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【我田引水に称賛する】南山大の偉大な研究 人間同士の争いと人口の関係 勝手に[対人関係学]の実証的裏付けであると大歓迎する [進化心理学、生理学、対人関係学]


南山大が極めて注目するべき研究を発表しました。視点といい、研究対象と言いとても素晴らしいものです。

争いの主要因は人口増 弥生時代の九州の調査分析 南山大グループ発表
https://edu.chunichi.co.jp/news/detail/11065

これから述べさせていただくことは我田引水です。全くの、しかも勝手に行うので、大変申し訳ないきもちであることをのべ、先にお詫び申し上げておきます。

この新聞のタイトル自体が、まさに対人関係学の主張そのものです。
対人関係学の主張は極めてシンプルです。

人間関係の紛争や社会的病理が起きる根本原因は
人間の脳と現代の環境のミスマッチにある

というものです。
つまり
人間の脳、またはこころは200万年前に今の状態に確立したとされています。200万年前の環境に適応するようにもっと長い年数をかけて形成されたわけです。その環境とは、人間は中途半端な弱者で、個体で生存することは難しく、30人から150人程度の群れを作ることによって、はじめて野獣から身を守り、飢えを免れることができたわけです。
その仲間は、生まれてから死ぬまで同じ仲間であり、その仲間以外には人間には出会わなかったと思われます。
仲間と自分の区別がつきにくく、仲間が悲しめば自分も悲しくて何とかしたいと思い、助け合って生きてきたと思われます。群れからはぐれるととても苦しい思いを死、群れからはぐれそうになるとたちまち心配になり、なんとか群れにとどまろうという気持ちになったと思われます。そうでなければ、言葉の無い時代に群れを作ることはできなかったでしょう。
現代人もこの心があり、自分が誰かから批判されたり、責められたり、嘲笑されれば、たちまち不安になってしまうわけです。群れから排除されそうになると何とか群れにとどまろうと努力をするのは、人間がそういう風に長い時間をかけて作られたからです。

この環境が崩された大きな原因は農耕です。一つ所にとどまり、多くの人数と近い場所に居住しなければならなくなりました。つまり、150人を超える人数が共存するように環境が変化したのです。
しかし、脳はそれにつれて進歩できませんでした。脳が深化するには時間が短すぎたようです。

近くにいるのに「仲間ではない人間」が現れたわけです。

仲間であると考えると攻撃はしません。その人の痛みを自分の痛みと感じてしまうからです。仲間であると認識できない場合は、その人が苦しもうが、困ろうがあまり感じないで済みます。そして、仲間と感じる人の利益のためならば心を鬼にして、仲間以外の人間を攻撃することができるようになります。

この時期がまさに南山大の調査研究された時期に重なると私は強く感じ入っているわけです。

人間が仲間だと感じるのは、いつも一緒にいて個体識別できる存在ということになるのでしょう。この個体識別できる人数の限界が150人程度ということになるそうです。

それでもその後の歴史を見ると、人間は人口密度と人口を増やし続けて生き続けています。私は、それを実現した方法を人類が発明していたのだと考えています。それは社会的なルール(社会規範)を作ったことです。道徳とか、原始宗教とか、もう少し時代を下れば法律ということになります。最初は強者が敗者を屈服させてつくられたのかもしれませんが、それは安定しないルールですから、社会転覆が起き、結局は、それなりに八方が丸く収まるようなルールに向かったのだと思います。つまり、仲間に対する自然な感情をもとに、それが仲間ではない人間の群れとの共存に応用されてルールが作られていったのだと思うのです。人間の価値観が、世界中であまり変わらないのは、200万年前の人間の性質が、およそ人間全体の性質だった何よりの証拠だと思います。

現代社会は、さらに複雑になりました。
人間が複数の群れに同時に帰属するようになったのです。
それまでは、人数は多くなったものの、人間の多くは、生まれてから死ぬまで同じ場所で過ごすものも多く、仲間意識がそれなりにあったと思います。しかし、家族という制度が生まれると、家族とムラという複数の群れに所属するようになり、それぞれの板挟みが生まれ始めます。さらに近代以降、交通や産業が発達して、現代社会は、家庭、学校、職場、地域と複数の群れに同時に所属することが当たり前となり、さらには、社会、国、インターネットと所属する人間関係も膨大になっていきました。
その結果、一つの群れに対する帰属意識も相対的なものとなり、例えば家庭であったとしても、自分と家族の区別がつかないほど家族に感情移入をすることが無くなっていきました。
帰属意識が希薄になるということは、仲間意識の中で安心することができなくなるということを意味していきます。人間は常時不安に苦しむようになっていったわけです。自分が、どこかの人間関係から外されてしまうという不安はどこにでも生まれてしまいます。家族でさえも、安心できる人間関係ではなくなりました。まして、インターネット上でしか関係を持たない相手に対して、仲間意識をもとうとしても、簡単に裏切られますし、簡単に攻撃を受けることになります。そうして、弥生時代のように、自分の仲間を守るために、相手を攻撃するということなんて、本当に簡単になってしまいました。

こうして人間は孤立していくわけです。人間に対して対した理由もなく攻撃できるようになってしまったのだと思います。それぞれの個別の流れはありますが、離婚、虐待、いじめ、パワハラ、セクハラ、そして自死等根本的には仲間だと感じられない相手と身近なところにいる、また、自分が安心していることのできる人間関係がないということが根本に横たわっているという考え方を、対人関係学と言います。

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