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差別は無知から始まることの実例と差別を受けた側を基準として考える必要性 聴覚障害の場合 [労務管理・労働環境]



現在聴覚障害者に対する差別のハラスメントの問題に取り組んでいます。

上司や同僚は、職場の調査において
あからさまな差別行為をしているのですが、
それを隠そうともせずに答えているのです。
それにも関わらず職場ではモラルハラスメントはなかった
と結論付けてしまっています。

上司も、同僚も、職場も
自分たちのしていることが差別であることに
気が付いていないということです。

こういうことが差別になって
聴覚障害者が傷つくんだよということを
あまりわかりやすく説明する者が実際には
あまり見つかりません。

感心したのは町草さんのブログです。
聴覚障害者とのコミュニケーションで配慮する事とは? | 町草のブログ (machikusa110.com)
https://machikusa110.com/2020/04/30/%E8%81%B4%E8%A6%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E9%85%8D%E6%85%AE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93/

わかりやすいです。

先ず、一口に聴覚障害者といっても
聞えなさは人によって違う
ということが明快に書かれています。

つまり、この聴覚障害の方には聞こえても
こちらの方には聞こえない
ということがあるということで、

職場に聴覚障害の方がいる場合は
よく話を聞いて、何が聞こえて何が聞こえないか
よく理解する必要があるということで、
これがいの一番です。

また、それだけでなく
同じ音量の音でも聞こえるときと聞こえない時があるようです。

例えば話をしている人を見て聞いている場合は話は聞こえるのですが、
後ろから離されてしまうと聞えないあるいは言っている意味が分からない
ということがあるようです。

対面の話は聞きやすいけれど
何人かで話し合う場合は
聞える声と聞こえない声とあることになります。

「あの人の言っていることがわかっているのだから
私の声が聞こえないはずがない」
という思い込みが生まれる原因はここにあります。

また、早口で話したり、口ごもって話すなど
私たちはあまり意識していませんが
そのときによって話し方が微妙に違うのは当たり前のようです。

だから、急いでいたり、イライラしていたりすると
声が大きくても、内容を聴き取れないということがあります。

「いつも聞こえているのだから、今度も聞こえていたはずだ」
という思い込みが生じる原因になるでしょう。

だから、「(聞こえるように)言ったはずなのに聞えなかった
というのは、聴覚障害をいいことに
聞えなかったふりをしているだけだ。」
というひどい思い込みが生まれてしまうようです。

私の取り組んでいる事件では
面と向かって「卑怯だ」と言われたそうです。
言われている聴覚障害のある方は
どうして自分が卑怯だと言われるのか全く分かりませんでした。

大事な用事は、筆談とか、今ではインターネットを使って
伝達することが可能なので
今の時代、聴覚障害者を雇用している以上
それらの文字情報を使わない理由はありません。

ちゃんと規則に従って指示をしていると思っても
口頭で説明しただけの場合は
しかも細かい基準なんかは、
きちんと聞き取れているか難しいところです。

また、規則ならば何らかの文字情報があるはずで
それを示さないで口頭でだけ説明するような人の場合は
そのときによって指示の内容が変わることもあるのではないかと
疑いを持ちたくもなります。

それから、口頭だけの情報の場合は
正確性を期すため、何度も聞き返すことは仕方がありません。
それを煩わしがっていると
だんだん聞くのが悪いことのように思えてきてしまうでしょう。

益々伝わらなくなってしまいます。

それからひどいなと思うのは
「聞えない時は聞こえないと言え」
という言葉です。

だって聞えないのですから、
今自分が聞こえていないのかさえも分からないからです。

自分がどうしたら改善できるかわからないことで叱責を受けていると
無駄な緊張がいつもの状態になってしまい
余計なミスも増えてしまいます。

こういう聞えないことに伴って
卑怯だとか、バカだとか、そういうことを言ったことは
みんなが認めていることですが
言った上司も、同僚も、職場でさえも
ミスが多いからバカだと言って仕方がない
聞えないふりをしたので卑怯だと言われても仕方がない
そんなことを大合唱していているのです。

呼ばれても仕事をしていれば聞えませんが
そんな時注意をひくために
消しゴムや輪ゴムを投げてこちらを向かそうともしたようです。

上司も、同僚も、職場でさえも
聞えないのだからやむを得ないと言っているのです。

これ、健聴者に対して行ったら侮辱になりますよね。
夢中で仕事をしているときに
体に異物が向かってきたらびっくりするでしょうし
危険を感じることもあるでしょう。

聞えないからやむを得ないというのはおかしいと思います。

そもそも手を振る等、視覚的な信号を送ればわかりますし、
その人は隣の席の人だったので
近づけばわかるわけです。
人に対して消しゴムを投げて振り向かせるなんてことは
言い訳の利かないことだと思います。

これが起きたときは結構前のことなのですが
現在は改善されたのでしょうか。
改善されるためには
障害者の視点を知る必要があるのですが、
未だにそのような知ろうという努力はなされていないようです。

私はこれは差別であると主張しているわけですが
関係者一同ピンと来ていないようです。

どうやら差別とは
差別をする側が
排除の意思を持っていたり、攻撃的感情を持っていたり
悪感情を持って行うことが必要だと考えているようです。

差別というのは悪い行為、不道徳な行為だというところを
協調しすぎるとそういうことになるようです。

しかし差別か否かは
差別された人が精神的に苦しむことならば
辞めさせることに主眼があると思うのです。

加害者の無知によって
差別で無くなるという発想はいただけません。

だって、実際に傷ついている人がいるのです。
傷つくのは悪感情という相手の気持ちに関わりません。
差別かどうかということは
被害者の立場に立って考えるしかないと私は思います。

それからもう一つ
聴覚障害に理解がない場合に
聴覚障害をお持ちの方々がどのように傷つくのか
という視点の報告が少ないのではないかと思われました。

疎外感とか孤立感とかいう報告ありますが
侮辱を受けたという感じ方、
寂しい思いや仲間として扱われないという感覚
あるいは、理不尽な思い
もっともっといろいろあると思うのです。

それがなんか
コミュニケーションの方法論とか
効率性に価値をおく研究が多いような気がしますし、

差別、心理で検索すると
差別をする人の心理
ということばかり出てくるように感じるのです。

人間が当然抱く感情なのですが
これも実際の所を聞かないと
本当のところがわからないと思うのです。

聴覚障害者だから仕方がないと
ご本人方が思うのは
社会の風潮が合理的配慮の必要性を
そこまで考えていないということからくるのではないでしょうか。

当事者の方々がもっと声をあげる場所を提供する必要があると思います。
この機会が圧倒的に少ないのではないかと感じました。

色々考えながら、勉強しながら事件を進めています。

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