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自己肯定感なんていらない。それは社会の問題を個人に責任を押し付ける専門用語。ではどうするか。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



これまで私も
「自己肯定感」というものが大切なのではないかと
無条件に考えてしまっていたところがあったかもしれません。

自己肯定感や自尊感情がないとどうなるかということで、
言われているのは、

社会で成功しないとか
喫煙、飲酒、未成年の未婚の母等も自尊感情が低いことが原因だとか
学校の成績が上がらないという身近なことや
離婚、犯罪、自死の原因になるのだ

といわれれば、
自分や我が子の自己肯定感が低いのは大変だ
「自己肯定感を高めなければならない」と
心配になってしまいます。
若者自身の中に「自分は自己肯定感が低い」
と悩む人も多いそうです。

学校教育や国の若者政策においても
自己肯定感を高めるための政策というものが
莫大な予算を投じて行われているようです。

でも
自己肯定感とか自尊感情とは何でしょう。
自己肯定感を高めるということはどういうことでしょうか。

自尊感情や自己肯定感という言葉の意味は
必ずしも定まってはいないようです。
人によって内容が違うのです。

自分を好きだと思う感情をいう人もいますし
自分の現状をありのままを承認することという人もいます。
自分を大切に思う気持だという人もいます。
自分のすべてに満足する気持ちなんて言うのもありました。

でも
自分のすべてに満足する人なんていないと思います。

自分が自分を好きだというのもよくわからない。
「私は自分が好きだなあ」と思っている人っているのでしょうか。

また、自分の現状をありのまま承認するというけれど
自分の現状を把握することはとても難しいことです。
そんな高い認識力を持たなければならないなら
ほとんどの人は自己肯定感がないということになると思います。
無くてもどうでもよいということになりますね。

自分を大切に思う気持ということはあった方がよいですが、
それは具体的にはどういうことということの
説明はあまりないように思われます。

おそらくそれらの定義は
ネガティブリストを裏返しにしたものなのでしょう。
つまり自己否定感や
自己肯定感が低い時の心の状態を並べ上げて
そうではないと言えることを
総論的に述べたというような気がします。

ちなみに自己肯定感が低い場合の例が
挙げられているサイトがありました。

自分に自信がなく不安になりがち
自分で決められず人の意見に流されやすい
他人の評価を気にしすぎる、何かあると落ち込みやすい
将来に対する希望をもてない、意欲を持てない。
どうせ何をやってもうまくゆかないと思う
自分なんて価値がないと思う。物事をすぐにあきらめて投げ出す。
怒りっぽい、他人に干渉しがち
他人を否定することが多い

こんな感じでしょうか。

全部、正常な人間だと思いますけれどね、私は。
これらの悩みのない、あるいは少ない人間は
私はあまり付き合いたくないですね。

ところで、どうやって自己肯定感を高めるかというと

考え方を変える
親の対応で、褒め育てる
何か他人の役に立つことをして評価される
何か他人から評価される体験をする。
こんな感じなんですよ、本当に。

後は高額な費用のセミナーだとか
カウンセリングを受けるということが一般的でしょうか。

どうして自分が好きだなんて言う変わり者になるために
高額の費用を払わなければならないのか
そう考えるとおかしな話です。

そもそも自己肯定感って
その人の属性みたいなものなのでしょうか
いわゆる自己肯定感が高い人、低い人みたいな。
放っておけば変わらないものなのでしょうか。

そうではなくて
もしかしたら、その時のその人の置かれている状況が
心みたいな形で反映しているだけなのではないでしょうか。

自己肯定感が低いとか
ネガティブリストの心持になるのは、
自分の置かれている環境に原因があるのですよね。

受験競争を一つとっても、
他者より成績が悪ければ、
他者より偏差値の低い学校に行かなければならないし
学校によって、就職の条件が違う
そして、下手なところに就職すると
社会保険がないとか、長期の就業が保証されないとか
甚だしいのはブラック企業だったり、過労死したり
ということにつながるわけです。
「自分は大丈夫だろうか」と問い続けていたら
ネガティブリストの心持に、それはなるでしょう。

