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なぜ自死するくらいならば退職をしなかったのか 新入社員の場合、何が危険要素になり、どのように予防するのか [自死(自殺)・不明死、葛藤]

何件かの同種事案に接しております
私一人だけでも複数の案件に関与しているということですから、
新入社員という立場は
自死のリスクが高い時期だということが言えるのかもしれません。
今回は、損害賠償とか労災申請とかという業務を離れて、
純粋に従業員の自死を防ぐ、
特に新入社員の自死を防ぐという観点からの分析を行います。

いくつかのケースの共通要素を取り上げて
一つの事例を作り検討してゆきます。

<事例>
自死者は、23歳男性
一流大学を卒業し、第1希望ではなかったが、一流企業に入社した。
入社してそれ程たたない段階で、友人や家族との電話やメールで、
仕事がうまくいかず、思い悩んでいる様子が報告されていた。
何を悩んでいるのか、具体的な内容については記載されていない。
友人は、「そんなにつらいならば退職をした方が良い」というアドバイスを送っており、本人も退職することもあるという返信もしていた。
入社して数か月後自死。

<周囲の疑問>
どうして、死ぬくらいなら退職をしなかったのだろうか。
パワハラなどがあったのだろうか。何が彼を追い込んだのだろうか。
どうすれば自死を防ぐことができたのだろうか。

1 どうして死ぬくらいなら退職をしなかったのだろう。

1)うつ状態になった者の心理として

この点に関しては、仕事が原因でうつ病になったあるシステムエンジニア(SE)の貴重な体験がありますので、紹介します。
このSEは、中途採用でSEの派遣会社みたいなところに入社しました。ところが、上司と折り合いが悪く、上司は自分の能力に見合わない不利益な仕事しか回してきませんでした。つまり、お金にならない派遣先しか紹介しなかったのです。最初はこのSEは、会社に腹を立てて、言いたいことも言って、「いつでもこんな会社辞めてやる」という気持ちでいたそうです。そんなことが半年も続いたころ、このSEは精神的不調を自覚し、辛くてたまらないために精神科を受診しました。そうしたところうつ病であると診断され、原因は職場にあると言われ、結果的には退職しました。最初元気だったころ「いつでもこんな会社辞めてやる」と考えていたのに、うつ状態で精神的につらくなったころからは、「会社を辞める」という選択肢がいつの間にか意識の中で無くなっていたそうです。このまま苦しみ続けるしかないのではないかということを考えていたそうです。
このSEは、それでも意地とプライドが残っていたため、自死というアイデアはなかったと言います。しかし、思考は極端な悲観的な傾向を示し、二者択一的になっていて、問題の解決をしたいのだけどできないという意識があり、「問題を解決できない場合は苦しみが続く」ということばかり考えていたようです。もし、精神科医にうつ病だと診断されず、職場を退職するという選択肢を持てなかった場合は、この二者択一は「問題を解決するか、できない場合は苦しみ続け、この苦しみから逃れるためには死ぬしかない」という形に変わっていった危険性があると思います。

うつ病と呼ぶかなんと呼ぶか、精神疾患名はわかりませんが、うつ状態になり、悲観的になってしまうと、人間は、今いる人間関係を解消して孤立するという選択肢が薄れてゆき、やがて選択肢を失ってしまうことがあるのかもしれません。
冷静に第三者的に、「このまま勤務を続けてしまえばやがて自死するかもしれない。そうなるくらいならば退職をしよう。」という発想にはうつ状態になった場合はもてないと考えるべきなのだと思います。
事案では、心配した友人から退職のアドバイスがあったようです。ところが、本人は、口ではその選択肢があるとは言ったものの、実際にはその選択肢が自分の頭の中にはなかったということになるのでしょう。
別の観点からもこの問題を考えてみましょう

2)悩みの程度、悩みの原因はよくわからないことがむしろ多い。自分が死ぬなんて思っていない

私が、パワハラや自死の相談を受けるときは、パワハラや自死の相談をしたいという形での相談申し込みはほとんどありません。職場のことで悩んでいる。家族のことで悩んでいるということを言えることが精いっぱいであることが圧倒的多数です。中には別の相談をした後で、実は別のことでも悩んでいてと切り出され、かなり精神的なダメージを受けているいわば本命的な相談が始まることだってあります。
だから、事案の彼も、悩んで苦しいということは自覚があったから周囲に相談をしていたのだと思うのですが、それがうつ状態を引き落としているほど苦しいということや、自死の危険があるという自分の悩みの危険性までは自覚できていなかったということは大いに考えられます。不満を感じている程度の自覚だったのかもしれません。
自分が自死する可能性が高いと自覚していたら、退職という選択肢が現実の選択肢として浮上していたでしょう。しかし、そのような自死の危険性について自覚ができる人はとても少ないようです。
別の事例でリストカットをやりすぎて、それ自体で命をなくす危険がある人に対して、「このままリストカットを続けると別の手段で自死を試みる危険が高くなるから精神科に入院する必要があるよ」と言ったところ、その人は自分もこのままでは死んでしまうかもしれないと気が付いて、怖くなり、私の知り合いの精神科病棟を受信し入院し事なきを得たということがあります。自死の危険は、第三者から、その危険があることを指摘されなければなか自覚(意識)できないことなのかもしれません。

