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連れ去り事案で、わが子の所在を探す行為にストーカー規制法の適用を示唆することは問題があることとその理由について [刑事事件]



表題は長ったらしく書けなかったので改めて書くと
「婚姻中の一方が子どもを連れて家から去り所在が分からないために、他方が我が子の所在を探す行為に対して、ストーカー警告を示唆して警察がやめさせる行為は法律上の問題があると思うこととその理由」
というものです。

注意:これは私の見解を述べるものであって、
法律上一般的にこのように扱われている
ということではありません。

<場面設定>

・子どもがいる夫婦の事案
・離婚はしていない
・一方配偶者から他方配偶者に対する暴力のない事例
・一方配偶者が共同住所地から子どもを連れて家を出ていった
・家を出ることの事前予告がなかった
・現在の所在がはっきりしない
(子どもは学校や幼稚園に行っていない)
まあ、つまり典型的な子連れ別居というわけですね。

こういう場合、残された配偶者は
何が起こったのかさえ分からない状態です(一番目の混乱)。
家族が事件に巻き込まれたのではないかと考えます。
子どもの安否が知りたくて別居親の実家や職場などに
連絡を取るわけですが、
私は、これは人として当たり前の行為だと思います。
我が子が無事で元気にいることを確認したいということも
親として当然の要求だと思います。
違うという人はいるのでしょうか。

<警察の関与例>

最近は一応残された親からも事情を聴くため呼び出すようです。
でも実質は、事情なんてろくに聞かないで、
身体的暴力のないことが確認できた事案であっても
「子どもは無事だ」
「居場所は言えない」
「探してはならない。」
「探したら、ストーカー規制法で警告を出すかもしれない」
と言われるようです。

ストーカー規制法の警告を出すと警察から言われたら
ふつうは自分が逮捕されると思うわけで、
心理的に探すことができなくなります。

(しかし、こういうことを警察が言うということは
「心当たりがありそうな場所に配偶者と子どもがいて、
探そうと思えば探すことができるから
そこを探してはならない」と言っているようなもので、
実際に別居配偶者の実家にいることが多いです。)

残された配偶者(通常警察関与の場合は父親であるので以下父親と言います)
父親は混乱するわけです。
なんで自分側がこの心配をして探そうとするのを
警察から禁じられるのか
どうして自分がストーカー犯人扱いされるのか
どうして妻子はいなくなり、今どこにいるのか
子どもは、学校はどうなるのか
一度に色々なことが頭の中を駆け巡り、
うつ状態になる人が多くいます。
実際に精神科医を紹介しなくてはならないケースも少なくありません。
(2番目の混乱)

さて、そのストーカー警告というのを見ていきましょう。

<ストーカー行為等の規制等に関する法律>

問題になるのは、まず、ストーカーに該当するのかということです。

ハードルは、
1 目的が、「特定の者に対する恋愛感情その他の行為の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」があったと言えるか。(2条本文)
2 つきまとい行為(①相手の住居等に押し掛け、又は住居などの付近をみだりにうろつく、③面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること、④著しく粗野又は乱暴な言動をすること、⑤拒まれたにもかかわらず電話やメールをすること)という2条各号の付きまとい等と言えるか

3 この二つに該当して相手方に身体の安全、住居などの平穏、もしくは名誉侵害、行動の自由が著しく害させる不安を抱かせること
という1,2,3が揃えば、法律で禁止された行為ということになります。

4  そして相手方が警告を求める上の申し出をして
①3の行為が実際あり、
②今後も反復して行う恐れがあると認める時は、
③警察署長名等で警告を出すことができる 4条1項
となり、
④相手方の申し出でによって公安委員会が「禁止命令」をすることできるとなり、5条1項

5罰則
ストーカー行為をしたものは1年以下の懲役または100万円以下の罰金 18条
「禁止命令」があるにもかかわらず禁止行為をした場合は、2年以下の懲役または200万円の罰金ということになります。 19条


本来付きまとい行為が実際にあった時(4の①)に
警告が出されるという法律ということが本来なのです。
ここはポイントです。

直感的におかしいと思うのです。
暴力のない事案ですよ。
心配して実のわが子を探して歩くことに対して
どうしてストーカー呼ばわりされなければならないのでしょうか。
それを警察とはいえ、他人から言われなければならないのでしょう。

その疑問は、実はいわゆるDV法との関連で益々膨れ上がるのです。

<配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律 DV法>

DV法でも禁止命令みたいなのがあります。
「保護命令」というのがあり(10条)、その中でも
接近禁止命令というものは、
ストーカー規制法の公安委員会の禁止命令と似ています。

そのハードルは実はDV法の方が高いのです。
つまり、
第1に裁判所が決定を下す。
訴訟法上の証拠に基づいて裁判官が事実認定をするということです。
これに対してストーカー規制法は、警察ないし公安委員会が認定し
訴訟法上の制約は法定されていません。
第2に、
・実際に身体の暴力または生命に対する脅迫があったこと
・将来に向けて生命または身体に重大な恐れが大きいこと
この二つに該当しなければなりません。

先ず、警察や公安委員会ではなく裁判所が行うということで、
客観的な証拠が揃っていなければならないということ、
次にストーカー規制法は暴行や身体生命の危険までは必要ではないけれど、
DV法の保護命令は暴行または重大な脅迫があったこと
そして身体生命の「重大な危険」の恐れが「大きいこと」
というかなり高いハードルになっているという違いがあります。