昔は成績が悪いことは格好悪いみたいなものですんでいたのが
一生を極端に左右するということになれば
それはネガティブリストの心持になることは
当たり前のように思われます。
むしろそれが正常な反応ではないでしょうか。

結構子どもは早い時期から敏感で
小学校の4,5年生になると
苦労しているご家庭では「正社員になりたいね」なんて
学校の昼休みに話しているのです。

子ども本人が厳しい社会に気が付かない場合でも、
親はそうはいきませんから
自分の子どもの弱点などにピリピリしていますし、
よそのお子さんを親がライバル視している場合もあります。
親の自分に対する対応を見て
さらにネガティブリストの心持になるのは
簡単に想像できると思います。

自己肯定感や自尊心とモチベーションの研究は
自己肯定感の役割を否定しているものもあります。

成績が良い時に自己肯定感が高まるけれど
だからと言ってその後も成績が上がり続けるかというとそうではなく、
成績が落ちれば自己肯定感も低下するだけだ
という結果があります。

それから自己肯定感が高くても
飲酒、喫煙、未成年の未婚母は出現する
という結果も出ています。

自己肯定感や自尊感情が大切だ、高めなければならない
なんていう考えは眉唾かもしれないと
少し構えてかかる必要がありそうです。

自己肯定感の高低は、結果に過ぎないのではないでしょうか。
その時にその人を取り巻く状況がその人を追い込んでいる状況だとか、
その人が何かに悩んでいる状態、何らかの事情で生きづらい状態
こういう状態に対する心の反応を
「自己肯定感が低い」と表現しているだけではないかと思うのです。

「置かれている環境の状態を反映した心のありよう」ということならば、
その人が置かれている環境を改善しないのに
結果としての心のありようだけを修正することは
無理があり、不健全だと考えています。
心の機能をマヒさせるだけではないかという心配があるのです。

誰しもネガティブリストの心持になるような環境を作っておきながら
その結果人間として当然の反応をする者たちに対して
自己肯定感が低いとか、自尊感情が足りないと
その人間個人に責任があるかのように
すり替えているだけなのではないかという疑問がわいてきました。

もちろん、そのような社会がすぐに変わっていくわけではありません。
特に子どもたちは、大人が作った社会で生き抜かなければなりません。
そうやって、社会を動かないものだと考えて
柔軟性のある個人の感じ方を制御して
社会を生き抜くということが実務的な考え方だと言えるようにも思います。

しかし、その副作用を心配する必要はないのでしょうか。

心や感情が現在の環境を反映しているとしたら、
それは生きるための反応だということです。

体の痛みは、痛みを感じる部分に傷害があるから
休ませて、手当をして、使わないようにして
回復させることを、意識に伝える役割があります。

心の痛みも、
本来痛みを感じることによって
自分をその環境から離脱させたり
環境に働きかける(自分の行動を修正する)等の
対人関係という環境を改善する役割があるはずです。

環境をそのままにして
意識だけ変容させるということは
この心のメカニズムを変容させてしまうことです。

当然に感じるべき苦しいという感覚を麻痺させることによって
本来撤退するべき事態から撤退せずに
心身を消耗させていったり、
苦しみを感じにくくして
他者に共感する能力を摩耗させている可能性はないのでしょうか。

例えば、「そんなことで悩むなんて負け犬だ」と言うとか。

人間性が摩耗していき、
心がすさむということはないのでしょうか。

もちろん自己肯定感を高めようとしている人たちが
このような結果を意図しているわけではありません。
「それは自己肯定感があるとは言わない。」
とおっしゃることは承知しています。
しかし、結果としてそういうことになるのではないかということです。