3)死のうとして死ぬわけではない

自死についての誤解が、「自死する人は死にたいから死ぬんだ」というものです。違いについての説明が難しいのですが、実際は、「死ぬしか生きる道はない。」と考えているという表現がリアルな心理状態のようです。
あくまでも本人の望みは問題の解消です。そのことを理解していただくためには次のことを理解していただく必要があります。私が事後的にかかわった何十人という自死をされた方々は、共通の特徴があるということです。それはまじめすぎることと責任感が強すぎるということです。
自分に与えられた課題は、自分が遂行しなければならないと考えてしまうのです。ほかの人がサボってやらないなら、自分が代わってでもそれも引き受けるという気質を持っています。ところが、様々な課題がありますから、本人ができない課題も当然あります。中にはできっこないのに課題として与えられてしまったような無理難題もあります。それでも本人は、生真面目さと責任感から課題をやり遂げようとします。
それでもできないと悲観的意識、二者択一的意識がでてくるようです。
「課題をやり遂げる。できないならばもっと時間をかけてやる。」
「課題をやり遂げる。時間をかけてもできないならば誰かにやり方を尋ねる。」
「課題をやり遂げる。誰からも適切なアドバイスを受けられないならばもっと頑張る。」
「課題をやり遂げる。何か方法を考えてこれまで以上に頑張る。」
「課題をやり遂げる。何も方法思いつかなければ自分の存在価値がない。」
「課題をやり遂げる。やり遂げられなければいつまでも苦しみ続ける。」
「課題をやり遂げる。やり遂げられなければずうっと死ぬまでこの苦しみが続く」
ここでいう課題、新人ができっこない課題としてあったのは、
新人にはできるはずのない経験とスキルが必要な仕事を遂行するとか
クレーマーからのクレームを手際よく処理するとか
パワハラから逃れるようにきちんと仕事をするということもはいります。

「ずうっと死ぬまで苦しみが続くのか」と感じるころは
かなり苦しみが持続している状態になっているようです。
しかし本人の意識は、課題をやり遂げるということなのです。苦しみから逃れたいという気持ちは人間が生きるために必要な気持ちです。本来は課題を解決して苦しみから逃れたいと思っているのですが、それができないために苦しんでいるわけです。それが続いてしまうと、何かの拍子に、自分が死んだら苦しみが終わるということが頭の中に浮かんでしまうと、明るい気持ち、温かい気持ちが起きてしまうのだそうです。そうすると、「自分が死ぬ」というアイデアから逃れられなくなるということが起きるようです。決して死にたいわけではありません。あくまでも課題をやり遂げたいのにできないから苦しいのですし、真面目過ぎて責任感がありすぎる人間にとって、課題をいつまでもやり遂げられないことは大変苦しいのです。私のように無責任な人間はできないことはできないと考えます。過大な課題を与える方が悪いと割り切ることができるので、課題ができないことはそれほど苦痛ではありません。他罰感情が生まれるため、怒りが自分に向かいません。また、死ぬことなんて怖くて考えつくこともないでしょう。しかし、真面目で責任感が強すぎる人は、死にたくなるほど課題をやりたいと思ってしまうものなのでしょう。驚くことに、やらなければならないことをできない自分は最低だと苦しみ悩むそうです。他罰感情ではなく、自罰感情が強く働くのかもしれません。(自罰感情も極限的な状況では絶望回避という自己防衛的な意味合いを持つことがあります。)もちろんこうなってしまうまでには、過剰なプレッシャーをかけられていたり、睡眠不足などで冷静な思考能力が奪われていたりするという事情もあることが考えられます。
本人は死にたいわけではない、あくまでも課題をやり遂げたいだけですから、自分が死ぬことになるなんて思っていないわけです。死ぬことに頭がいっぱいになるころには、そんな気持ちを打ち明けられなくなっています。打ち明けてしまえば、死ぬことを止められてしまう、そうしたら苦しみから逃れる最後の望みも絶たれてしまうということになります。また、死ぬことを考えているということで、自分が異様に感じられないか、自分がさらに孤立するのではないかと考えてしまいますので、打ち明けることをしたくなくなっているのです。死なないで済むという方法があることさえも考えられなくなっているということだと思います。
彼らにとっては、課題を遂行することから逃げようとする発想がないために、退職して課題を無しにするという選択肢ももてないのかもしれません。

