SSブログ

せっかくの外出自粛なので、家庭を居心地よくしよう。人間が群れを作る意味と人生の得について考える。 [家事]


新型コロナということで外出自粛の雰囲気になってきており、
仕事も家で行うようになった人たちも多いようです。
これまで以上に、家の中に家族が集合する機会が多くなっています。

これまで、特に理由もわからないのに
家庭の中がギクシャクしているような感じがしていたけれど、
仕事に出かけたり、用事を作って一人で外出したり
あるいは飲んでくるなど、帰宅時間を遅らせたりして
なんとなく、問題解決を先送りしていた
という人も多いと思います。

せっかくの外出自粛であれば、
家族が一緒にいる時間をひと工夫して
これからの人生を楽しく、安らかにする
こういう発想の方が得することだと思います。

特に新型コロナという家族共通の敵がいるのですから、
新型コロナと闘うことによって
家族の中を円満にするチャンスとしかもはや考えられません。

1 心配すぎる人と心配の弱い人がいて強力なチームになれる

面白いことに、家庭の中でも新型コロナウィルスに対しての
心配の度合いが、個人によって全く違います。
特に心配しないで、マスクもしないで繁華街を歩く人、
マスクをすることは当然として、手袋をしたり、
口外の家の近所を歩くことさえ怖がる人

人によって、様々です。

これは、どうやら群を作る動物の習性のようです。
例えばハチであってもそうらしいのです。
外気温が高くなって、ハチの巣の中の温度が高くなのを防ぐため
ハチは、巣から出てきて飛びながら羽で巣の中に風を送ることで
巣の中の温度を下げるようです。

一度にたくさん下げすぎず、放っておいて温度が上がったままにならない
都合の良い仕組みがあるようです。
つまり、あれだけに多様な構造の体と、同じ遺伝子を持っているハチなのに、
温度が少しでも高くなるといち早く出てきてあおぎだす個体がいれば
よほど高くならないと出てこない尻の重い個体もいて、
温度が高くなるにしたがってあおぐハチの数が増えていく
このため、あおぐ部隊が適正な数に保たれるのだそうです。

私は、群を作る動物の個性の一側面がここにあるように思うのです。

つまり、個性というのは、
遺伝子や脳の仕組みという生まれつきものだけでできるのではなく、
あるいは育ち方によって決まるのでもなく
さらに、群の中の自分のポジションによっても決まるのではないか
ということです。
実際はそれらが複雑に絡み合って、人の行動が決まるのだと考えています。

だから、本当は怖がりなのだけど、
仲間が怖がっていると、仲間を助けたいという気持が強くなり、
平気な顔をして励まし役に回ったりするわけです。

みんなが平気そうにしていると逆に不安になったりして。

おんなじ行動ばかりする人の群れというのは案外弱いものです。
新型コロナに関して言えば
外に出て買い出しするくらいならば家にいて食べない方がよい
なんていう家族ばかりだと家族全体が栄養失調になったり、

運が悪くなければ感染しないし、感染しても死ななければ良い
なんて考えの人ばかりだと本当に感染してしまったりするかもしれません。
新型コロナに感染しなくても、
インフルエンザや食中毒という可能性もありますね。

心配しすぎな人ばかりだと、
新型コロナにかからなくてもメンタルやられてしまったり
ということもありうることかもしれません。

心配しなさすぎる人は心配する人のいうことを聞いて
少しは心配した方が良いのだろうし、
心配しすぎの人は、家族が平気にしている様子を見て
それほど心配する必要もないのかしらと
思うことができるわけです。

色々な人がいることが
群を強くするわけです。
群を作る動物の圧倒的多数は
色々な個性を中に取り込んで
今日まで生きながらえてきたわけです。

おそらく個性のない動物は
群を作っても、何かがあるとあっという間に滅んでしまったことでしょう。
個性は群れを作る条件だと考えているのはこういうわけです。

2 新型コロナは心配しすぎる原因がある。

新型コロナを心配しすぎることは原因があります。
どうしてこれだけ短期に、突如広まったかよくわからない。
対抗薬がない。
肺の病気になりやすく、全身疾患になりやすく死ぬ危険がある
古典的な理由としてはウイルスが目に見えないというのもあるでしょう。

どうやって予防して、どうやって治療するか
それがはっきりしなければ心配することも仕方がありません。

むやみやたらに心配する人は、
最悪のケースから想定する個性があるのだと思います。
安全策を取ろうとするというか。
悲観的傾向があるというか。
物事をごまかさないで真正面から受け止める
という言い方もできます。
つまりメリットデメリットがあるわけです。