また、根本原因が変わらないならば
一時的に自己肯定感が高まるけれど、
やがてすぐに元のネガティブリストに戻るのではないか
という懸念もあります。

もっと副作用がなく、
それでも現実の社会を前提として
ネガティブリストから脱却する方法があるなら
それを考えてみるべきだというのが私の主張です。

ではどうするか。

色々ある自己肯定感の定義の中で
「自分のありのままの状態を認識し否定しない。」
ということがあったと思います。

しかし、その人のありのままの状態を否定しないで受け入れるのは、
本人ではなく、その人の属する人間関係や
社会なのではないでしょうか。

人間関係の中で自分の欠点や失敗も受け入れられていれば
その結果を反映する心持としては
ネガティブリストの心持にならないと思うのです。

自分を取り巻く人間関係が
自分の現状を否定的に評価するからこそ、
ネガティブリストの心持になるのではないでしょうか。

しかし、あちこちの人間関係のすべてが
その人のありのままを受容する人間関係に
そう簡単に転換することはないでしょう。

私自身、
現実の人間関係の中で
仲間だと信じていた人の裏切りや、
理不尽な扱いを受けて思い悩むことが途切れません。
積極的に攻撃してくるひと
仲間だと思っていた人が攻撃者に協力しているのを知ったとか
そのくせ、自分たちは正しいと主張する集団。
理不尽なことから自分を守りながら
生きていかなければならない社会なのかもしれません。

今考えていることは、
その人の「心の拠りどころとなる人間関係」を
一つ作ることだと思います。
自分がその中に好きなだけいられる人間関係です。
何があっても追い出されない人間関係です。

自分が失敗しても、不十分なことがあっても
期待外れみたいなことがあっても
責めない、笑わない、批判しないで
ありのままを受け入れる人間関係です。

子どもだって、自分で考えてした行動ならば
親はあまり口出しをしないようにする。
メリットデメリットを提示するなどの
助言をすることは良いとして
子どもが、自分で考えてすることを
邪魔をしないということですね。

どうでもよいとはいえないとして口を出すのは
必要最小限にする。

そういう人間関係の中にいることができれば
その他の人間関係でどんな嫌なことがあっても
逃げ場にもなるし、
他の人間関係から追放されることも
それほど深いダメージを受けなくて済みます。
大切な人間関係のために頑張ろうという気も起きます。

帰属に不安のない人間関係を作ると、
本来の自分の能力が発揮されやすくなります。

逆にどこに行っても自分が受け入れられないという不安を抱えていると
不安にばかり意識が向いてしまって
何をやるにしても集中ができないのです。

パワハラが多い職場は
パワハラを受けたくないということに意識が集中するために
ケアレスミスが多くなるわけです。

こういう人間関係が本来は家族であることが一番なのでしょう。
それも現在はいろいろな事情があって
なかなかうまくゆきません。
それだけに家族を壊す方向での働きかけは
とても罪深いと思います。

さて、それでは家族でも友人関係でも
どうやってそういう人間関係を作ればよいのか
ということなのですが、
100パーセントを目指さなければ
案外簡単なものです。

自分が一番大切な人間関係に
まず自分から、
どうでもよい所を増やして干渉を最低限にする
失敗や不十分点を責めない、笑わない、批判しない
ここだけは合理性とか正義とかそういうことを抜きにする。
そういう習慣を作るということですね。

他人を変える唯一の方法は
自分が変わってみせるしかないのです。
お手本を示すという表現が人間関係において
しっくりくることでしょう。
とにかく相手の反応を気にせずに
仲間をひたすら大切にするということです。

もちろん嫌な顔もしないということです。

そういう受容の態度を
10回のうち3回成功させれば
仲間はあなたの変化に気が付くでしょう。
あなたの努力の方向に気が付くでしょう。

あとは受容の競争になるはずです。

でも
それほど、それほど劇的な人間関係の変化ではないですよ。
おそらく少しずつ、居心地がよくなる
ということだと思います。

それでもこれは副作用もないはずです。
なぜならばこうやって、人間が
数百万年前から群れを作ってきた方法だからです。
人間の本能を利用する方法というわけです。


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