2 若者の自死の特徴

若者の自死も、高齢者の自死も、将来に対して絶望することから起きるということでは共通でしょう。ただ、絶望の仕方は決定的に違うと思います。高齢者の絶望は、これまで自分が築いてきた自分の価値が壊れてしまい、これまでの努力に見合った将来が絶たれてしまったという過去から続く未来への絶望だと感じます。これと異なり若者の絶望は、どちらかというとこれからの将来に対して何も期待が持てなくなるという長く続くであろう将来に向けた絶望だと思います。若者なりに思い描いていた未来が不可能となり、何も良いことがあるとは感じられない未来が死ぬまで続くという絶望です。
このように思い悩んで、緊張が続いているならば、睡眠不足になることは当然です。睡眠不足は合理的な思考力を低下させますから、悲観的傾向、二者択一的傾向は加速していくわけです。

3 新入社員は自死リスクが高まる時期であること リスクを加速する先輩社員

先に上げた事案の本人の置かれた状態はどのような状態なのか想像してみましょう。本人は、一流大学を卒業し、一流企業に入社し、家族や友人たちからうらやましがられる立場だと思います。本人も周囲から祝福されていることを自覚しています。もちろん将来に対する不安もあるわけですが、どちらかというとこれまでの自分の実績という自信を持って会社での仕事に取り組もうとしていると思います。つまり、自分自身と周囲の自分自身に対する評価が高まっているという側面があるわけです。
ところが、会社の仕事はこれまでとは勝手が違います。また、自分のやったことがこれまでは自分が責任取ればよいことがほとんどだったでしょう。勉強をさぼって遊んでいれば、自分の成績が落ちるという具合です。ところが会社での行動は、すべて会社に効果が帰属してしまいます。自分がやったミスで、会社が損をすることや、取引先が迷惑を被るということもあるでしょう。かなりの緊張を伴うものです。他人に迷惑をかけることが嫌な人たちだからなおさらです。また、馴れないために、自分の行動のプラスもマイナスもその効果の程度もはっきりしません。すべてが手探りという状態です。
初めてのことは不安だらけです。これらのどこまでやればよいか、どこまで責任を感じればよいか、何に注意をすればよいかということは、初めから見に就いている人はいません。やりながら、自分や他人の失敗を見ながら体で覚えていくという側面は確かにあるでしょう。
このため、入社で一度高まった自分に対する評価は、現実の仕事を始めるときには自分でも著しく低下することがある上、上司や同僚から自分に対する評価に自信を持てなくなる時期であることが当然なのです。
こういう時にもかかわらずよく見られるのは、先輩による後輩の鼻柱を折るという行動です。ろくに仕事のことがわからない新入社員のくせに根拠のない自信をもっているわけです。いつも失敗ばかりしているこちらを馬鹿にしているように感じる先輩もいることでしょう。実際の仕事の困難さを思い知らされて、従順に仕事をさせようと考えているのかもしれません。また、そういう後輩いじめが綿々と受け継がれている職場もあるようです。そういう職場では、先輩は何も考えないで、自分が受けてきたいじめを後輩にも行うことが職場の流儀だと考えているような人たちもいます。
新入社員たちは、ただでさえ、馴れない仕事をしてなかなか仕事が進まないために自信を失いかけています。これまで築いてきた自分の実績に自信が持てなくなっています。その中でさももっともらしい先輩の「指導評価」が入ってしまうと、
一気に自分自身に対する評価が急降下してしまいます。
このような自分に対する評価の乱高下は、危険なまでに情緒不安定になってしまいます。
特に、当たり前のこと、馴れていないこと、知識がないことという、はっきりしている弱点を当たり前のことではなく、常識がないとか能力が無いという、その人の人格に絡めて批判されることが一番つらいことになります。思考が止まる危険があるのです。
だから、後輩いじめの典型は、
・一度教えたことは二度と教えない
・なんで一回教えたら覚えないんだ
・なんでも他人に聞いてやろうとするなよ
・このくらいのことができても誰も評価しないよ
・君この仕事向いていないんじゃないの、転職を考えたらどうだ
等のセリフです。これらのセリフは、他人に対して使う言葉ではありません。
そもそもその先輩だって新人の頃は同じようなものです。そうではないと思うならば忘れているだけです。あとは日々のルーティンの中で、自然と馴れていったために、それほど苦も無くできるようになっているだけです。仕事というのは繰り返し行うというところに特徴があるわけです。また、新人がやった仕事の評価も適正な評価をしているかどうか新人にはわかりませんので、評価しないと言われたら、それが全力でやったことでもそういうものかもしれないと思ってしまいます。
しかし、新入社員の自死の事例をベテラン社員と検証すると、いろいろな問題点が浮かび上がってきます。暴言をする先輩社員が新人の時もできたのに、その本人ができない場合は、多くは、その暴言先輩の最初のレクチャーがずさんであったり、必要な情報を提供していない場合が多いという事実です。自分の行動に問題があって、その結果として新人社員がうまく仕事ができないのに、その責任を新入社員に押し付けているという構図が明確になることが多いです。さらに、先輩社員が新入社員に対して適当な指示を乱発したために、前に言ったことと後で言ったことが矛盾していて、新入社員がどちらの指示に従ったらよいかわからない場合もあります。その責任を新入社員に押し付けているわけです。
新入社員の時期は、評価が乱高下する時期であり情緒不安定になりやすい時期です。誰からも間違った対応をされていなくても、大変危険な状態になっていると考えるべきです。この時期に先輩社員のわずかな悪意で、言った本人も想像がつかない大きな精神的ダメージを受けるということになります。