ちなみに保護命令に違反した場合は
1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科されます。
ストーカー規制法の禁止命令違反の半分です。

さらにDV法では
警察が必要な措置をする場合には
身体的な暴力があった場合でなければならないと明示されています(8条)。

このように厳密なハードルを設定して
本来自由である行為の制限に慎重になっているというのが
DV法です。

特に警察の関与ができる場合について、法律は、
どうして身体的暴力があった場合に限定したのでしょうか。

これは警察庁の生活安全局長、長官官房長、刑事局長が
平成25年12月20日付で通達を出し
https://www.npa.go.jp/pdc/notification/seian/seiki/seianki20131220.pdf

その中で明らかにしています。

「精神的暴力や性的暴力は犯罪に該当しない行為を幅広く含むものであるため、警察がこれに実効ある措置をとることは困難であり、他方、警察による配偶者間の問題に対する過度の関与となり、その職務の範囲を超える恐れがあると考えられるためである。」
きわめてまっとうな常識的な説明です。

そして援助が相当でないときとして
暴力がない時、求める援助が規則で定めたものでないとき、
目的外使用
の3例を通知しているのです。

この通達自体は素直に頭に入るのですが、
夫婦間にストーカー規制法の適用が許されるとすると
違和感があるのです。
そのことについて説明します。

<ストーカー規制法とDV法の関係>

DV法は、夫婦等の場合、
警察が動けるのは身体的暴力があった場合なのです。
だから、身体的暴力がない場合は
夫婦の問題に警察が口を出すのは、
「過度の関与」であり、
「職務の範囲を超える」恐れがある
とまで言っているのです。

それにもかかわらず、
身体的暴力がないにもかかわらず、
子どもの安否確認のための行為をしようとすることに
ストーカー警告をちらつかせて
警察官が私人の私的行為をやめさせる行為が
許されるということは整合しません。

DV法及び通達に反する行為ということになります。
DV法とその通達で許されないとした警察の行為が
ストーカー規制法の適用で許されるならば
DV法とその通達で禁止したことが無意味になってしまいます。

少なくとも身体的暴力がない限り
(犯罪を構成する行為もない場合)
警察は夫婦の問題に介入してはならないはずです。
(その夫の行為が道徳的に許されるかという問題と
 法律の対象となるかについては別問題です。)

設定した場面(実際にあった事例)は
身体的暴力がない事例ですし、
ストーカー警告は、DV法の規定した援助方法でもありません。

そうすると今度は逆の疑問がわいてきます。
たまたま夫婦であることでストーカー被害の保護を受けられないのも
不合理ではないかというものです。

私は、これらの矛盾を解決するためには、
本来ストーカー規制法は
夫婦や内縁者ではない場合を規制した法律だと
割り切る必要があると思います。

即ちDV法は家庭の中の話ですが
ストーカー規制法は家庭の中の話ではないので、
警察権力が介入する余地が大きいということならば
整合するように思えるのです。

夫婦は両性の合意で成立しますから
たまたま夫婦だったということはありません。

このように二つの法律がある場合
矛盾しないように解釈しなければならないのは
法解釈の鉄則です。

だから、原則として
DV法の適用のある場面では
ストーカー規制法の適用の場面はないか
極めて限定されていると解釈しなければならないのです。

DV法があるためその関係で
ストーカー規制法の保護が及ばない領域が生まれるのです。
それは「法は家庭に入らない」という原則からも
導かれるものであろうと思います。

ストーカー規制法21条も
法律の濫用による行動の自由を不当に制限しないようにと
わざわざ一条を設けて規定しているのもうなずけます。

<設定場面の警察の解釈の何が問題だったのか>

設定場面の警察の問題がいくつか見えてきたと思います。

先ず、実際のストーカー行為がないにもかかわらず、
ストーカー警告を示唆したのは
ストーカー規制法の規定を誤解させて
不当に私人の私的行為を警察が制限する行為なので、
ストーカー規制法の運用上も問題があると思います。

このように法律の規定を誤解させるような法の教示は、
行政官たる警察官が行ってはならず、
法の目的外執行をしている可能性があるということです。

次に、いなくなった子どもを探す行為が
付きまとい等に該当する可能性があるとしたのも
なすべきではない法の解釈をしたということになると思います。

父親は親権者です。
親権者が扶養義務のある我が子の安否を確認することは
法律上も義務の内容にあるはずです。

まずもって、「特定の者に対する恋愛感情その他の行為の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」
という評価をしてはならないのです。

そうすると子どもを言い訳に押し掛けた場合はどうするのだということになりますが、
暴力もその他犯罪行為もない場合は、
それを国家権力によって妨害することはできない
これが法律の原則です・
子どもがいる以上仕方がないということになります。
暴力がある場合は、DV法の保護命令で対処する
これが国家意思です。

次に、この場合は、住居に安否を確認に行くということは合法となりますし、
面会は、義務無き行為を強要したということにならなないはずです。

電話やメールで安否確認をしようとすることは当たり前で
これを権力で妨害することはできないということです。
私はこの解釈が、常識的だと思います。

設定場面での警察官の行動は、
DV法がある以上は、
職務の範囲を超えた法律となる可能性が高いと
考える次第です。

このような実態はいろいろな方法で報告されていると思います。

今必要なことは
人権感覚のある国会議員が
国会質問で
警察の権限の範囲を明らかにすることだと思います。

人権感覚のある国会議員は、

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