しないなら子どもに任せる。

例えば、部下に任せたリサーチのまとめ方が悪くても
文句を言わずにどうフォローするかだけ考える。

心がこもらなくても感謝の言葉を発する。
これが基本です。
相手が不愉快な思いをしたら、
自分が悪くなくても詫びる、気遣う
これが日本民族の伝統だったはずです。

その代わり、自分の思うようにやってくれた
感謝を忘れても大喜びをする。
こうやって相手を少しずつ誘導していくということを
理想にいたしましょう。

<何がどうでもよい領域か>

どこにどうでもよい領域を作るかですが、
今述べた「相手に任せたこと」
「相手が自分のためにやっていること」
これは基本です。

それから、結果を出さなければメリットはなく
あなたが嫌われるというデメリットばかりあるのですから、
「言っても仕方がないこと」は言わない。
あなたが効果的に相手の行動を機嫌よく修正できるなら口を出しましょう。
「相手を不機嫌にさせる」ならどうでもよい領域なのかもしれません。

それから、自分で自分の身を守りたいという人間の本能がキモですから
「相手が自分で考えてやっている行動」は
できるだけ口を出さないということが基本です。
口を出すならよくよく出し方を考えましょう。

子どもに自分の部屋を与えたら
病気になりそうにならない限り片づけを我慢するとか
嫌がられないように片付けるとかということなのかもしれません。

「相手のプロパーのこと」はどうでもよい領域でしょう。
化粧とかファッションとかですね。
金がかかりすぎるというのはプロパーではないかもしれませんが。

<どうでもよい領域をどう増やしていくか>

模擬試合みたいなことで使えるのは
SNSです。
私たちみたいなつい口を出してしまう事例に不足はないようです。
特に男性は多くいます。

何でもかんでも否定的なコメントをするという人は、
フェイスブックでよく見られます。
他人の立てたスレに、
言わなくてもよいコメントをしてスレ主を不愉快にする人、

自分の問題意識が勝ちすぎて
論点がずれていることをかまわずにコメントしてしまう人などは
第三者から見ると(第三者も見るのです)、
罪のない人に言いがかりをつけてへこまそうとしている
としか見えません。

フェイスブックのあなたの友達が間違ったことを言っても、
日本や社会に影響が出るということはほとんどありません。
例え議論がかみ合っている場合であってさえ、
あなたが正義感を発揮させる理由なんてなにもないと
思えるコメントが見られることがけっこうあります。

もしかしたら、そういうコメントが
リアルな人間関係で
あなたが大切にした人にしていることの客観的な姿かもしれません。

そういうSNSをこのブログに書いたような観点から見て
ああ、これがどうでもよいことに口を出しているのだなと
勉強することもできますし、

思い込みや、間違いだらけの記事に対して
突っ込みを入れたくなるのを抑えるという
実践的な訓練もすることができます。

SNSは、他人のどうでも良いことばかりなので、
一切他人の記事にコメントをする必要はないのです。
そうしてどうでもよいことに対して
賛成できる部分に賛成したり、
近況を気遣ったりするという技を身に着けることができるかもしれません。

そうして、余計な口を出すということは
何かしら、自分自身を守っている場合なんだなということが
うっすら分かるようになれば、
自分の大切な人を大切にする方法が分かってくるし、
それが自分を守る最適な方法なんだということが
見えてくることと思っています。

自戒を込めて。

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