4 予防の観点から

鼻柱を折るなんてことは考えるべきではありません。無駄なしごきは絶対にやめさせるべきです。
必要な情報を提供することと矛盾した指示をしないことは鉄則です。
試行錯誤しておぼえさせるということも私は否定的です。必要な情報を提供して、手取り足取り解説しても、最初にそれをやることは戸惑うものです。それでも手取り足取り、まず仕事を完結させる体験をさせ、繰り返させていく中で、仕事に慣れ、応用が利くようになる仕事が多いと私は思います。疑似成功体験を積むことが成長をさせる近道であり、王道だと思います。そして疑似成功体験とはいえ、それができれば、「それでよい」という肯定評価をすることが大切です。そうして、理想形を反復して叩き込み、それがそれで良いということを体で覚えていくということなのです。これが記憶の仕組みからも正しいと思います。
それに反して手探りで一から始めると、どこまでが正しくて、どこからが間違っていたのかよくわかりません。それがわからないと結論が間違っていたとき、どれが間違いの原因かもわかりませんから、正しかった方法も記憶から排除される危険があります。逆に結果として正解だったとしても、どれが正解かわかりませんから間違ったことも肯定的に記憶する危険があります。さらには、無我夢中で取り組んで、偶然正解にたどり着いた場合は、何も教訓を得られない危険もあります。特に、鼻柱を折られて、緊張感が無駄に持続している場合は、思考力が低下し、二者択一的な考えに支配されますから、教訓を正しく身に着ける記憶力も低下しているわけです。記憶の仕組みからすれば、必要な情報をきっちり提示して、疑似成功体験を積み重ねさせ、どの点がそれで良いかを明確にして、記憶の土台をつくるべきだと思います。

さて、そのように対応を間違わない場合であっても、新入社員の時期、半年くらいは情緒不安定になることがあります。自死リスクも高まっている可能性はあるわけです。
若者の自死リスクについては、研究によって以下のような特徴があるということがわかってきています。
・自分の感情を抑えることができない
・攻撃的な感情を持っている
・自分や自分の持ち物に対する破壊行為をしてしまう
・その日、そのときによって感情が変わる。
・現状肯定で建設的な行動を見せても、リスクは無くなっていない。
・集中が続かなく、気が散りやすい
具体的には
話をしていて感情的になり、突然泣き出したり、怒り出したりしてしまう。
一緒に話をしているのに、突然、その場を去ってどこかに行ってしまう
聞くに堪えない悪感情を他人や自分に向ける
それにも関わらず、突如上司のいうことをはいはいと聞き出す
家に行ったら大事にしていたと思われる楽器やアルバム、記念品をぼろぼろになるくらい破壊していた。
理解できな行動が、1か月の間に何度か見られる。

これらの行動が見られたら、
一つ一つの出来事をそのまま放置するのではなく
良く事情を聴かなくてはならないようです。
それでも本人も自覚がないので、ビジネスライクに結論がすぐに聞き出せるわけではありません。また、安心できない相手には本当のところを話そうとしないでしょう。
大事なことは、奇怪な行動をしている本人に対して
まず心配すること、そしてその心配を伝えることだと思います。

一つ一つの行動をとがめるのではなく、心配するという態度を示すということが必要だと思います。
その背景として、新入社員の時期は、自己評価が乱高下するために、情緒が不安定になっているということを理解しなくてはなりません。

それはその人の特殊性ではなく、人間一般に起こりうることです。
また、新入社員の時期を過ぎればなくなる一過性のものです。
この時に必要な心配とフォローをすることによって
新入社員の帰属意識とモチベーションが上がり
持ち前の責任感の強さと真面目さも加わり
御社に多大な貢献をする社員となる可能性が高いと私は思います。

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