3 心配しすぎる人にあわせる

従って、心配しなさすぎる人から見ると心配する人は
暗い発想、ネガティブな発想として映り
心配を聞いてるだけで気が滅入っているはずです。

しかし、心配しすぎる原因があるのですから
心配することだけを否定しても何も説得力がなく、
不安をあおってしまうことになるでしょう。

心配しなさすぎる人は、心配しすぎる人よりも
メンタルがやられていませんので、
後ろ向きの発言を聞いて嫌な気持ちになるくらいは
我慢するべきなのだと思います。
自分の代わりに心配してくれているくらいの気持ちになりましょう。

心配する人は、自分が感染することだけを心配しているのではなく
あなたを含めた家族が感染することを心配しているのです。
あなたのことも心配しているのです。
必ずしもあなたが感染すると自分も感染する
ということだけで心配しているわけではないようです。

だから、マスクをしろとか帽子をかぶれとか
手をこまめに洗えということについては
もう一つ部屋の喚起をすることについても
抵抗しないで実践しましょう。

心配だというのなら
3回に一回くらいは
「そうだね」、「そうかもしれないね」
と呪文を唱えて
否定だけはしないようにしましょう。

心配は、否定されると大きくなる
ということを肝に銘じるべきです。

4 心配しなさすぎる人に学ぶ

先ほど心配しすぎる原因があると言いましたが、
徐々にいろいろなことがわかってきました。
原因不明の感染というのもあるけれど
クラスターなどの発生場所を見ると
やはり
唾が顔にかかる場合が危険であるようです。
飲み屋であると
マスクをしないで話をする
テーブルが小さいし、部屋の中がうるさいという理由で
どうしても他人の顔の近くで話をする唾がかかりやすい
密集しているというか、
頻繁に客と客がすれ違うパブ形式の場合は
なおさら唾がかかりやすい
そして、炸裂音が多い外国語の場合は
余計に唾がかかりやすいという特徴があるようです。

距離をとれば、唾が顔などに直接かかるよりも
空気中に飛び散って生きているウイルスは密度(空気中の濃度)が低いから
自然免疫力で撃退できやすい
という事情があるようです。

心配しすぎる人は
自宅近くを歩くだけなのに怖がっているようですが、
怖がりの濃淡をつけるべきだと私は思います。

それはともかく
心配しなさすぎる人は
問題を正面から受け止めないという性質がある場合があります。
逆にウイルスが目に見えないから怖さを感じないとか
重症化するポイントがわからないから怖さも感じないとか
心配する原因と、心配しない原因が
全く一緒なのです。

これは大変興味深いことです。

心配しすぎると、心配をするあまり
対策をきちんと考えられないという事態に陥ることがあります。
思考が働かなくなってしまうからです。

心配するより対策をすることが正しいことは
頭ではわかるのですが、
むやみやたらに心配しているため
対策が立てようがありません。

時々、心配を中断する必要があります。
時々心配しなさすぎる人に会わせることも大切です。

5 心配を中断する

心配を中断して双方理性的に頭を使うということが大切です。
心配しすぎな人、心配しなさすぎる人
どちらもそのためには必要です。
自分と感じ方が違う人が家族だとすれば
それはあなたの家族が群れとして機能している状態です。

後は、どちらかの感情で家族を運営することを考えず、
双方の感情を尊重することで
家族はとてつもなく強くなります。

そのためにも、
一次心配を中断するという作業が必要となります。
これも東日本大震災の教訓です。

ただ、自分の心に心配をやめろといっても
心配は、自動的に起きていることなので止まりません。
こういう時は何か娯楽や趣味に打ち込んで
ひと時心配を中断する、つまり別のことで感情を使うということです。

例えば、
これまでためていた、DVDを観るというのはお勧めです。
外にすることもありませんからうってつけだと思います。
みんなでパソコンとかの前に座り、
トイレ休憩などを時折入れながらゆるくみる。
それでも映画とかなら、最後はそれなりに感動するので
一体感も生まれたりするでしょう。

あまり家事をしない方がコーヒーを入れてみたりということもよいでしょう。
簡単なことはテレビでを観ることかもしれません。

ドライブも、人の集まるところにはゆかず、
車の中から花を見て
人のいないところであれば、少し散歩をしてみても楽しいかもしれません。
大自然を満喫するチャンスかもしれません。
大自然と言ってもその辺を流れている川でもよいわけです。

大切なことは、せっかく
心配しすぎの人にあわせようとしたり
心配しなさすぎの人に見習おうとしているのだから、
必要以上に、相手の状態に気遣うということです。

トイレに行きたくなっているのではないか
寒いのでは、暑いのでは、
カーブを曲がりすぎて気持ち悪いというなら
できる限りスピードを落とすとか、駐停車するとか
相手の状態を気遣う行為をする
ということを多少あからさまにやる
ということをお勧めします。
誰も損しません。

家族の一人の状態が悪ければみんなでフォローをする工夫をする。
感謝されることがとても心地よい体験をする
せっかく、急がないでのんびりするチャンスです。
心に余裕が生まれる絶好のチャンスです。

家族の状態を向上させるチャンスだと私は思います。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。