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米国の配偶者虐待研究が、日本に「DV」として輸入されるにあたってどのようにゆがめられたのか The Battered Woman 2 各論の1 [家事]

1 理念

本書では、「女性対して暴力をふるう社会の姿勢を変えることは、新しい平等な社会秩序を作る基礎となるだろう。」ということから始まっている(27)。そして、その問題として男女間の賃金格差、就業構造の格差についても言及がなされている(30)。女性は自由意思で虐待環境にとどまっているのではないということも述べられている。これらの意見を文字だけで見れば大賛成である。
 しかし、筆者(レノア・ウォーカー)が、家庭内虐待を社会問題にしようと提案する理由は、アンケートの結果28%が暴力や暴力的対応を受けたことがあるという数の問題である(51)。社会的背景と言えば、男性が女性を暴力で教育する権利が認められてきたことと、伝統的な家族主義ということ以上の分析はない。これは男性側の分析をほとんどしていないからである。
 これは日本の政策、日本のリーダーたちの主張と重なる。その背景に社会構造や労使関係は、所与のものとして不動の前提とされている。ナンシー・フレイザーがフェミニズムがグローバル企業の召使に堕したと批判するポイントがここにある。
 筆者は、最後に、「家庭は外の世界から我々を守ってくれる避難所であり、休憩所であってほしいという期待は明らかに間違っている。今日の世界では、家庭はその役割をはたしていない。」(222)と述べている。
そのくせ、末尾では人間観の協調に価値をおくフェミニスト的な見方が普及しなければならない(227)とも述べている。
 筆者は、男性全体を否定的に見たと述べているが(11)、例外がある。それは自分の父と夫である(扉)。だから、「自分の家族以外の」男性全体が暴力的であると言っているのが本当である。
 ところが日本のリーダーたちは、この部分を削って、男性全体はと人間を類型的に見てかつ否定評価をするという言動をおこなっている。筆者の推定でも半分は暴力を振るわない。ふるったとしてもはずみのような暴力も含まれるのである。筆者の表現は、文字通りの意味ではなく、社会に対して警鐘をならしたものであれば、説得力をもって受け止められる。しかし、日本では、これを真に受けて政策がすすめられているように感じる。
 とあるリーダーが、新聞で、家族分離の方向で長年努力してきた。共同親権制度となったらこの努力が水の泡になるということを述べていた。当初何を言っているのかよくわからなかった。しかし、この本の特定部分の文言の文字面(もじづら)を真に受けていたということであれば、とても理解しやすい。家族制度を崩壊させようとしていたという意味で間違いないようだ。
なお、筆者は、大家族が崩壊し孤立化していることで虐待が起こると主張している(51など)。これには、私の立場からは大賛成である。ただ、伝統的な家族主義が虐待の背景だとしている点とどのように整合するかについては説明が必要だろう。この点、つまりDVと大家族の崩壊の関連を指摘した大学教授もいる。その文章を読んだときはどこから唐突にこのような話が出たのか理解できなかったが、この本の影響を受けていたということであれば、理解は容易である。かなり、日本の男女参画政策のリーダーたちに、影響を与えている本であることに改めて驚いた。

2 虐待は治らないという神話の否定

筆者は、家庭内虐待について、様々な俗説があり、社会は間違った認識をしていると警鐘を鳴らしている。虐待される妻はマゾヒストであるとか、主として貧困層だけの問題だとか、虐待する男性はすべての人間関係で乱暴者だとか
そういうことが間違っていることは私も同感だ。
 「虐待は止めることができない」ということも神話として挙げている(40)。攻撃ではなく主張すること、威圧しないで話し合いができるようになることができれば、虐待を止めることができると筆者は述べている。ただその実現可能性については積極的ではない。しかし、虐待をやめられないということは神話に過ぎないと言っているのだ。
 この筆者の意見に賛成する。私は、虐待は虐待者の自己防衛から始まると考えている。虐待者は、自分の感情を言葉にできない事情があって、感情が高まりすぎて手が出てしまうということが一般的である。言葉にできない事情とは、リテラシーが足りないということよりも、説明することが男として恥ずかしいという事情が多いように思われる。この点について、虐待者の考え方と行動を修正すれば、虐待は起きない。
 また、筆者は、夫は妻を鞭で叩く権利があるという背景事情(自己の虐待を正当化する文化的背景)を指摘しながら、虐待者は、自分の行動が間違っていて公にすることができないようだと虐待者に罪悪感があることも指摘している。正当化する習慣と罪悪感の関係は、どこかで折り合いを付ける説明をしなければ矛盾となってしまうように感じる。ただ、負の自己評価があり、できるならばやめたいと思っていることはその通りである。
 ところが、現代日本の男女参画の行政行動は、筆者の指摘した重要な条件付けを一切捨象して、「DVは治らない。逃げるしかない。」と言い続けているのである。いったい誰のどういう理論に基づいてこういうことを言うのか説明を求めたい。この結果、抵抗する妻や何の責任のない子どもは、夫や父親から引き離なされてしまうのである。
 DVは治らないということは、ウォーカー博士の理論ではない。そもそも博士は、これは神話だと言って否定しているのである。

