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誤解だらけの親権制度 封建制度の残存物として排斥するのがいかに浅はかであるかについて [弁護士会 民主主義 人権]

親権というと、親が子を思い通りにする権利というニュアンスがある等という浅はかな意見があります。また、家制度を前提として戸主の子どもに対する支配権だという勘違いもあります。
現代社会において、明治民法(1898年)は知識を持つ必要性は乏しいです。わからないならば言及しなければ良いのですが、思い込みで発言する人たちがいるので困ったものです。

1)親権者は戸主ではなく父

先ず、親権者は、戸主ではなく父です。戸主と父を同一に考える人がいますが、これは戦前の「家」制度を知らない人です。我々古い弁護士は、実務上の必要から戦前の戸籍を取得した経験があります。その古い戸籍謄本をみればわかるのですが、戦前の「家」は、夫婦と子どもを単位としたものではなく、もっと広い親族を中心として成立していたものです。姪や甥、あるいは父や母なんかも普通に一つの戸籍に入っており、その中の代表が戸主となります。
明治民法の成立過程でも親権者が誰かということが争点となりました。結局対外的な代表は戸主であるが、体内的な責任者は必ずしも戸主ではなく、家族内のことである親権者は父親と定められたのです。ここは、男女差別が背景にあったものとして時代の限界として留意する必要があります。もっとも、明治民法の前の旧民法では、子どもの養育義務は父母双方にあると定めていました。

2)親権の内容は支配権ではないことは学会、社会の常識だった

確かに支配権だと主張する学者は穂積八束という先生が一人いたようです。かなり高名な先生ではありますが、1人説だったということです。誰も賛同しなかったということです。その他すべての学者は支配権であることを否定しています。法律家も日本国民の常識も、親が子どもを支配することが正当であるということは、感覚的にも存在しなかったことになると思います。
親権の内容として中心的にとらえられていたのは、明治の時代から、子を監護養育する義務です。学説でも、親が子どもに対して監護養育する義務を負っているという解釈が一般的でありました。これが明治民法における親権の本質です。この本質を果たすために、つまり親が子どもを守り育てる必要があるから、この住所を決める権利や懲戒権を親が行使することを国が認めたというのが親権制度なのです。こういう解釈が明治の法学です。どうやら「封建制度」という言葉が出てくると、何でもかんでも悪いことだと思い、その中の最悪の事態が起きているという言葉のもつ効果があるようです。つまり、印象と思い込みだけで話をしていることとなります。明治民法の民法は、親の子どもを支配する権利ではなく、子どもの監護養育のために必要な権限が規定されたということが法解釈的には常識です。
子どもが、国や戸主に勝手に連れ去られていたならば、親は子どもを守ることができません。子どもをどこに住ませるかということは、親の権利にする必要がありました。子どもが自由に法律行為をしてしまうと、思わぬ損をすることが多いので、子どもに代わって法律行為を行う権限も子の監護養育に必要なことです。懲戒も、当時の考え方は現在と同じではありませんが、「ほめ育て」等という言葉の無い時代ですから、子どもが間違った道に足を踏み入れないために必要な親の義務だとされていました。だから、懲戒権と言っても、親が子どもの人格を無視して、子の養育と関係のない八つ当たりなどをする権利ではなかったのです。現在と違って、当時の日本にはそれが当たり前のこととして受け入れられていたことになります。
おそらく、戦後教育の中で、戦前の教育を全面的に否定するという作業が行われたため、戦前の教育や社会制度というものが暗黒の歴史のように私たちは受け止めるようになってしまったものと思われます。確かに戦争や他国の侵略という恥ずべき歴史はありますが、人間の生活の営みは戦前から戦後にかけて確実に継続しているのです。それにもかかわらず、歴史を二項対立の観点から見るような態度は極めて非科学的で感情的な態度だと思います。戦前が全面否定されることはとても残念なことですが、私はそれより明治政府によって江戸時代以前の日本が全面否定されて、日本人が自分たちの過去を知識として持てないことのほうがより残念です。とにかく間違ったことは言わないでおいてほしいというのが私の願いです。

3)親権の自由権的な機能

では、どうして、家制度がありながら戸主ではなく親が親権を行使すると定めたのでしょうか。これも明治民法制定の際に論争がありました。大方が一致していた理由は、子どもの監護養育は親の自然な情愛にもとづいて行われるべきだということです。戸主は伯父さんだったり、大伯父さんだったりして、一緒に暮らしていない人がいる場合が多いのですが、そういう法律的な立場の人間にゆだねるのではなく、親子の情愛にもとづくべきだということが戸主ではなく父親が親権を取得する大きな理由でした。
日本の法律はよく指摘されるように儒教の影響を受けています。その根底にある思想は、これもよく誤解されます。誤解というのは、人間は親に孝行し、さらにその上の天皇、国家に忠実であれということが儒教の本質だと、これまたあまりにも通俗的な決めつけをする人たちがいます。わからないなら言及するなと思うのですが、とにかく戦前を否定することが善だということをヒステリックに唱える人は多いものです。論語の本質とは、違います。論語は国の指導者となりたかった孔子があちこちで語った話を孟子がまとめたものとされています。道徳という庶民が守るべきものをつづったものではなく、国家とはどうあるべきか、政治とはどうあるべきかということを語ったものです。その中で、孔子は、国家の目的は、家族など自然な情愛で集まり生活している人が幸せに生活するためにあるのであり、家庭の中では国家秩序より家庭の情愛を優先させるべきだということと、国の政治は親子兄弟の情愛を国中に広めていくことだと述べています(論語:子路第13の18等)。
「親は子のために隠す、夫は妻のために正義を我慢する。論語に学ぼう。他人の家庭に土足で常識や法律を持ち込まないでほしい。必要なことは家族を尊重するということ。」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2015-05-11

実際に日本の現行刑法は、この考えに基づいて、親族間の犯罪を必ずしも罰しないという制度がありますし、家族が犯人の場合かくまうことも罰しない場合を認めています。法律を勉強してきたものはよくわかっているはずです。
論語の見解では、国の秩序を守るために家族を国に売るような行為は否定されているのです。だから、国も、勝手に子どもを親から引き離すことができない。子どものことはその親が決めるということが親権だということになります。それだから徴兵制は、特に未成年者の徴兵は論語に反する政策だと私は思います。
明治民法下の学者の議論は、あまりこの自由権的側面を強調してはいませんでしたが、常識的なものとして議論の前提にあったようです。

4)まとめ

明治民法の条文、及び学者の議論の様子を勉強しても、当時、学者も国も、親権が親の子を支配する権限という議論はあったにしても相手にされなかったということがわかりました。むしろ親の子どもに対する監護養育義務が中心に親権がとらえられていたようです。監護養育として親権行使をしなければならないということで、親権の及ぶ限界が画されていました。社会の常識もそれを支持していたと思われます。
確かに現代社会は、家族が孤立化してしまい、家庭の中のことが閉じた世界になっています。また、明治時代には考えられなかった日常のストレスの持続というものもあります。日本人の親子についての常識が戦前と比べて歪んだことを示す事件も大きく報道されているところです。家のメンバーや近所の人たちが個人の家庭に入り込む余地が著しく無くなったため、行政がそれに代わって介入するということも選択肢としては持たなければならないのかもしれません。
しかし、誤った知識、思い込みの考えだけで、制度や概念が否定されてしまったところに、あるべき新しい制度の構築は難しいのではないでしょうか。無駄な観点からの制度の提案がなされる危険があります。また、誤った知識、思い込みの考えでは、何をなすべきかの優先順位も見当はずれになるだろうということも危惧しているところであります。

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