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自殺の落差理論仮説 自死リスクとは何か 1 [自死(自殺)・不明死、葛藤]



1 自殺の落差理論の概要
「自殺の落差理論」とは、自殺は経済状態が苦しいとか、生活が苦しいという、状態の継続によって自死リスクが高まる以上に、これまでの人間関係が維持できなくなるという動きの中でよりリスクが高まっていくという理論である。
人間は、現在その者が置かれている人間関係を維持しようという本能がある。現在の人間関係にとどまることができなくなることは人間にとって極めて深刻な効果をもたらす。日本語でも、「顔がつぶれる」、「立場がなくなる」など、人間にとって打撃のある事態を人間関係の喪失の形で表現する言葉が多い。これは、言葉というものが長い時間をかけて人間の本質を言い当てた結果という性質を持つからだと思われる。
この場合、必ずしも人間関係の所属自体を失うという意味にとどまらない。同じ人間関係の中での自分の評価が地に落ちるような場合も含まれる。形式的な所属ではなく、人間関係の中の自分のポジションということがわかりやすいかもしれない。
2 自殺の落差理論で説明が可能な現象
例えば、家族の中で収入を得て養う立場の男性が、失業して収入を家庭に入れられなくなったというような場合。政治家が失態を犯してしまい、国民の支持を失う場合。自分の失敗で、会社に大きな損失を与えてしまったなど。
この自殺の落差理論は、さまざまな事象をうまく説明できる。
例えば、つい最近、日本は自殺者数が3万人を超えていたが徐々に減少してきた。生活しやすい環境になったのかという問題がある。これに対して自殺の落差理論はこれに否定的に考える。即ち、自殺者数が3万人を超え始めたのは平成10年である。それまでのバブル時代が崩壊し、証券会社などが倒産し、消費税も増税された。バブル時代やその残遺効果があった時代から、様相が一変した時代ということになる。つまり生活状況の落差があったので自死リスクが高まったという説明である。その後は、周囲も同様な生活苦が生まれたのと、生活苦に順応したという事情から自死者数が減少したと説明することが可能である。即ち自死者数は、生活状況を必ずしも絶対的に反映したものではないということである。
また、弁護士業務の中で自死者が多い類型は、多重債務、家族問題、そして刑事事件の被疑者、被告人である。刑事事件の被疑者被告人は、これまで社会の中で人間関係を形成してきたが、刑事事件で逮捕され、犯罪者とされたことから、これまでの人間関係が維持できなくなる。犯罪者として周囲から相手にされなくなるなどの変化が生じたことをとらえて自死リスクが高くなると説明することができる。
多重債務についても、危険なのは返済が苦しいこともあるが、どちらかというと破産者などの評価が下されることによって、社会的な立場が失われてしまうという人間関係維持の観点からの最高性が必要であろうと思われる。弁護士など債務処理をするものは、このような自死リスクに配慮して、今後に希望をつなぐ形での処理を心掛ける必要があるということになる。
3 自殺の落差理論を実践する際の注意点
どちらかというと、年配の者はこれまで自分の努力で気づいた人間関係の中のポジションが失われると認識する場合が自死リスクが高くなる。これに対して若者は、将来に向かって自分が描いた人間関係を築くことができないという形で自死リスクが高まる。この点を見落とすと、若者の自死予防は奏功しないだろう。
今の人間関係にとどまりたいという要求は、その人にとってふさわしくない人間関係が形成されている場合も発動してしまう。あまり能力も適性もないのに、注目されて、祭り上げられてしまったに立場であっても、ひとたび肯定的に迎え入れられると無理をしてでもその人間関係のそのポジションにとどまろうとしてしまう。無理な立場を維持しようとすること自体で、既に自死リスクが生まれ始めている。偶然試験に受かって、学校なり職業なりについて、周囲は大喜びしてくれたが、実際は周りについていけなくなって負担感ばかりが生まれている場合などが典型である。
侮辱や不公正な評価、攻撃ばかりを受ける人間関係も同様である。この場合、状態の継続であって動きがあるわけではない。しかし、このような尊重されない人間関係は、恒常的にその人間関係からの放擲を予知させる。動きは、実際に起きるよりも、動きを予感させることが精神状態に深刻な打撃を与える。結果が表れてしまえば、案外楽になる。ところが、自分が解雇されそうだ、仲間外れにされそうだ、犯罪者として非難されそうだ、離婚されそうだという予知の方が、底の割れない不気味さというか、想像の中で悲観的な結末が実際よりも大きなものとして想定されてしまうようだ。
良い意味でも悪い意味でも、その人にふさわしくない人間関係からは離脱することで精神的な負担は軽くなる。ただ離脱を進める場合も、離脱自体は、本人にとってかなり負担であり、打撃であることを理解しなくてはならない。どんなにひどい会社でも、どんなにひどいいじめがあっても、その人間関係から離脱するということはなかなか心理的抵抗があるものである。人間とはそういう行動傾向のある動物のようである。
自殺の落差理論だけで自殺のすべてを説明できるわけではない。隠された自死リスクを抉り出すための理論として考えていただければ幸いである。

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