3 虐待夫の元からは逃げるしかない

これは、筆者も言明している(41)。但し、筆者は男性自体の虐待の背景について調査研究をしているわけではないので、本来的にはこのような結論を言う立場にはないはずだ。ところが、なぜ暴力をやめないかという仕組みについては、「男性が女性との対等の立場を受け入れないからだ」と鋭い指摘をしている。感想レベルの話としては、その通りだなと思う。権力を渡す、もっと実務的に言えば、「相手の裁量を承認する」という行為が虐待や暴力をやめさせる特効薬だと私も思っている。
真実虐待を受けている妻の場合は、とりあえず逃げることしか方法がないのかもしれない。問題は、真実は虐待とは言えない場合であり、妻の裁量を認めており、役割分担をしている夫婦にはこの理論が適用できないはずだということである。
 ところが、現代日本の男女参画政策では、虐待の有無、程度に関わらず「逃げるしかない」と嫌がる妻を説得するのである。興奮している妻があることないこと言っているのは当然のことである。それにもかかわらず、それを全部額面通り受け止め、子どもがいるのに夫から事情を聴くこともなく、逃げ場所を提供して居場所を隠す手伝いをしてしまう。筆者は、バタードウーマンの場合にのみ妥当する理論として提案している。しかし、現代日本の政策では、バタードウーマンの定義に該当する事案か否かの吟味をすることなく、一律「逃げろ、隠れろ」という働きかけをする。

*バタードウーマンの定義「男性によって、男性の要求に強制的に従うように、当人の人権を考慮することなく、繰り返し、肉体的・精神的な力を行使された女性」(9)


4 逃げなければ命の危険がある

現代日本の政策は、妻の言っていることの信ぴょう性はさておいて、DVは治らない。話し合いは無駄だ。DVはエスカレートしていき、あなたは殺されるかもしれない。」と妻を脅かす。
確かに、自殺に追い込まれて死亡する場合もあるかもしれない。これは否定できないだろう。PTSDや酷い解離状態になり、アルコール依存症が合併していると、自死なのか事故なのかわからない自己ネグレクトが起き、人が死んでいく。
 しかし、筆者が指摘する死の危険性は、妻側ではなく夫のことを指摘している。筆者の経験では、虐待によって死亡した妻はいないとのことである(43)。これは生きて相談に来た女性を対象としているのだから、ある意味当然だと思う。しかし、300人中、4人の女性が夫を殺害している。殺害のメカニズムとして、「常に恐怖を感じて暮らしていると、暴力や死の深刻さに無感覚になる」(58)との指摘は全く正しいと思う。
 レノア・ウォーカーが虐待で死んだ女性はいないという指摘はとても重い。ところが、現代日本の政策では、この事実は無視されている。(もちろん、死ななければ良いというものではなく、精神的な破綻による生活不能ということはありうるとは思っている。特に、本当に深刻な虐待が継続してあった場合の予後は大変悪い。しかし、精神科を受診していたとしても、家庭内虐待の話を医師に打ち明けない場合も多いようだ。病前性格について調査しない場合、家庭内虐待の事実を見落として、病名がパーソナリティー障害になることが多いように感じる。) ところが、現代日本の政策は、まったく暴力がない場合においても「逃げろ、隠れろ。殺される。」という指示を出しているようだ。最近は、自治体の相談室では、暴力がないことを確認した場合は、そのような指示は出さなくなった。何らかの暴力があったように誘導されるようだ。しかし、誘導にのらないと何らの支援もされなくなってしまうようだ。「逃げろ、隠れろ、殺される。」以外の支援のバリエーションが貧困だからであろう。

5 男性から事情を聴かない

 男性から事情を聴いていないということは、筆者は何度も繰り返している。それは立場の問題だからだろう。筆者は心理カウンセラーとして仕事をしているのであるから、そもそも相手方から事情を聴くということがレアケースであることは致し方ない。また、職業的限界から、虐待を受けた妻に対しても決定的な行動を起こすこともできない。その意味で、バランスが取れている。
 しかし、現代日本の行政は、例えば妻を逃がし、かくまうだけでなく、子どもも学校や幼稚園から引き離す。子どもや両親にとって、将来的に重大な影響を与えるような行為を行っている。弁解を許さずにこれらの行為をすることは憲法上の問題があると考えている。
 筆者が男性から事情を聴かないのは理解できるが、このような影響力を実行する行政機関が男性から事情を聴く必要がないということは本書には何も書いていない。

6 現代支援を受けている女性と虐待を受けた女性の違い

虐待を受けた女性の共通項は以下の通りだと紹介されている。
1)自己評価が低い。それそうだが、これは、虐待された事後的な性格である可能性が高い。
2)虐待関係の神話を全部信じている。神話とは21項目あるが、虐待を受ける女性はマゾヒストだとか、気が変だとかそういうものも含まれており、そういうことを信じているような女性は現代日本にはいないだろう。
3)伝統的な家族主義者。これもそれほど多い割合を占めるわけではない。
4)虐待者の行為について責任をとる。これはある程度当てはまる女性もいる。
5)恐怖と怒りは否定する。これもあまりないように思われる。暴力もハラスメントも何もない場合は、恐怖と怒りがないことは当然である。
その他が挙げられている(42)。
このほかにも虐待の共通項が挙げられている(76)。
ひどい虐待が始まるときは予測不能、過剰な嫉妬、虐待者の異常性欲、激しい虐待の詳細な記憶、銃やナイフ、拷問などの怖い話がある、死の意識というようにこれらは、現代日本の政策で保護されている女性の多くに全く当てはまらない。
虐待の詳細な記憶はほとんど存在しない。厳密な裁判官は、重大な出来事なのに記憶が曖昧であるため、証言の信用性を低く評価する。いかに誘導によってつじつまが合わない話が語られているかを強く物がっている。
弁護士などの中には、事実はどうなのかということをさておいても保護をしろと言う主張にしか聞こえない主張される方々も多い。

7 精神的虐待

 日本の配偶者支援においては、身体的暴力などの刑事事件に該当する場合にのみ支援ができる機関がある。警察である。警察が夫婦間に過度に介入することは不適切だと警察庁自体が判断しているし、法もそのように定めている。
 ところが、現在警察は、身体的暴力がなく、脅迫罪なども成立しない場合でも法や通達の定めた支援措置を行う場合があり、国家賠償訴訟が起こされている。
 「身体的暴力がない場合でもDVというのだ。」という言い訳を聞かされるが、DVの定義の問題がどうあれ、法や通達は守らなければならない。現場の警察官は通達を学ぶ前に、何らかの講習を受けているそうだ。
 筆者も、心理的圧迫や言葉による緊張の高まりの重要性を指摘しているが、背景として身体的暴力のある事案であることを重視している。この姿勢は正しい。身体的暴力のある場合と無い場合では、言葉による影響も全く意味が違ってくるからである。一度、身体的暴力を受けると、言葉の一つ一つが重い意味を持ってきて、心理的圧迫が強大になる。その時は暴力がないにもかかわらず、服従や迎合が起きてしまう。虐待を受けていた女性は、自分の迎合や服従行動と、過去の暴力との関係を意識できない場合も少なくない。意識には上らないが、意識下で記憶は過去の暴力と結びついているのである。本書の事例を一つ一つ読むと、その過程が理解できる。
 身体的暴力のない精神的DVと身体的暴力のある虐待は別物ともいえる。それだけ身体的暴力のある虐待は深刻な影響を与えるのである。身体的暴力がない場合も同じDVだという主張は、この点を理解していないのである。マニュアルだけの政策の弊害がここにあらわになる。国家が積極的に介入する場合、デメリットも出てくる。結局は、強制と強制のぶつかりあいになり、何も解決はしないと思う。法律や通達は守られなければならない。

まとめ

以上のとおり、レノア・ウォーカーの「バタードウーマン」は読むべき本である。復刻版を出版するべきであり、多くの実務家に読まれるべきである。家庭内暴力の現場の実感が文字で書いてある。筆者の言うとおり科学的ではないかもしれないが、優れて実務的である。実際に読んでみて良かったと思う。
しかし、その射程範囲を誤れば、大変恐ろしいこととなる。あたかも殺人罪には死刑があるが、それを暴行罪や脅迫罪に適用してしまうような問題が生じているのである。殺人罪も暴行、脅迫罪も、他人を攻撃する罪だとあまりにも大雑把にくくってしまうと、とにかく処罰すればよいという恐怖政治が生まれてしまう。アメリカの配偶者虐待の研究が、日本に輸入されDVという言葉でくくられることはそいうことなのかもしれないという恐ろしさを感じた。

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